突発!!同じ穴のむじなオフ!ファイナル
キモA「オフってさ、(外見が)キモイやつ多いよな。」
キモB「ほんと多いよ。でも俺たちはキモくないよね!」
なんてことを耳にするけどお前らも充分キモイから。
そんな鏡を見ることを忘れた人たちで楽しく遊ぶオフ!!
突発!!同じ穴のむじなオフOFF
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offevent/1187288597/
突発!!同じ穴のむじなオフ!エボリューション
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この世は感覚だけで出来ている。それが真実なのかどうなのかは確認するすべがない。
足場もなく、この世にふわふわと漂っているだけの毎日に不安や恐怖を感じてしまう。
もはや何が足場なのかさえもわからない。わからないことが多すぎて疲れてしまった。
寒いのか暑いのかよくわからんくて萎える(*‘〜’)
なんか昔のことを思い出した。いやいや、許すわけないじゃん。
ぐっと堪えてただけ。すごくかなしいよ。ずっと消えない(*‘〜’)
ふとした拍子に思い出しちゃう。自分があんな環境にいたなんて夢みたいだ。
これから先、あんな体験をすることはないだろうな。たのしかった(*‘〜’) ときどき自分は無であること、懺悔している今は作られた試練であることを忘れてしまう。無が恋しい。あとどのくらいの労力を使えば憑き物が落ちきるのだろうか。自分が枯れ果てても相殺仕切れないほどの罪を犯してきたということなのか。 社会の中に浮かんでいる自分の役割とは何であるのか。柵を排除し、浮かぶことだけを求めて行動しているのに、まだまだ高い場所へたどり着くことが出来ずにいる。浮いても浮いても重力に引っ張られて沈んでしまう。自分の役割とはこの重力を破壊しつづけることなのだろうか。 ひたすら浮かぶこと、朽ち果てるまで飛んでいくこと、心の中にあるやりたいことを思い出すと肉体の保身という微睡みから解き放たれて明日からも頑張れる気力がわいてくる。 思いつきで付けただけの設定なんだから根ほり葉ほり質問されても答えようがない。見たこと聞いたことをそれが全てだと思ってくれればいいんだよ。 そんなことはどうでもいいし、求めてないから。関わらないほうが得だし考え方を合わせる気はないから嫌なら放っておいてくれ(*‘〜’) 娯楽の価値観があわない相手とする世間話のつまらなさは異常(*‘〜’) 何も考えなくていいし、意見は求めていない。やることはやった。あとは爆発か何かで全てが一瞬のうちに消え去ってくれることを願う。 二度と目を覚ましたくない気分。もう満足したんだよ。あとはうんざりするだけだから早く無くなって欲しい。やりたいことをやりたい。 やりたいことを我慢している。おそらくこの先、やりたいことをやれる日が来ることはないだろう。 これ以上は何かを求めないでもらいたい。与えられるものは全て与えているのだから。 いきなり疲れを感じ始めた。すごく疲れた。どこかへ飛んでいきたい。飛びながら体がボロボロと崩れていって最後はちりも残らず消えることが出来たのならどんなに幸せだろうか。 早く消えてくれないかな、飛び立つ勇気のない自分にはただ待つことしか出来ない。 今日は自分のことについて考えていた。何のことについて考えていたのかはわからない。でも考えていた。ずっとずっと自分のことについて何かを考えていた。
誰かに言いたいことがある。でも言えない。言わない。そもそも言える相手がいない。いや、言う気がないから言える相手が見つかることもないと思う。
