1991年(平成3年)1月2日午後5時、佐賀県佐賀市の旅館で同窓会が開かれた。同窓生40数人、恩師5人が参加。地元中学の卒業生が12年ぶりに再会した。同窓生は昔話に花を咲かせ、酒も進み、盛り上がった。

しかし、ひとつだけ気になる点があった。不思議なことにその宴会場には、自ら幹事を申し出た赤沢俊一(仮名/当時27歳)の姿がなかった。この欠席については
「会社の用事で急に来られなくなった」と聞き、「来られなくて残念だったね」
とみんなで言っていたくらいで、誰も不審に思う者はいなかった。

翌3日、同窓会の出席者は新聞の社会面を大きく飾った見出しに愕然とする。

「同窓会大量殺人計画!?」

ヒ素入りビールと爆弾・・・

この事件の犯人こそ同窓会を企画した赤沢だった。