【太極拳】 武当山 【真武大帝】
湖北にそびえる、道教の聖地にして、真武大帝が昇天した武当山。
その武当山において、伝説の道士張三豊が修行し、かの太極拳を創始した。
武当派の武術と歴史について語りましょう♪
宿敵スレ
【武林泰斗】 少林寺 【中嶽嵩山】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161617929/
多くの武術が少林寺の武術を起源とする伝説を持つことから、少林拳を含めて数多くの武術を少林派と呼び、
太極拳の創始者張三豊が修行した場所が武当山であることから太極拳を武当派武術と呼ぶ。
しかし達磨大師の伝説も張三豊の伝説も信憑性が薄いことからこの分類自体ほとんど価値がない。太極拳の
門派の者が少林拳門派に対抗意識が強いために2つの門派が対等で対立しているという発想から無理に考えら
れた呼称であるように思われる。別の説として、1928年に南京中央国術館が開設され、当初は学科として、
少林門と武当門が設けられた。武当門の中に武当拳、太極拳、形意拳、八卦掌 などが含まれていた。後には
学科の分類は改められた。
金庸の「倚天屠龍記」の中じゃ、武当派の開祖張三豊は、元々は少林寺の寺の坊主で、
ある事件がきっかけで寺を逃げ出し、悟るものがあって道士となり、
武当派を創設、更に太極拳を編み出したということになっていたけどね。
まあ、太極拳は実際は清代に編み出されたもののようだし、
張三豊そのものの実在性も怪しいけどね。 武当山は世界遺産になっているよね。
少林寺もそのうち、世界遺産に指定されるかな? 太極拳の起源
伝説的起源
その昔、張三豊という人が少林寺で武術を修めた後に武当山に入って修行をし、道教の陰陽五行説の思想や吐納法という呼吸
法を取り入れて編み出したものが太極拳であるとの説話がある。張三豊は中国の他の伝説にも現れる不老長寿の仙人の名前で
あり、武術との関連は明らかではなく伝説の域を出ない説である。
歴史的起源
元来は河南省温県陳家溝という村の陳一族に家伝として伝えられていた武術であったらしい。創始者については諸説あり、明代
末・清代初に当時武人として活躍した陳王廷がつくったとも言われる。しかし陳家溝に残る史料からは他にさまざまな武術が流入し
ていた可能性がうかがえ、むしろそうした研鑽の蓄積としてできあがったものと考えるべきであろう。陳氏の武術は一族を守る武術と
して発展し、それ故に門外不出とされていたが、清代末に河北省永年県広府鎮の楊露禅がこの拳法を会得して、北平(北京)に出
向き広めた。拳理(武術理論)として王宗岳の『太極拳論』が重視されたため、そこから「太極拳」という名称が用いられるようになった
との説がある。 武侠小説の世界じゃ、武当派ってものすごく偉そうにしているよなあ。
少林寺と並んで、武林の頂点に君臨する大派閥って感じで。 武当派開祖張三豊は生涯童貞を守り、清らかな身で通しました。 >>5
太極拳は、箔をつけるために、武当派の名声を借りたって感じだね。
>>5
>清代末に河北省永年県広府鎮の楊露禅がこの拳法を会得して、
>北平(北京)に出向き広めた。
「太極英雄」とかいう中国ドラマが、ちょうどその逸話をドラマ化したものだったね。
まあまあ、面白かった。 >>3
張三豊が元少林寺にいたという設定は、金庸の創作ではなく、
実際にそういう伝説がある。
少林寺で武術を学んだ後、武当山で修行して道教と組み合わせ、
太極拳を生み出したと伝えられている。
事実ではなく伝説だけどね。 金庸の武侠小説って、物語に出てくる人物や逸話が、
意外にも史実や伝説に基づいている場合が多いからね。
周伯通が創作人物ではないことを知った時は驚いた。 武侠小説の中の描写だと、太極拳はくるくると円を描き、
相手の力を取り込んで自分の力として使うような、印象だけど、
実際の太極拳ってどうなのかねえ?