だから何も考えないように気持ちを押し込める。胸がつまる感じがして苦しい。救われたくない。救いはいらない。色んなことがイヤ、やりたいことなんてなくなればいいのに。 すごく疲れる。誰かの胸に埋もれるんじゃないかと思うほど頭を押しつけたい。なんでそんなことをしたいのかなんてわからない。少しでも自分の頭の中にある目に見えない何かを他人に伝えたいからなのかも知れない。 自分の体がばらばらに爆発してくれたら気持ちいいのに。手、足、おなか、せなか、あたま、バンバンと破裂してくれたら、欠片が残らないように木っ端みじんに爆発してくれたらすっきりするのに。消えてしまいたい。
寂しい感情を捨ててしまいたい。寂しいから消えることが出来ない。どうすることも出来ない。 自分には期待や希望を持つ権利はない。それらのものは期待や希望で得られる喜びに相応する行動を起こした人にだけ与えられる褒美だから。
ぼくは何もしたくないから何も欲しがらない。くれると言われてもいらない。何もしていないのに貰うわけにはいかない。ううん、何かをしたとしても貰いたくない。 のんびり出来る場所で何も考えずに映画のDVDでも見てすごしたい(*^ー゚) 何を考えているのかわからないと言われても自分でも何を考えているのかわからないから困るな。 前触れもなく背後から撃たれて死んでしまいたい(*^ー゚) 空っぽの人生のまま消えることが出来たらどんなに素晴らしいことだろうか。これからの人生も出来るだけ中身のないまま過ごしていきたい。 自分の大切だと思っているものをひとつひとつ壊していきたい。全部壊して、砕いて、最後は砂のようになった大切なものに息を吹きかけて全て消し去りたい。 1人でいることが苦手だから何かしたいことがあるわけではないけれど誰かといたい。どうして1人が苦手なのかはわからない。
でも誰かといることも苦手でさ。人はいつか離れていくものだと思ってしまうから、他人と関わると余計に悲しくなってくる。 いつ自分がダメになるかわからないから毎日出来る限りやり残したことが無くなるように過ごしているけど、
やればやるほどやり残していることが見えてきてつらい。欲望が次々とわいてくる。いつか全て終わらせることが出来るのだろうか。 毎日にキリがないからもう終わらせてもらいたい。でも自分では終わらせることは出来ない。誰かに終わらせられることもイヤだ。どうしていいのかわからない。 暖かい場所でずっと寝ていたい。寝ている間に自分の存在がこの世から消えてくれたらどんなに嬉しいことか。 消えるときには自分の全ても一緒に消し去りたい。何も残したくない。自分はこの世に存在していなかったことにしたい。消えたい。 時間を忘れられるような場所で、何もしなくていい場所で、何も考えずに映画でも見てゆっくりとしたい。とにかく何も考えたくない。
考えれば考えるほど消えたいという気持ちが強くなるし、消えたいと思うとやり残したことを考えてしまうから落ちつかなくなる。 これは今まで見てきたこと読んできたこと過去の失敗から学んだこと経験をしてきたことから導き出した新たなる方法を試してみる実験と検証である。 成功したら何かが変わる気がする。失敗したらまたデータをまとめ上げて反省すべきところに変更と改良を加えて新たに検証を始めればいいだけさ。
そう、これはただの実験。わかってはいる。わからなくてはいけない。過去の過ちは繰り返さない。繰り返してはいけない。実験には失敗がつきもの。 癖を治すことは困難である。でも治さなきゃ、せっかくの機会を無駄にしてはいけない。二度とこんなにいい機会は訪れないかも知れないのだから。 当たり前の感覚を掴むためには痛みを伴ってでもやり通すことが必要。導き出した方法を信じ抜くことが必要。
