平沢貞通犯人説(単独犯)の根拠
・平沢は、事件直後(3日後の1948年1月29日?)
に8万円の金を東京銀行に預金している上、ほぼ
同じ時期に妻に5万4000円の金を渡している。
これらの合計金額13万4000円は、現代の価値に換算すれば1000万円を超える。こんな大金をどこで
入手したか、平沢本人が全く覚えていないのは
おかしい。平沢は金銭に無頓着だったようだが、
妻子があり娘婿がいた。彼ら彼女らは不審に思
っただろうし、問い詰めただろう。
春画を売って得た金だから言いたくなかった
という話もあるが、あれだけ強硬に無実を訴えた
平沢が無実証明のための有力証拠を自ら隠して
いるのは不自然かつ非常識。

・平沢は事件当日、丸の内にある船舶運営会を
訪ね、次女の夫と会っている。弁護側は、午後
2時半まで平沢が船舶運営会にいたとして、事件
があった午後3時過ぎに事件現場(豊島区長崎)
に行くのは物理的に不可能であるとする。
だが、船舶運営会の事務員は平沢は午後2時前には退出していたと証言している。
1時間半あれば丸の内から現場に行くのは可能で
ある。
事務員は警察・検察に証言を強要された、と言わ
れたらそれまでだが、平沢の「身内」である娘婿
や船舶運営会を開催した会社の社員の証言より、
信用性がある立場の人物の証言であることは重い。

・特定のこと(絵)に熱中する割に、興味のない
こと(金銭)には無頓着な平沢の性格と、事件の
犯人像が重なる。画家であり、芸術的に利用する
観点から薬に強い興味をもってもおかしくないし、陸軍防疫班所属の医学博士と親交をもつほど広い
人脈をもつ平沢ならGHQの防疫関係者の名前を
知っていてもそこまでおかしくないような。
絵にかけた情熱を毒殺の練習に注ぐ一途さと、
現場にあった44万円の大金を見落とす詰めの甘さ、そして盗んだ小切手をもって翌日に換金に現れる
大胆さというか稚拙さが、平沢らしいという
印象を受ける。