お弁当の中身に泣いたスレ
恥ずかしいおかずが入っていた事はありませんか?
あるいは変なおかず、中身を友達に笑われた。などなど 俺の金曜日の弁当悲惨!セブンイレブンの自社ブランドレトルトカレー!もう女房は必要ないな! 今思い出しても涙が出てくる。
ウチは共働きだったが母は料理が得意かつ好きだったので、弁当の要る日は彩りや栄養バランスは勿論、具材や調理法もバラエティ豊かな弁当を作ってくれていた。
中学生だった当時既にヤンチャというか不良になりかけていた俺はそういうお母さんの弁当を「軟弱」で恥ずかしいと感じ、持って行くふりをして捨ててしまい不良仲間とパンや何かを買って食べていた。
ある日帰宅すると、出先の仕事が早く片付いたのか母が珍しくウチに居た。放心したようにテーブルに肘を付き、目元には泣いたような跡があった。
俺が自分の部屋に入ると、机の上には今朝弁当の中身を突っ込んで空き地に放り投げたビニール袋と、引き出しに突っ込んだはずの空の弁当箱が置いてあった。
俺は全て理解して自転車で川まで走り、泣いた。
次の日、母は何も言わずに弁当を作ってくれ、俺はそれを持って学校に行き、黙って食べた。美味しくて涙が出た。
夜、母に俺はその弁当が如何に美味かったかを力説し、母は静かに微笑んでいた。
俺は不良仲間と遊ぶのは辞めなかったし、それからもよく悪さをしたが、時々家事を手伝うようになった。
そして今は板前として来春、自分の店を開店するつもりだ。 >>321
良い話だなとか言って欲しいわけ?
誰もそんなこと思わないよ
おまえが全て悪い
おまえなんか死ねばいいのに
つーか、生まれてこなきゃよかったのに 高校の時、父がピーナと再婚した。
お弁当作ってもらったら一段目はごはん。
二段目…KFCのフライドチキン1本だった… >325
いい話しだなぁ…
チャイナ嫁の俺は飯の上にファミチキだぜ…
>>325-326
日本人嫁で食えないフライドチキンを入れられるより幸福 >>326
>>328
それも泣くね(T_T)
でもフライドチキンやファミチキでどうやってごはん食えと…
あたしはその後二度とお弁当は持っていかなかった 忘れもしない中学2年生の時、弁当の中身はステーキ(前の日の残り)
そして昼飯時『すげー!○○の弁当ステーキだ!』
『おおーっ!すげー!』『どれどれ見せて見せて!』
などと女子まで見に来る始末でクラス中大騒ぎに。
ひと段落してようやく食べれると弁当箱を持った瞬間『ドン!』
落としてしまったwしかも下向きに弁当箱が・・・
結局近くにいた友人たちが、ご飯とかおかずとかを少しずつくれたんだけど、
普段そっけない感じの奴が玉子焼きをくれたとか・・・
優しいクラスメートたちだったなぁ。。。(^^ ) >>329
沖縄ではご飯のおかずにフライドチキン(ケンタ)、
結婚式の引き出物?にもフライドチキン(ケンタ)、
盆や正月の晴れの日にもフライドチキン(ケンタ)、
みんな大好きフライドチキン(ケンタ)、らしいw byケンミンショー
ピーナにとっちゃあフライドチキンは凄いご馳走かもしれん。
父が幸せならばいいジャマイカw >>331
確かにピーナはチキン好きだね
パパ幸せそうだからいいやw
見た目日本人離れしてきたけどwww 漫画ブラックジャックが好きだったので弁当のオカズのリクエストを聞かれると「ヒョウタンツギ」と答えていた。
ある日ゴハンにそぼろや海苔でヒョウタンツギっぽい絵が描かれていて、俺はオカンの画力に涙した。 玉ねぎと玉子の炒め物が大好物なんだが