失敗を恐れてはいけない。やり遂げたあとに手に入る感覚という宝物を手に入れるためには頑張るしかない。 同時にやらなくてはいけないことに比重を移して実験の成果を気長に待つこと。余計な手出しは計画にはなかったこと。計画や予定を守ることがだいじである。ここで投げ出してしまったら何も変わらない。変わりたいから努力する。 投資投機農業営業物作り、実験の結果は全てに共通するものである。いつかみんな乗り越えなくてはいけないことである。慣れろ、急がずに確実に身につけろ。過去の過ちは繰り返すな。 たまご料理にとって火加減はとても大事。理想の完成品を作り出すためには適切なタイミングで火をいれ火を止める。 放っておいてもダメ、痛む前に手を加えないと、夏場はとくに。もうそんなに後はないし、今年の夏はおいしいものたくさん作って現実を忘れたい。 今日は明日をより良くするためのことが出来たかな?常に明日のための準備を続けることが大事だと感じる。 今日我慢したことは明日には忘れる。待ちかまえているイヤなことは明日のために今日中に終わらせる。
明日はどんなイヤなことが現れるのか。いつかイヤなことに終わりが来るのか。
先のことはわからない。けれど今日こなしたイヤなことは明日にはもうないから。明日は今日よりイヤなことが少ないと願う。ただイヤなことを消化していく毎日。早く終わりがきて欲しい。イヤなことを残していては消えられないから。 今は娯楽快楽なんていらない。イヤなことがたくさんある中で楽しさなんて感じることが出来ない。楽しんで癒されて落ちつけば落ちつくほどイヤなことを乗りこえる気力が剥がれ落ちてつらくなるだけ。自分で自分の首を絞めることはやりたくない。 イヤなことで自分の感覚を麻痺させることに全ての労力を注ぎ込む。麻痺をすればするほど楽になる。自分を守る欲求は捨てる。そんなものは人生の役になんて立たないのだから。 自分の感情は全部捨てる。イヤなことを乗りきるためには感情なんて余計だから。無心でいる時間が長ければ長いほど明日への希望が高くなるから。
しかし希望なんて抱いている時点で感情を捨てきれていない。感情を捨てるなんて無理なのかもしれない。でも今日いちにちなら捨てることが出来る。
毎日今日だけ感情を捨ててやり過ごす。いつか感情を捨てなくてもいい日が訪れることを信じて。その日が来ることをかてとして、今日も感情を捨てる。 どこか世間から隔離された場所で汗水垂らして死ぬまで農作業を延々と続けたい(*‘〜’) 色んな意味でまだ準備が出来ていない。早くて年内、遅くても来年中には準備が終わるといいけど(*‘〜’) 足に重りをつかられ水の中に沈められていく。まわりに掴めるものは何もないので手を動かせたとしても意味がない。意識だけははっきりとしている。死ぬまでずっと意識だけははっきりしている。 運良く浮き上がれたとしても結局は沈んでいく。掴めるものなんて何もない。一瞬の空気という宝物を吸い込んだせいで次に沈むときは前回よりもさらに苦しいのだろう。空気なんていらない、ずっと吸い続けることが出来ないのなら自分を苦しめることになるだけだ。 脳みそが溶けていく、命が削られていく、自分の先が見えていくという妄想はとてもまぶしくて、まぶしさの中に救いがあることを感じる。パーン!と肉体が弾け飛んで魂を解放することが出来たのならどういう感覚を得られるのだろうか。 地に足なんてなくて、毎日ふらふらと漂い流されていくだけ。流れの中で色々なものに引っかかるたびにちょっとしたドラマが生まれる。
気がつけばまた流されていて、ぼくは流されながら自分の体験したドラマを思い出してにやにやしたりいらいらしたりを繰り返す。 何もしたくない気持ちがつのる日々。元々何もしていないけど、何もしていなくとも心の中では精一杯何かしている。それが自分の限界。 初心を思い出すこと。自分は最初から何も持っていなくて、欲しがってもいなかったこと。求めるにあたいしない人間であること。人間であることを諦めていたこと。忘れてはいけない。 勘違いをしてはいけない。何かを望むことの出来る世界に自分はいないということを忘れてはいけない。 ある日、体の節々が風船のようにパンパンと弾け飛んでくれないかな。そして突然の出来事におどろき、とまどい、恐怖を感じる自分を想像するとぞくぞくする。 起きたら体が砂のように崩れていっていることに気がつくも何も出来ずにただ恐怖に震えるばかり。そのうちに全身が崩れ落ち、ちょっとした風で跡形もなく自分の肉体が消えてしまう。
