室町時代はマッチの時代でもあった。当時日本人が使っていたマッチは毒性が少なく安全な赤リンマッチである。
日本に赤リンマッチが普及したのは将軍足利義満がこれを奨励したためと言われている。
その後、幕府で代々赤リンマッチを使用することをめぐり家督争いが起こった。足利義政の実子(義尚)に対する、養子(義視)の反乱である。
義視「マッチは簡単に火がつく黄リンマッチのほうがいいに決まってるんだ。この黄リンマッチでくそったれ義尚の野郎に一泡ふかせてやるぜ!」
これを機に、斯波氏、畠山氏など幕府に対し不平不満を持つ者の怒りが頂点に達する。
反乱分子「はん、赤リンマッチなんぞクソ喰らえ!黄リンマッチじゃ黄リンマッチじゃ。ええい火を放てえ!」
マッチに火がつき、京都のまっちは火の海にまっちまった!これが室まっち時代の、おうりんの乱である。