お弁当のおかずにすると汁気が多すぎて悲惨な状態になる
味はうまいんだけど、見た目の悪さに泣ける 中学生の時孤立しがちだったんだけど、お昼は親切な女子グループが一緒に食べようって誘ってくれてた。
ある日、一人がお弁当箱を開けたら卵焼きが三つ入ってた。
もう一人の子がお弁当箱を開けたら、そこにも卵焼きが三つ。
「私も卵焼き三つ〜」
「あっ、私も!すごーい!」
なんと偶然その場にいた4、5人全員に卵焼きが三つ入っていた。
「○○さんは?」
と皆の目がいっせいにこっちへ向く。でも私は自分のお弁当箱の中身を知っていたから
「いや、その…」
と口ごもっていると
「見せてー」
とお弁当箱を取られた。ご開帳した瞬間、なんか空気が冷えた。
他の子のカラフルな可愛いお弁当と比べて、私のは煮物とかの地味なおかずだったから。
「いっつもこんな手抜き弁当なんだー、ごめんねー」
などとヘラヘラしながら取り繕った。
母が忙しい中で毎朝お弁当作ってくれてたのに手抜きとか言ってしまった罪悪感と、
どうしようもない惨めさで泣きそうだった。 地味なお弁当は恥ずかしかったな〜
毎日、父お手製新巻鮭がはいってて塩の塊みたいだったから
頑張って食べても一口しか食べられずに残してたっけ。
他は、玉子焼き、青物、漬け物、ご飯に梅干し
毎日。乙女時代は最悪な弁当だった >>336
自分で弁当作らないおめえが悪いんだろ
アホかwwwwwwwwwwww >>336
親父に飯作らせておいて何が乙女だ糞ガキが。
うちは母子家庭で貧しかった。そして、学校は給食がなかった。
昼飯の弁当の中身は、周りと比べると劣ってたが
親なりに世間体等気にしてか、普段家で食べてる物より豪華だったから、僕はお弁当が好きだった。
一度、おかずが卵焼きだけで、卵焼き1:ご飯9の割合の弁当だった時があって、
見られるのが恥ずかしくて、貧しいのが悲しくて、食べずに持って帰って母ちゃんに怒鳴りつけたな。
でもね、その日お母さんはもっと悲しかったと思う…。
甲斐性のない親だと自分を攻めたに違いない…。
あれから長い年月が経ち、僕も社会人になった。貧乏だったから、奨学金や教育ローンを組んだりしてなんとか道を切り開いてきた。その借金はまだ残っている。
けどうちは貧乏だったから家族で旅行も行ったことがない。
九州の田舎からほとんど出たことがない親が元気なうちに、今年中にでも旅行に連れていってあげようと思う。
浅草や皇居、銀座になんか連れていったら喜ぶかな
コピペか知らんが泣ける話はやめてくれ(´・ω;`) 創意工夫が大好きな私と母
幼稚園のお雛様おにぎり(うずらたまごの顔にお内裏様は海苔の着物、お雛様は薄焼き玉子の着物)を皮切りに、
小学校の運動会での
・フランスパン半分にいくつか切れこみを入れて、いろんな具を挟む、ナントカサンド(1980年代は珍しかった)
・でかいおにぎりのあちこちに具を隠したサッカーボールおにぎり
などなど、私の考えたアイデアを実現してくれた
大人になって思う、母に無茶振りしすぎていたとw
自分じゃ朝の忙しい時に、リクエストとか答えられない…
最近弁当作るようになって、なんかしみじみカーチャンの弁当を思い出すよ、ありがとカーチャン
>>343
すんません、携帯からだったんで改行の感覚がよく分からなかったんです><
でも内容は100%事実ですよ。
>>344
いいなぁ。
子供が出来たらそんなの作ってあげたい 貧しくても心のこもった弁当って見て分かるからな
だがしかし、玉子焼きだけってのは、貧しいより手抜きだっただけじゃね?