意識だけはそこに残るものの肉体の消滅とともに世間から自分が存在していたことも無かったことになるが、自分の意識だけはそこに存在し続ける。 最初から何も持つ気がなかったのだから求めてはいけない。自分には何もないことが当たり前ということを忘れてはいけない。 寄せつけないし、寄りつかない。でも与えられるものは与え続ける。これが自分にとっていちばん良いこと。 あやふやなものを掴むということはすごく疲れるもので、あやふやなものを掴んだあとに掴んだあやふやなものを固めるということはさらに疲れるもので、
あやふやなものを固め続けるということはどうしようもなく疲れるということで。疲れることはしたくないからあやふやなものを掴もうとは思わないことで、あやふやなものを手に入れたいとは思ってはいけない。 信じることは求めること。求める気持ちは不安を連れてくる。不安な気持ちは自我を壊し、自我が壊れると未来が崩れる。何も信じないことが自分を救う唯一の手段である。 何もいらないし、欲しがらない。気を抜くとだいじなことをすぐに忘れてしまう。自分を見失いそうになったら前へ進むのではなく、最初に戻ること。 油断していると塗りつぶして消したはずのアイツの存在が頭の中に浮かんできて、心がこわれそうになる。
アイツでいるときの記憶はどれもこれも消し去りたいくらいイヤなものが多くて、アイツを思い出すだけで頭がおかしくなってしまいそう。
アイツの姿が本来の自分なのかも知れないけど、もうアイツには戻りたくない。自分は今の自分でいたい。 今まで何人もの存在を消してきた。アイツだって消せるはず。ただ、アイツは楽すぎた。しかしアイツでいるときの代償は大きすぎて自分には耐えられない。
何度もアイツを塗りつぶして消そうとしてきた。そしてアイツを塗りつぶした上に今の自分の生活を被せて生きてきた。今更アイツには戻れないし、戻りたくない。
アイツは何であんなに楽だったのだろうか。どうしようもないほどの代償を背負ってきたにも関わらずアイツの楽さを求めてしまう自分がいる。 バランスを保つために脅威ある不要なものを破壊し続けるか、新たなる不要なものを増やして、ひとつひとつの脅威を中和していくべきかいつも悩んでしまう。 反面教師から学ぶものは多い。気をつけるべきものは気をつけていく。続けていった先にあるものは何か。
何もいらない。学び、治し、続けていくことに価値はあるのか。消費したものへの対価を得られるとは思えない。
すでに対価を得ているのかも知れない。だとしたらこの先に何を望めばいいのだろうか。 全てはちっぽけで些細なことだと感じるけど、そのことを気にしはじめたら他のことまでどうでもよくなってしまうおそれがあり、
それはとても退屈な未来を呼び込む行為なので、ちっぽけで些細なことでもあえて固執して、追いかけて楽しみたいと思っている。 ぶれず臆さず追わず価値を作り磨く楽しさから目を逸らさず固執し捧げ望まず行為を保ち作品を完成させることにのみ集中する。時間の残りが少ないことを忘れてはいけない。 作りものの上に作りものを重ね続けていく。本体なんてどうでもいい。自分だけがわかっていればそれでいい。
作りものはとても綺麗で魅力あふれるもの。汚いものを見るのは自分だけでいい。余計なものは全て抱え込む。 磨かなきゃ何もはじまらない。作りかけということを忘れてはいけない。間に合わなければ諦めること。因果応報、やるべきことをやらなかった自分が悪い。
