箱根駅伝関連:ちょっと黒い話
正月の2日・3日に開催され、今や人気・知名度も抜群となった一大イベントの
裏側をひっそりと語るスレ。 中村清は選手を殴らない。代わりに自分を殴る。
どのくらい殴るかというと血がボコッと噴き出て、目から涙が出るくらい全力で自分を殴る。
瀬古利彦を始め、多くの選手を育成したが敵の数が多かった。 2001年の箱根駅伝。役員の手違いで往路3位の法政大学の6区の時差スタート時間が25秒遅れる。
途中で後続の大学に抜かれたが、25秒ぶん実際はプラスなので、6区終了時点では順位に変動なし。 箱根駅伝6区山下り(1980年)
沿道の観客「早稲田、頑張れ〜!!」
早稲田・中村清監督「こんな下手くそに応援なんかせんでいい!!」 瀬古利彦氏の次男と元・中日ドラゴンズの山本昌氏の娘が結婚して、今年二世が誕生する予定。
山本昌氏の野球殿堂入りを心から祝福したい。 瀬古氏には4人の息子がいる。
「昴」と命名された長男は昨年34歳の生涯を閉じた。
しかし、大変に立派な人物だったと伝え聞く。
文才も相当なもので、死の直前、自費出版で瀬古家の実態を明るい筆致で綴っていたという。その本を是非読みたいと思ったが、残念ながら、入手出来ていない。 85年の6区山登りは雪の中のレース。
区間賞を獲ったが雪に足を捕られて転倒するなど苦戦を強いられた順天堂大学の羽柴卓也。
沢木監督としてはここで2分差を詰める目論見だったが、21秒詰めたにとどまり、事実上ここで早稲田の2連覇は決まった。
最初で最後の箱根駅伝を走った6区・赤堀正司が影のヒーロー。 タスキリレーは白線の手前側で受け取ってはいけない。
そこはまだ、前走者のテリトリーになる。
91年だったと思うが、早稲田の8区走者・近藤雄二が手前側に立って
待っていたら、役員に注意されていた。
つい最近の高校駅伝で、高知県代表の高校が留学生選手がリレーゾーンの
手前側でタスキを受け取ったとして、後で失格にされていたが、これは
運営側が悪い。ルールはルールなのかも知れないが、後になってから
ビデオでも見て判明したのだろうが、私に言わせれば「時効成立」である。
注意するならば事前にしなければいけない。
早稲田の近藤雄二は現在は読売新聞の記者。谷間の時代の選手だったので
箱根駅伝に出られたが、5000Ⅿは15分台の選手なので区間下位は
やむを得ない。53歳の現在でもフルマラソンで2時間40分台で走れる
というから維持する能力は大変なもので、立派だと思う。
箱根駅伝ランナーで新聞記者に転じた選手と言えば、近藤記者のほかに
スポーツ報知の竹内達朗記者が東洋大学時代に箱根駅伝を3回走っている
ほか、99年に早稲田の10区を走った増田創至記者が朝日新聞に務めて
いる。ほかにも存在するかも知れないが、私は知らない。 タスキリレーの時に、待ち受けている筈の次の走者がいない、というのは町の
ローカル駅伝では結構あるらしい。
予定にない選手が「替え玉」として走ってしまうということも結構あるようだ。
付き添いの某選手。本来走る予定にないから、直前にたっぷりと食事を摂って
爪楊枝を口にくわえてリラックス・スタイルで店を出た。
と、タスキを受け取る筈の選手がリレー・ゾーンにいない。
機転を利かせて、ランシャツ・ランパン姿になり、タスキを受け取って急遽
走り出したが、食事の直後で、消化しきれていない。
数分後。さっき食べたばかりのものを路上に積み上げていたという。
気の毒でならない(´;ω;`) 瀬古利彦など多くの選手を指導した中村清(1913〜1985)は1936年のベルリン五輪代表(1500m)。1500mの元・日本記録保持者。
1935年から1937年まで3回早大の選手として箱根駅伝を走り、1区で区間賞を記録したこともある。
戦争で中国大陸に渡り、そこでは殺人経験もあるという。瀬古氏も中村氏本人から、現地での話を聞かされたとコメントしている。
殺人経験があるからといって、非難することは出来ない。「殺るか殺られるか」とう極限の状況に身を置かれて、やむを得ず決行したのだろう。
射撃の名手だったとも言われている。
選手が自分の意のままに動いてくれない時、
「オレは中国大陸で命のやり取りをしてきたんだ! お前みたいな小僧をひねり潰すくらい、わけもないんだ!」と言って恫喝していたようである。
近くにあった電気スタンドを滅茶苦茶に叩き壊して、恐れのあまり先輩選手が泣きじゃくっていたのを作家の黒木亮(本名は金山雅之。箱根駅伝に2回出場。
79年3区13位。80年8区6位)も本に書いている。 山梨学院大学の留学生選手として4年連続で箱根駅伝を走ったステファン・マヤカ選手はケニア出身。2005年に日本国籍を取得して真也加ステファンと名前を
改めた。桜美林大学の監督を務めている。 箱根駅伝史上初の留学生選手・ジョセフ・オツオリ氏はケニアへの
帰省中に交通事故で他界した。享年37歳。
日本の重川材木店(だったと思う)でコーチ兼任選手だった。
山梨学院大学では「永遠の護り神」とするという文面で銅像を建てた。
上田誠仁監督(現・総監督)は「オツオリは死んではいない!」と
言い続け、電話の履歴を消していないままだという。 現在の1月2日・3日の開催になったのは、1955年の時から。
