解釈押し付け失礼します。
>>817 のような星座=結束バンドへの想いも確実につづられてる(特に最後らへん)とは思ってるが
考え続けた結果、やはり「星座になれたら」の主題に関してはひとりx喜多の要素が強いと感じた
郁代とぼっち2人の文化祭って山田リョウ監督が強調してた面もあってな。
個人的には >>193 の考え方で歌詞のどの部分も齟齬なく完走できた感ある
歌詞の内容は例外なく全て後藤ひとり目線だと思ってる。以下の歌詞も該当

いいな 君は みんなから愛されて
↑友達がいっぱいいる喜多への憧れ
「いいや 僕は ずっと一人きりさ」
↑遥か彼方の存在である喜多と自分を比較した結果、ぼっちである拗れ感情が強く発露し
思わずひとりごととして口に出てしまったから歌詞もあえて鍵括弧?

すべて妄想です
無理を感じるかもしれんのは2番の"別れ"の部分かな
でも2番は喜多ちゃん離脱騒動が想起されるからいいと思うけどな