でも作り終えたものは確かに手元に残る。舞台はいくらでもある。ひとつに執着する必要はない。焦らずに確実に作り上げることだけ考えていればいい。 新しい色が手に入ったからさ、さっそく塗ってみることにするよ。今度はどんな色になるのか楽しみだ。悪くならないことを期待したい。 つらさからは逃げられない。その場のつらさから目を背けてやり過ごしても、そのつらさはいつかまたやってくる。誰かに与える、自ら作り出したつらさもいつか返ってくる。
つらさの連鎖を断ち切るためにはつらさを受けとめること、つらさを与えないでいることを続けきることが必要となる。そうすればいつかつらいことがなくなるかも知れない。 与える、受け止める、逃げない、耐える。これをずっと繰り返す。いつになったら嫌なことがなくなるだろうか。いつになればつぐない終えるのだろうか。 昨日は知り合いと彼女にするならどんな人がいいかという話で討論になった。討論になった話題は彼女の友だち関係についてのこと。
異性は友だちとは言えない、ましてやふたりで遊ぶなんて論外、ここまでは意気投合して盛り上がったんだけど、そのあとに、
ぼくはイヤなことをされても本人には言わない、いつまで経ってもイヤだと思っていることに気がついてもらえなかったり、ヤメてもらえなかったら、ある日突然目の前から消えると言ったら、
知り合いが、好きならイヤなことはイヤ、ヤメてくれと相手に伝えるべきだと、いきなりヒートアップて突っかかってきて大討論会がスタート。
結局お互いに意見を譲らないまま話は終わった。確かに知り合いの言う意見もわかるけどさ、ぼくはやっぱ相手にそういうことを伝えるのはイヤだな。 気がつくと視野がせばまっている。些細なことが大きなことに感じてしまう。そんなときは何もなかったときのことを思い返す。そう、自分には何もなかった。
何かある今は何かがあるだけ幸せなんだ。でも何かがあるぶん不幸せになるリスクが増えた。不幸せになりたくなければ自分から何かを手放すしかない。 ひとつを追わない、ひとつに執着しない、価値を意識しない、そのときの印象を優先する。過去を振り返らない、未来を予測しないが目標は持つ。何かを信じたら信じ抜く。戸惑わない。 いつでも自然体に。手に入れたものを手に入れたと確定しない。全てを決めるのは全てを終わらせたあと。死ぬという選択を忘れない。困ったらいつでも好きなときに楽になれることが自分の強さであり、全てへの動機に繋がる。 モラルなんて気にしない。他人の目は気にしない。他人の幸せや不幸は自分に影響しない。まずは自分のこと。余計なことを考えるのは自分がしっかりしてからでも遅くはない。 孤高こそ全てで、孤高であり続ける限りこわいものはなく、孤高で居続けることで余裕が生まれる。 自分が孤高であることを忘れた瞬間から全ての悲劇がはじまる。孤高は守りであり、武器にもなる。孤高を忘れてはいけない。幸せは孤高からはじまり、孤高を忘れた瞬間に消えるもの。欲望は捨てる。自分のために孤高を受け入れる。 安心なんていらない。安心は欲望と同じ。安心を知らなければ不安を感じない。安心は自分をだめにする。出来るだけ不安であり続ける。欲しいものは安心ではなく不安であるべきで、不安は自分を強くする。 記憶は壊れやすく、綺麗に積み上げてきたとしても新しく入ってきた記憶ひとつでそれまでの記憶が全て壊れてしまう可能性がある。
そして記憶の修復は難しく、心に残るあの頃の記憶を取り戻したいと願っても、二度と蘇らない場合が多い。 人間には人間がお似合いなのだから、自分が人間だということを認め、人間としか関われない事実を受け入れ、希望や理想を諦め、人間として人間と生きていくしかない。 それは鏡であり、どんなに嫌なものが写っていたとしても目を背けずに現実を受け入れるしかない。
それは鏡なのだから、写っている嫌なものを受け入れたくないのならば自分が変わればいい。 知らない知人が何人かいることに気がついた。テレビを見たり雑誌を読んだりしているとき、そこに写っている人を見てこの人あいつに似てるなって思うことがあるんだけど、
