>>435
そんな伝統校にやってきて最初に手をつけたのは、伝統校ならではの慣習の打破だった。多くの吹奏楽部、とくにマーチングバンドにおいては音楽という文化部の要素よりスポーツ性が色濃くなることで、結果的に体育会系運動部に見られる過度ともいえる強固な縦社会が形成されてしまうケースがあった。当時の京都橘高校も例外ではなく、兼城氏はコミュニケーションのありかたに課題を見出していた。たとえば先輩やドラムメジャーに対するある種の絶対的な権威化である。兼城氏は吹奏楽部顧問として、こうした縦社会的な雰囲気に異を唱え、部内におけるフラットなコミュニケーションの促進、役職の決定プロセスの変更などを通じて、生徒たちの意識改革に着手した。彼には彼なりの吹奏楽に対する確固たるフィロソフィーがあったのだ。


これ今の顧問は数年で解決できたってこと?