豊川奨励会員がウェイトトレーニングを始めた理由

――豊川奨励会員がなぜ筋トレを始めたか、知っていますか?

渡辺 いえ、聞いたことないです。

 豊川は親父ギャグとパワフルな解説でファンに人気だが、42歳で「鬼の住処」ことB級1組に昇級した根性の棋士である。昇級インタビューでは「(負けた最終戦を聞かれて)内容はナイヨウでしたね」「ようやく地下1階(B1)です。あはは。いつも子どもに『パパ、Cはないよ』といわれていたのでちょっといばれます」とおどけた。

 奨励会に入ったのは1982年、高校1年生のときだった。関東奨励会の同期入会は小学校6年生の羽生善治九段、森内俊之九段、郷田真隆九段らで、関西には佐藤康光九段がいた。天才集団との競争は不利に思われたが、豊川はわずか2年半で二段に昇段する。「僕は羽生さんを追っかけていたんですよ」の言葉も頷けるだろう。


 羽生三段に追いつくチャンスを迎えたことがあった。しかし、豊川は郷田初段を相手に詰みを逃して三段になれず、二段で停滞する。そのときに出会ったのが、丸山忠久九段らと汗を流したウェートトレーニングだった。『将棋・名勝負の裏側―棋士×棋士対談―』(将棋世界編、2016年、マイナビ出版)から、
豊川の語りを引用しよう(対談相手はゴキゲン中飛車の近藤正和七段)。


〈僕は20歳のとき、体を壊した。二段に4年いたとき。胸が痛くなって、神経衰弱なんだね。盤の前に座っていられなくって、本当に死ぬんじゃないかと思った。どうせ死ぬなら独りで死のうと思って一人暮らしを始めたんだ。15のときから不良だった。めちゃくちゃ勉強したけど、悪い遊びもした。それで夜の生活から昼の生活に変えようと思って、ウエートトレーニングを始めたんだ。



(中略)

(20歳からの10年間、毎日3時間トレーニングしたことについて)いま思えば、その時間を将棋の勉強の時間に当てればよかったんだけど、健康にはなった。ただのアホですよ。肉食って牛乳飲んで、ロースはだめ、ヒレを食べろって。僕は金がないから、牛乳とポテトチップで肉をつけた。それに丸ちゃんも付き合った
。丸ちゃんのささやかな青春だと思う。丸ちゃんはいまでも自分と向き合うためにトレーニングを続けている。将棋のためなんですよ〉