玉子しかないと理解してたら、家で激怒することもないだろう
単なる手抜きで激怒したんだろう 俺、汚れてるんだろうな。
感動して欲しいだけのかまってちゃんにしか見えない。
小学校の頃、クラスみんなで野球の応援に行った時の弁当。昼に空けてみると、缶詰のカニミソが缶詰ごと&ご飯のみだった。帰ってから文句を言うと、好きでしょ?と一言…好物だが哀しくなった。 漏れは高校時代時々弁当箱の中にご飯とおかず缶がそのまま入っていた。
缶詰はけっこう美味かったので文句は言わなかったが、クラスの連中に
とっては衝撃の弁当だったみたいだ。 缶詰ではないけど、小さい容器のマヨネーズ+ご飯の弁当を持ってきてた先輩がいたな。 行ってた学校は建て替え前の古い建物で、冬場はスチームを使った
暖房があったんだ。温度も上に座っても平気な位の丁度いい温度で、
冬場はいつも朝から弁当をその上に乗っけて昼飯はほかほかの弁当
を楽しんでた。
あとうちの家は共働きで、かーちゃんも朝7時前から仕事に出かけて
たから、弁当の内容は大体は前の晩の残り物とか、作り置きのきく
煮物とかが多かった。時々おかずの汁が漏れて、閉口することもあっ
たけど、それは当たり前のことだと思ってたし、育ち盛りだからい
つも残さずちゃんと食べてた。
でもある日いつものように朝から弁当をスチーム暖房の上に乗せて
温めて、昼休みに食べようと蓋を開けたら
中身は>>240と同じだった。
教室中ににおいが充満して大変だった。
お願いだから弁当にそれはやめてっておかーちゃんに懇願した。 どんなに手抜きだろうが変だろうが、弁当作ってもらってることは感謝しろよ
忙しい朝、自分でやるとなると、相当大変だから ほうれん草のおひたしだけって日があってねぇ>中学時代
汁漏れするは教科書の表紙が「青いは醤油臭く」なるわで泣いたよ・・・ 母親と喧嘩した翌日のお弁当のおかずが最悪だった。おかずが前日の親戚の結婚式の引き出物に付いてきた和菓子だった。 昔の運動会。残暑の陽射しで腐っちゃヤバイと気をつかったカーチャンは
梅干しガッチリ練り込みオニギリ・ワサビしっかり練り込みポテトサラダ
粒々マスタード塗り込みウインナーなどなど、小学校低学年児童には少々キツイ
大人風味の弁当をこさえてくれた。刺激で鼻水でるわ涙目になるわ。
昔は殺菌用ワサビシートなんか無かったからなぁ… うちは共働きで母親は海外出張で長期家をあけるなんてよくあった。
通ってる中学校はお弁当で父親がお弁当をよく作ってくれた。
色合いも全体的に茶色いしおかずが少なくてスカスカの弁当。
友達と皆で食べるのにそんな弁当が嫌で嫌でしょうがなかった。
恥ずかしくていつも隠して食べた。
でも長い事そうしてると友達に怪しまれる。
だからわざと弁当を忘れた。
何回も。
たぶんそんな気持ちに父親も気づいたんだと思う。
段々お弁当じゃなくてお金を渡されて自分で買いなさい。
って言われた。
皆の前でヘタクソな弁当広げなくていいと思うと毎日気が楽だった。
だけどある日起きたらお弁当が置いてあった。
父親は寝てる。
お金もらわないと昼は買えない。
でも昨日夜遅くまでなんかやってたし悪いなと思って弁当を鞄に入れた。
昼になって憂鬱になりながら弁当をあけた。
そこにはちらし寿司が入ってた。
ピンクとか黄色でめっちゃかわいい弁当。
食べながら黒板ボーッ見ててわかった。
そーだ。今日は3月3日だ。
いつもおひな様を母親が出してくれるのに今年はいないから出せない。
それで私が文句言ったから夜中に作ってくれたんだ。
一生懸命卵切ったりピンクの桜田麩かざったり。
もうね。マジで泣いたんだ。
でも2年前に父親が死ぬまでこんな話忘れてた。
ありがとうって言っときゃよかった。
スレチすまん。でも書きたくてたまらんくて。 弁当作ってくれるだけでありがたいじゃないか!
