これも事実なのだろうか?

1985年8月14日の読売新聞によると、脅迫されたハウス食品の浦上郁夫社長が、この事件の犯行終結がなされることを知り、同社の創業者・前社長であり氏の父親にあたる浦上靖介の墓前に報告するため123便に搭乗し事故に巻き込まれこの世を去ったとのことである。即ち、JAL123便にはハウス食品工業の浦上郁夫社長(当時)が搭乗していた。また、社長は怪人二十一面相と名乗る人物からの脅迫で、たびたび東京―大阪間を往復していたとの情報もある。即ち、社長と犯人達との接触の線が考えられる。犯人の一味も当便に搭乗していたと云うことも考えられる。更には、グリコ・森永事件の捜査を担当していた刑事が、この便に搭乗していたとの情報も流されている。

「不二家」の社長も「JAL123便墜落事故」によって死亡していたことが判明している。