◆昔は当たり前だったが最近は見ないもの・こと48◆
自分や少し上の世代辺りなら小学生位まで半ズボンにタイツを穿いた
男の子も珍しくなかったな。
今は女の子まで股引だらけで嘆かわしい限り。母親世代が埴輪ルックを
オシャレとか本気で思ってた連中だからしゃーないけど。 三菱レイヨン ボンネル現代っ子ルックなんて小生意気なガキの出ているCMがあった。 休日にブレザーと革靴姿でおめかしして出かける子供も見ない
最近は普段着も余所行きも一緒 >>338
大和撫子なんて若くて昭和一桁生まれの女性が最後の世代だからな
今の女は少なく見積もって7割はツイフェミの同類な気がする… 船橋や浦和あたりの草競馬は場内でノミ屋が横行してた。現場まで行ってノミ屋で買う心理が判らなかった。 大学に合格して高校時代制服だった奴らが背伸びして着るコムサのスーツ。 普通の本屋なんだけどやたらエロ本が充実していてなんかイカ臭い本屋 パチンコ屋じゃなくてもパンチパーマは絶滅危惧種やろ。 パンチパーマを1人やってる時間に普通の調髪客なら3人仕上げることが出来るので料金は3人分の12,000円だそうだ。 盗んだ原付を改造して暴走するヤンキー&奴等に盗まれるヘルメット。
メットインスクーターの誕生も元はヘルメットの盗難対策だったし。
今や同じ民度の連中はフル電動チャリor電動キックボードでイキってる。 以前、うちのマンションの屋内駐車場に毎日バイクを止めて駅に向かう奴がいた。出庫に邪魔だったのでバイクにぶら下がってたヘルメットの中に劇薬除草剤を流し込んだ。その後、頭に包帯を巻いたサラリーマンが駅に向かう姿を暫く見かけた。 俺は迷惑駐車と騒音に悩まされてたバイクの鍵穴に爪楊枝ぶち込んでやったわ
暫くしたらもう止めなくなってたw 所謂、エロ雑誌
月に1〜2回発刊されて、必ずSEX特集を組んでるのがあった 粉の洗剤
今でも個人的には使ってるけど、液体の方がおおいな。 子供の頃は洗剤ってすっごく大きな箱じゃなかった?
一人暮らしになった時点ではもう小さくなってた記憶 >>336
片手で抱えるのがやっとくらいのサイズ感あったかも。
箱の中に宝石が入ってると宣伝してるものがあったな。
ブルーダイヤ?うろ覚えだけど。 >>362
5連や7連もあった、ゴットファザーのテーマだったり、やり過ぎると空気圧無くなって音が変になって
皆に笑われた それを建造物侵入罪、不法占有、不法行為の当事者が訴えるのか? こことある田舎だけど、発狂したりドタバタと外で遊ぶ子供が少なくなった。 >>364
明らかに素人と思われる男が、ぎこちなく
相手の女と絡んでいるのとかあったんだよな >>363
爪楊枝ええなw
瞬間接着剤より爪楊枝の方が効果ありそう ジャケットの胸に付ける訳のわからんエンブレムを見なくなったな 公園の紙芝居屋さん
せんべいの練乳がけは美味かった >>371
その時代の迷惑野郎にそんな知恵があるわけもないし
そんなんで訴えるとかしたら自分が村八分ということで
素晴らしくスレ趣旨に合致したオハナシかと
なんとなれば知人の農家が
スイカ盗まれるのでトラバサミしかけた話とかあるけど
さすがに詳細は話せないなw 空いた店舗跡にたまご10個くれるけど変なセミナー聞かされるそして健康食品買わされる 2,3人のカモを篭絡するために30人近いサクラを準備する催眠商法 薬屋いってゴム買う時指で合図すると黙ってゴムが出てくること オカモトのOKサイン!
