永田 洋子 死刑 (確定囚)
生年:1945年2月8日 東京都本郷区元町(現・文京区本郷)出身。

日本の新左翼活動家。連合赤軍中央委員会副委員長を務めた。
リンチ・殺人で死刑が確定していたが、執行前に病気のため獄死。

日本共産党(革命左派)神奈川県委員会のメンバーとなる。
永田はその後、指導部の最高責任者として上赤塚交番襲撃事件や真岡銃砲店襲撃事件に関与。
印旛沼事件では元同志2人の殺害を指示したが、その際薬学の知識を生かして睡眠薬を手配・調合した。

1983年の判決(死刑)では山岳ベース事件は永田が主導したものとされ、その原因を永田の
「不信感、猜疑心、嫉妬心、敵愾心」「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」だとした。


森 恒夫
生年:1944年12月6日
連合赤軍中央委員会委員長
裁判: 獄中自殺の為、結審せず

高校は大阪府立北野高校出身。高校時代は剣道部に所属した。
幼少より、在日韓国・朝鮮人の問題に関心があったという。

山岳ベースを転々とする中で、「総括」と称する暴力行為によって、
永田洋子と二人で独裁体制を固め、12人の同志を殺害する山岳ベース事件を指揮した

森の死を獄中で聞いた永田洋子は「ずるい!」と絶叫したという。
これは森が生前に「全ては僕と永田さんの責任です」と語っていたからである。