あいつが誰なのかわからない。顔もはっきりと思い出せない。軽く会話をしたことがあるだけの相手なのか、それともそれなりに仲良く触れあったことのある友だちなのかもわからない。
何もわからないけどそいつとの記憶をさかのぼると確かに前にどこかで一緒になったことがある相手のような気がしてくる。仲が良かったのかそうでもなかったのかはわからないがそいつはいつもそこにいた。 時間のない人に意見を求められた場合は、答えに前置きなんていらない。答えの理由を聞かれたときに答えればいい。 自分にとって満足は通過点でしかなくて、どこまで行けば満たされるのかわからない。満たされるとは何だろう。何かが溢れんばかりに手に入ることなのか。もしそれだけのものが手に入ったのならその先にあるものは何だろう。 昨日の幸せは今日の基準でしかなくて明日の幸せは今日で決まる。ずっとずっとその繰り返し。そして幸せとは儚いもので明日が不幸せなら今日や昨日の幸せがかき消されてしまう。
だから明日が幸せでありたいと願うのならば今日は不幸せであることが幸せを手に入れる唯一の方法なのだと思う。嫌なことは早く受け入れて昨日の幸せにはしがみつかないことが大事。
ぼくは頭が悪く、欲深く、そして哀れな性格なので大事なことをすぐに忘れてしまう。明日のためには今日なんていらない。明後日のためには明日なんていらない。 自分の魂がじわじわと削り取られて細かく砕け散っていく気がする。何かを積み上げてもいつかは崩れ去る。
ぼくは自分の積み上げてきたものや手に入れてきたものが崩れ去ると、積み上げている内にいつの間にか忘れてしまっていた無の自分と付き添う痛みを思い出して苦しくなる。
だから出来るだけ痛みを忘れずにいたい。ぼくは何もいらない。誰かに何かを与えるだけの存在でありたい。これは誰かのためではなく自分のためだ。 ぼくは日々ふらふらと生きているのでしっかりした人からこの先は不安ではないのかと聞かれることがある。
答えを言うと不安な気持ちは全くない。なぜならばぼくはもう死んでいたはずなので。息を吸うことと同じように不安に対する覚悟は当たり前のように心得ていて、
今、今日、こうやって生きていられるのはゲームで言うクリア後の世界。おまけみたいなものだと思っているから先に対しての不安は全くない。
あとはどれだけ嫌な気持ちを感じずに誰かに何かを与え続けることが出来るかだ。ゲームのクリア後にやり残したことを丁寧にこなしていくことと同じこと。
もう終わっているのだからこの先は満足するまで、もしくは飽きるまで今の日常を楽しんでいく。 与え続けていくには自分を育成し続けていかなければならない。面倒くさくて今まで放置していたスキルを身につけたり弱かった部分のパラメーターを上げていかなければならない。
ぼくはレベルを上げて今まで太刀打ち出来なかったクエストを達成する喜びが何よりも好きで充実を味わえるのでそのためになら育成にかかる手間なんて苦痛に感じない。 何かを行ったときに結果が悪くて投げ出したくなったときはどうしてその何かを行いたくなったのか理由を思い出してみる。思い返した理由に今でも魅力を感じられるのならばまだ頑張ることが出来る。 無くなったらイヤだと思う理由は何だろう。本当に本当の意味で無くなったらイヤなものなのか。無くなったらイヤだと思う理由はただの惰性ではないのか。本当に本当の意味で無くなったらイヤなものならば有るだけで満足できるものなのではないか。 物事は同じ内容でもその時々の感情によって捉え方が変わるもので、良いと思ったことでも悪いと思ったことでも、時間をおいて再度考え直してみるといい。 恐怖とは何かを知り、恐怖の原因となるものを出来るだけ持たないように気をつける。恐怖が起こったときにいつでも恐怖自体を捨てられる準備をしておく。