奥からわかんねぇ婆さんが出て来ると困った。 「は?、何、コンドームね、はいはい」
と店内を大声で叫ぶ婆さんとか志村けんのコントでありそう >>389
旧型の霊柩車のミニカーも
見かけなくなった。 霊柩車は見た目はまんまミニバンのも。
棺の他運転手と遺族2名が乗れる。
5年前におやじの葬式出したが、宮型は1台も見かけなかった。 >>405
学生時代に入寮してたけど
職員が風呂の湯船にムトーハップドバドバ入れてたな。 良い寮だな
俺の住んでた寮は野郎の体液でドロドロだったわ リアカーを自転車や原付に繋いで荷物載せて道路を走る バラックで出来た朝鮮部落。芝浦にもあったし今は病院になった環八沿いの蒲田の付近にもあった。 私が二十歳の頃、日本語もたどたどしい見るからに朝鮮人というお婆さんがバラックで焼き肉屋をやっていた。 コーヒーや紅茶に入れるパウダー
クリープもあまり見かけないが、それより
ニド、マリーム、ブライトなんてのは
まず見ない >>411
環八は今は牧田総合病院の所ね、数年前まで部落だった >>414
コーヒーなんかの種類は抜群に増えたし、そういうのは目に付くけど
クリーム類は片隅に追いやられているんだよな
我が家でももう20年以上使ってないわ 顆粒のインスタントコーヒーは飲まなくなったので、勢い粉末クリームも使わなくなっただけ。 >>417
そんなの店によるだろ
コーヒーココア・紅茶・砂糖ガムシロ・クリーム類は棚ごとに並んでるわ タバコの自販機をほぼ見なくなった
今どきの喫煙者ってどこでタバコ吸ってるんだろ そこら中に喫煙スペースあるよ
透明な仕切りのとことか 地方だとコンビニか車の中、地方はまだ公園とか禁煙じゃないから公園とかだね 都会は息苦しいのう
ド田舎でよかったわ
うるさい事言うやつも居ないし駐車場はタダだし趣味の釣りに行くにも釣り場が近い >>409
俺も学生寮だったけど、トイレの個室の壁になんかが飛んで垂れたようなシミが無数にあるんだよなw >>428
うちはど田舎だから近所の印象が気になって歩きタバコはしづらい
公園も禁煙ではないけど近所の目は怖い
コンビニの前に灰皿あるけど以下同文
配慮して吸うのは制限されていないのに吸っているだけで
犯罪者呼ばわりする人がいるから
赤の他人ばかりのコンクリートジャングルのビルの陰など
隠れて吸える状況にあこがれる >>431
そう
田舎は、自分には理解できないような色んな人に接して慣れる経験が少なく
テレビの受け売りをこじらせたような人を散見する
遊ぶところが無いので叩きやすいヤツに意地悪して怒らせて揚げ足取る バブルのころは農家の跡取りがバブリーなセダンを乗り回す クラウンやマークUの最高級グレードに乗って嫁さん探し。見つけてきたのは、農家仕事は一切やらない子育ても近所付き合いもしないパッパラパーのねぇちゃん。 都電、俺は砂町に住んでてけど昭和の頃まで都電の専用線の跡地もあったけど最近はそれが何処だったかもわからない位変わってしまった まだ幼少だったが、都電が廃止になった時のガッカリ感覚えてるわ@文京区本郷 >>432
その胸毛の上には、だいたいチャラチャラしたネックレスが光っている。 グレート・サスケという東北のプロレスラーが、
住んでた街にエロ映画館ができて
男たちはみんな行きたくて仕方なかったのだが
ぜったい入場を見られて世間話で晒されるので入れず
あえなくエロ映画館は潰れたという逸話を述べていた
当人は軽いネタ話として語ったのだろうけど、
田舎とはなんぞやってのを、けっこう如実に表してると思った >>438
いいじゃないの、愛があれば( ´,_ゝ`)プッ >>442
俺なんか18禁映画を観るために、地元の映画館は避けて電車で50分もかけて上野まで行ってた。 横浜 ホテル・ダンヒル 本家からクレームが入って名称変更 昨日が凄かったけど、今や『ゲリラ雷雨』の呼び名が一般的になって
【夕立】って単語がほぼ死語になったな。
確かに近年の雨の降り方を見てると【夕立】って感じやないし…。 爺のお使いで一升瓶の酒を買いに行く
父ちゃんのお使いでハイライト1カートン買いに行く
時は昭和40年代、俺小学生 >>456
酒屋にお使いでオーシャンウィスキー買いに行くと、店主が白い紙でくるくっるとオーシャンを包んでくれる 上田馬之助、タイガージェット・シンを本気でやっつけようと考えていた客。 ヒロインが虐待を受けて血を流す唯一酷い朝ドラだったな あれもGHQによる洗脳ドラマなんだぜ
どんなに酷い目にあっても耐えしのげ日本人よ!!