健康体操のようなものらしいけど。 テレビで組み手やってたけど、舞ってるみたいだった
物理的に考えたら、相手の力のベクトルをマイナスに変えるわけだから、
2人でエネルギーの応酬を続けたらかなり体力を消耗するよね。
それよりも自分の力で殴ったほうが効率的な気がする。 >>11 相手の力を取り込んで自分の力として使うような、印象
「引進落空」 「四両発千斤」の事でしょう
>>12
ベクトルはマイナスにならんよ(-_-;)
ごめんね。マイナスに力を加えて向きを反対にするんだね。 上手く説明できないけど
A----→B
相手AがBに攻撃を加えようとして(仮に4の力をかけて)動いたときに
BがAの予定している力の到達点から(仮に2の力で)ずらす事で、
A----→--→
B
Aは姿勢を崩す(仮に6の力でくずれる)。
こんな感じかも?
マイナスに力をかけると、だと力と力がぶつかって強い方が勝つだけで、それでは拙力。 武当山って、五嶽より上に位置づけられることもある、
かなり偉い山なんだね。 だから、わしは、修行場所に武当山を選んだのじゃよ。 >>20
倚天屠龍記によると、たまたま通りかかったようだが? 映画のグリーン・デスティニーでも、武当山が舞台になっていたね。 明の永楽帝の時代、神仙道士の張三豊を捜し出す命令が何度も出された。また、武当山に宮観を造営するために膨大な金
を費やし、太和山という名を賜り、真武大帝を祭祀した。これは、元代明代には張三豊が「活神仙」であると広く認識され、彼が
武当山で修行を積んだからである。
明の永楽帝朱棣は、宮観を建てて本物の神仙と会おうとした。また、真武大帝を自分の守護神とし、自分が「真武大帝の生ま
れ変わり」であるとほのめかして世を欺き人々を惑わせた。彼はそれによって自分が燕王の立場から挙兵して皇帝位を簒奪した
ことに対する不安な気持ちと社会の物議を消し去ろうとした。
明の嘉靖三十一年に、武当山の真武殿が竣工し、陶仲文は命を受けて武当山で大規模な?を行った。その?は夜間の灯火
が昼間のように明るかったと言われている。 >>12
相手に貼り付いて動きにくくしたあと、殴ったり蹴ったりする。
イメージとしては、ボクシングのクリンチの間合いで自在に動いて戦うと思ってくれ。
基本的に接近戦なので、フックと肘打ち、膝蹴りを多用する。
筋トレじみた練習も豊富で、習った感想としては
「体がでかくて体重があって力が強い奴が強い武術」という印象。
いろいろと派があるけど、少なくとも、力の弱い人や女性が強いなんてことは無いです。 力も必要なのだけれど、全身の力を統一して使うのであって
>力が強い奴が強い武術
これでは「拙力」といって力と力がぶつかっている状態だから、一般に聞くイメージ(化勁含む)ともズレているんでない? 実際に今の武当派へ入ったら、道教の修行だけじゃなしに、
武術の修行もさせてもらえるのだろうか? 21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 18:24:00 ID:F6Js8Enx0
>>1
http://post.baidu.com/f?kz=142529235
武当山(*'∀') ♭ >>33
文化大革命でいろいろ破壊されても、まだこんなのが残っているあたり、
中国は凄いな。 武当山は、いまも明代の遺構を多く残すとはいえ、かつての太和・南岩・紫霄・五龍・玉虚・遇真・迎恩・浄楽の八大宮のうち、迎
恩・浄楽宮の建物のほとんどは失われ、五龍・玉虚宮もかなりの部分が毀れたままである。南岩宮は比較的まだ保存されていると
はいえ、その碑亭などはいまも上部を欠いている。清代にも多くの宮観は何度も重修されているとはいえ、明王朝のような過度な保
護がなかったことがやはり影響しているといえるだろう。現在これだけの規模の宮観を維持するのは大変なことと思われる。ただ見た
ところ玄天上帝信仰の盛んな台湾各地の廟からの寄進が多いようであった。 清は蒙古とかチベット勢力への懐柔策として
チベット仏教(ラマ教)を保護してたそうだから 2005年夏期武当山諸宮観調査報告
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/2005wudang.html >>39
へえ、清代は関羽がライバルになったのかw >>39
>そもそも、北方の守護神であった玄天上帝を祀る聖地が、なぜ河北や山西といった北方異民族に接する地区でなく、
>北の地にあるのかは大きな疑問であった。しかし視点を変えてみれば、北宋から元初に至るまで、漢民族と北方異
>族の係争の地であった襄陽の近辺は、むしろこの時代の北方守護の神にふさわしい土地と言えるかもしれない。
宋代に発展したってこと?