うちなんて作ってくれなかった
料理が苦手、面倒臭いという理由で母親の手料理すらまともに食った事ないorz >360
泣けた
父ちゃんがんばってくれたんだな
お礼は言いそびれただろうけど、きっと気持ちは伝わってるよ >>360
いいお父さんだね。寝ながら泣いちゃったよ。 >>360
かっけぇ父ちゃん
心暖まる話だ(ρ_;) >>360
じーんときました
私もお父さん大事にしよ コピペですまんが、印象に残ってるカキコ
549 :ななしのいるせいかつ :2006/08/12(土) 23:10:24
母は元々、料理が嫌いな為にマズイ
学生の時の弁当持参は、母も俺も(ある意味)嫌だった
一応は気をつかい母に簡単な物で良いと告げておいたら
翌日の遠足当日 河原でひろげた弁当は
食パン3枚にバター&ジャムの共演した弁当でした
周りの友達が これは完璧な手抜きだーと騒ぎましたが
俺の目には きちんとパンのミミが取れてた事に母なりの手があると確信
妹と大喧嘩した翌日、いつも通りお弁当作ってくれたけど
ご飯の上にでっかいハートが書いてあった。
今時本当にこんな嫌がらせするのかと呆れた。
おまえは中学生か
幼稚園の頃お弁当のの中に豆腐田楽やネギとさくらエビ入りの卵焼きやきんぴら.ほうれん草のおかか和えをのり巻きみたいに巻いた物だった。
みんなはアンパンマンのポテトやキャラ弁みたいで可愛い弁当で恥ずかしいかった。
けど担任の先生が弁当を見てこれ何?と豆腐田楽に興味を示し食べていい?と食べてしまった。
そして先生は冷凍物でないおかずでとても美味しいしお母さん素敵ねと言ってくれ嬉しかった。
好き嫌い多い私にお金はかけないでいつもバランスいいお弁当を作ってくれた。
ちなみにそれから先生は私のお弁当の味見を必ずするようになり、母は大きめのお弁当箱に変えてくれたW ただの食パンにジャムを塗ってラップとアルミホイルで巻いた巨大な塊。
恥ずかしくてカーテンに巻き付いて食べた。
かーちゃん…一応女子高生のお弁当なんだぜ…。
でも毎日働き尽くしで家事もしっかりやってたから大変だったんだろうな… 大人になってみれば、別にそこまで恥ずかしがる必要もないな〜
って感じるけど、思春期って罪ね・・・
普通に会社に持っていけるわ〜、食パンにジャムの昼飯www ゆかりごはんのオニギリ2つだけを毎日持って行ってたJK時代。 昔、お母さんがいない時にお父さんが作ってくれたお弁当
お母さんよりも色々な具を入れてくれて
彩りも綺麗だった
ただ詰め込みすぎてミニトマトが全部潰れてたなぁ
あとデッカイおにぎりが2つ
怪力で握ったらしく米がほとんど潰れてて指の跡が幾つかあった 真夏に広げたお弁当箱からは、ぷ〜んと腐ったようなすえたにおいが。
友達が周りから離れて行った・・・ 友達が居なかった頃の遠足
母さんの作ってくれたお弁当に箸がついてなかったから
色のついたプラ製のつまようじ(名称わからない)で食べた
今は立派な大学生
社会人になるまでは弁当も家事もしっかり出来るようになりたい お弁当箱を包むハンカチの結びを解いたら(あれ、今日の弁当箱なんか細長くね?)
中からカップヌードルと水筒(お湯入り)が出てきたとき(中学の時だった)、
友達からは憐れな目で見られ、
担任からは、「○○(俺の名前)、先生が家庭訪問しようか」とか
言われた >>379
よくこういう話があるが、朝の時点で気づかなかったのかと 母に、おかずたらこ入れてくれよ と言ったら
見事に白米と焼きたらこ(しかもノーカット)だけだった・・
たらこ丸かぶりしたのは初めてだった 30年代生まれだが
マルシンのハンバーグと 加ト吉の冷凍エビフライが
初めて弁当に入ってたときは こんなにうまいものが この世に・・・
泣いた 毎日弁当箱いっぱいに詰めたご飯に海苔敷いてしょうゆかけた弁当だった。
周りにはのり弁とかあだ名付けられた。 うちは母子家庭だったけど、祖父も母も士業だったからお金には困らなかった。
でも母が、家事はできないしやらない。仕事に専念する。と宣言して、祖母が家事を全部やってた。
お弁当は祖母の感覚で作るからいつも茶色一色でいやだった。
しかしある時、母の気まぐれで作られた冷凍食品満載の弁当を食べ、あまりのまずさにびっくりすると共に、祖母の偉大さと愛情を感じ、いろんな意味で泣けたので、文句を言わなくなった。
いまだに冷凍野菜の食感が苦手だ。 自称料理上手のカーチャンの卵焼き中がどろっとハンジュクだった
気分悪くなりながら食べてた >>389
子供の味覚だと冷凍食品は美味いんだがなぁ
やはり>>389の母が料理下手だったんでは
>>390
それが美味いのに。>>390の母は料理上手 >>391
弁当に半熟の卵は危険すぎるぞ
つーか玉子焼きの場合半熟にしないだろ
弁当で半熟はだめだけど、ご飯のおかずなら半熟うまいよ。
オムレツも半熟うまいじゃん。それと一緒だと思うんだけどどうかな? 果物は入れんな!!!