理不尽な事にも耐えて我慢するのが日本人の美徳なのだと洗脳されてしまった 日本は苦労して豊かになったが幸せにはならなかった
昔の貧乏な暮らしの中にも幸せがあった
ってドラマじゃなかったっけ 日活の麻吹のSM映画観たさに鵜の木に行ってた家は目黒区なのに >>474
今でも日本は実質的にアメ公の植民地、奴隷未満のパシリと同じだよ。
近年は支那の奴等が俺達にも分け前を寄越せって暴れてるけど。 >>474
見える、見えるぞお前の心の中が
「爺さん」と書きそうになって「あ、ここ50代板だったな」
「他の板なら若者ぶって「爺さん」と書いてもバレないけどここで書くと「お前も爺さんだろ」というツッコミが入りそうだしこれはマズイ。
「そうだ長老で行こう、これなら矛盾しないわ」 >>475
という事は君自身は「奴隷未満だという自覚」があるんだな
毎日苦しい生活してるんだな
「未満」て言い切るなんて相当だからね
奴隷にも満たない生活て事だから >>475
日本に全く利益がなかったらとっくに縁切りされてる
実はアメリカを経済軍事外交で利用してるのは日本 学研の電子ブロック
ブロックと電子回路の組み合わせを変えてラジオやらマイクになる玩具 >>480
昔はまんまそれだったよ。
それを強いていた奴等とは全部絶縁したから今は平穏に暮らしている。 >>483
アホか、利用したのに何でこんなに落ちぶれたんだよw 日本では、戦前「わたし」のことを「和多志」と書いていたが、GHQにより「私」と書くように命令され、今に至っている。 ヨロシクは夜露死苦
ICBMは愛死美絵無
だったと思う、はず 表彰状は、ヒョー・ショー・ジョー
アンタハンハ エライ お中元やお歳暮。子どもの頃は瓶のカルピスとかゼリーの詰め合わせみたいなのが嬉しかったなぁ 他にお中元の定番と言えば、ガリガリと堅い食感の泉屋クッキー >>490
芥川龍之介(1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日)の作品に、「蜜柑と私」というのがある 今でもVHFアンテナがついたままの家がある
FM用に転用でもしてんのかな 男子便所に「タバコの吸殻、ガムは捨てないでください」と書いてあるパネル そうそう
吸い殻を捨てるのはNGだが吸うのは自由だった >>502
昔の男子便所といえば、
ヘタクソなマ〇コのイラストの
展覧会だったw 小便と芳香玉が入り混じってむせ返るような匂いだった。 駅トイレがボットン便所だと、駅構内やホームまで臭っていたな
昭和の田舎はどこもそんな感じ オレのチンチンも臭かった。風呂には毎日入る習慣がなかったし、
子供の頃は、たまに入っても体洗うなんてしなかったからな。 ボンカレー、オロナミンCの広告看板のモデルで亡くなったのは水原弘だけという驚き。 浜松町にあった船宿屋は皆屋形船になって乗合船は無くなってしまった パスタ(スープスパでない)を頼むとスプーンを添えてくる店 下肥(人糞)肥料を止めてからは回虫はいなくなったでしょう。我々の頃は “いた” よ >>527
目のやつはイランかったんやw
痛くて大嫌いだったわ 泳ぐのは全く苦手だったが、学校のプールは
ただで遊べる貴重な娯楽だったので、
夏休みは通ってたなぁ 母親が子供が1日家にいられるとめんどくさいんで強制的に行かされたわ 昼寝も夏休みの課題もせずにランニングシャツで遊びまわってた奴が1位