彩りに使うならミニトマトでいいんだよ 妹の話だが、小学校高学年の時銀色の楕円形の弁当箱開けたら
ロールパン(卵サンド)2つだったらしく、泣いて帰ってきた
オレも、さすがに女の子だし遠足とかならまだしも…と、思った
ちなみに母親は料理はうまいしレパートリーも豊富 母ちゃんの手作り弁当よりカップ麺にあこがれた時期ってあるよね?
社会人になった今じゃ考えられないけど。 中1〜中2の時の話。
おかずは冷凍食品のフライ数種、ご飯の上にはごはんですよがのっていた。
休みの日以外ほぼそれ食べてた。母と仲悪かったから何も言えなかった。
作ってくれただけマシかな・・・。 400ゲット!
亡母の弁当はうまかった。
思い出したら懐かしくて泣けたよ。 母が早くに亡くなり、10歳上の姉がお弁当を作ってくれていた
中学生の時、子持ちししゃもの旨さにはまりどうしても弁当に入れて欲しかった
早く言わなかった俺が悪いんだけど、夜になって「明日の弁当に子持ちししゃも入れて」と
リクエストしたら、当然「明日は無理。明後日のお弁当に入れてあげるから」と却下。
末っ子で我が儘だった俺は、猛烈にごねた。
姉は結局車で片道20分かけて深夜営業のスーパーまで行ってくれた。
次の日、少しの罪悪感とワクワクで弁当を開けると、中身はぎっしり子持ちししゃも。
白米無し。他のおかずも無し。100%子持ちししゃも。
自業自得なんだけど、姉の静かな怒りを感じた。 アルミホイルに包んだおにぎり二つだったな。
しかも大きい丸い形のやつだった。
おれ…三角おにぎりは作れるけど、丸い形のは未だに作れないな…。 ある日、白米と鯖の味噌煮の缶詰だったしかし缶切りが入ってなくて泣いた… 中学生の時だったか、箸の刺さらないゴワコワのご飯弁当
今でも忘れられないよカーチャン 夏に弁当が傷んでいたことが何度かあった。腐っている弁当なんて
持ってきているのは私だけだったろうな。
朝、たしかに炊飯ジャーから湯気が立ち上っていたのに
残りご飯を詰め込むという暴挙をやっていたわけ。
女なんだから、家計と経済性を考えろって。
空腹で惨めで、お腹を鳴らし午後の授業に突入した思い出。
一度目は我慢したけど2度目以降は激怒した。
ブランドものがいっぱいから欲しいという理由で働気に出ている
母に代わり、洗濯屋・掃除・買い物、それらのほとんどを日常でやっていたのは
私だった。でも料理だけは母。
弁当が腐ってた?ならたべなきゃいいだけじゃんよ・・だって。
口論になり置き時計を投げたら母の顔に当たり、流血。
母は娘には
女対女みたいな陰険な厳しさを押し付けることがある。
中学の頃の話。
自分の弁当のなかみではなく、ある男子生徒の弁当の中身を見て泣けた。
そこ子はいつも美味しそうなお弁当を持ってきていた。
色とりどりでバランスも考えられた内容で、別容器には
ヨーグルトやプリンなども持ってきていた。
すべてお母さんの手作りなんだと言っていた。
ほんと羨ましくてさ、うちのババーの弁当とこうも違うのかと。
その彼がある頃からパンばかりの日々だったので、何故?ってきいたけど
黙ってうつむいてた。
それから数ヶ月たったとき、朝のホームルームで
彼のお母さんが亡くなりましたと先生から聞かされた。癌だった。
彼は机に突っ伏してしくしくと泣き出してしまい、みんな凍りついてしまった。
その彼の背中に手を回し、優しく声をかけた別の男子がいた。
その子お母さんもすでに亡くなっていて、私の母と友人だった人。
それ以降、彼らは2人でよくお昼食べていた。
弁当はお父さんが作るそうで、ご飯がめいっぱい詰め込まれ
スーパーの惣菜もろってかんじ。可哀想だなとおもえたけど、
当人たちはニコニコたべてた。やはり友人という存在は
どんなものでも美味しくさせるのかね。
ツナ缶(1缶まんま)と白飯だけだった時は恥ずかしくて開けれなかった
マヨネーズがあったのがせめてもの救い >>414
不器用に弁当を作ってくれる父親の愛情も痛感してたんじゃないかな ttp://ameblo.jp/lucky617/image-10940739867-11324628942.html