1927年は4月9日・10日の開催だった。
前年の大正天皇崩御(12月25日)の影響で開催が遅れたもの。 1500・3000・5000の3種目で高校日本記録を樹立した佐藤圭汰(洛南)は駒大。
今年の箱根駅伝1区で区間新を樹立した吉居大和の実弟・吉居駿恭(仙台育英)は兄と
同じ中大へ進学。 戦前に日大が「替え玉ランナー」を起用したことがある。 寺田先生が川内優輝と一緒に女子マラソンのペースメーカー(第2グループ)を
務めているが、コース間違いに期待したい。 1925(大正14)年1月6日。
日大は吉田正雄選手を登録名として起用したが、実際に走ったのは「大山」なる
人力車夫だった。
起用した監督は相当に腹の黒い人物だったのだろう。
翌年、日大は、この時の不祥事の責任を取る形で出場辞退に追い込まれている。
4区走者も「どこの馬の骨とも知らない男」が前から走ってきて、「おかしい」
と思いながらタスキを受け取ったという。 箱根駅伝8回優勝の岡野章監督が退陣に追い込まれた82年の日体大クーデター 岡野章監督は、64年東京五輪で女子バレーボールの監督だった
大松博文氏の甥。 昔は社会人経由で大学に入って来た選手が結構見られたが、最近は少ない。
今年の駿河台大学の4区を走った今井選手は、昔懐かしいタイプ。 今井選手は、いい指導者になれるでしょう。
徳本監督が意外にも指導者に向いていたのには驚き。
プロ野球で言えば日本ハムの新庄監督みたいなタイプで、古臭い根性論とかを破壊してくれそう。
今後も楽しみにしよう(*´ω`*) 日大もだけど東農大や亜細亜大学も監督がよく変わる印象 全国の有望高校生の脳内には「日大はやめておけ」と刷り込まれだしている。
前々監督の武者由幸氏を斬ってしまったのはマズかった。
指導者として有能かどうかは分からなかったが、山下りのノウハウがあり、
まだ30代の若さ。少なくとも中央大学ならばスカウトとして残しておいた
だろう。碓井哲雄さんが「安易に監督をコロコロ変えるな!」と怒っていたのは
「日大批判」と捉えて間違いない。 「名門」とか「古豪」とか言われる大学は古株のОBがうるさい。
しがらみのない新興勢力の大学でノビノビやるのも選択肢の一つだ。 昨年、高校駅伝で全国に行った東海大相模を率いるのは東海大学・両角監督の長男 東海大相模は完全地元密着型の高校で陸上部は寮もない。
イメージと随分違う学校だが、突出した高校のなかった神奈川で頭一つ抜きんでた
高校に今後なるのではないか。東海大学のトンネル高校としての役割も大きいと思う。 3年以内に立教大学が箱根駅伝に帰ってくると予想する。 4年連続区間最下位はまだ誰もいない。
惜しかったのは明治大学の井上晋一。2年9区・3年1区・4年7区と区間最下位ながら
2区を走った1年生の時(84年)は記念大会で参加枠が20校と前年よりも5校増加。
区間19位だった。この井上晋一は87年大会では、テレビにバッチリ映っていた。
タスキを繋いだ1年生の乗松圭太(報徳学園高校で3年連続全国優勝を達成した当時の
レギュラー)の肩をポンポンと叩いてねぎらうと明治応援団に向って手を挙げて颯爽と
平塚方面に向けて走り出していった。その後、社会人でどうなったかは、知らない。 昭和61年の箱根駅伝1区では右翼が大音量で『血液ガッタガタ』を流していたらしい。 大東文化大学はこの春から仙台育英高校の監督を務めていたOBの真名子圭氏(43)が監督に就任する。
今年の箱根駅伝1区で区間新を出した吉居大和は高校時代の教え子にあたる。 國學院大學の下級生が充実。しばらくシード校の常連になりそうな雲行きです。 日体大は岡野監督が退陣してからしばらくは学生主導の自主運営が続いた。
いや、83年の時は関根忠則氏が指揮して優勝していたか。 読売新聞の近藤雄二記者は50代の現在でもフルマラソンを2時間48分11秒で走る
元・箱根駅伝ランナー 映画監督の篠田正浩氏と作家の黒木亮(本名は金山雅之)氏はどちらも箱根駅伝ランナーで
中村清氏の指導を受けた。 立教大学の上野監督は未だに5000mを13分台で走れる(-ω-)/ 東海の両角監督は高校駅伝と箱根駅伝の両方で優勝監督になっているが、
やはり高校駅伝での功績のほうが大きい。何もないところから、両角監督が
立ち上げた組織の高校だから。
東海大学での優勝の時は、タレントに恵まれていて、4年間のうち一度は優勝
出来るだろう、と先読み出来たから。もっと勝っても良かった。
教え子たちが徐々に指導者として活動しだしている。そちらの面も注目したい。 現在、駿河台大学の監督を務める徳本一善氏が箱根駅伝2区で涙のリタイヤから早や20年。
全力で徳本氏を止めた成田監督は法政大学4年時に瀬古利彦氏(早大2年)を抑えて区間賞を
取ったほどの実力者だった。日産自動車など、実業団でも地味に活躍。
普段はおとなしいタイプだが、ここ一番では問答無用。徳本氏もあの時の成田監督の「責任は
全て俺が取る」という気迫を肌で感じて感謝していることだろう。
挫折もプラスに転じて今があると思いたい。 大東大の第2期黄金時代の主軸で同大学の監督も長く務めた奈良修氏が
愛知県の豊川高校の男子陸上部の監督に就任。
箱根駅伝5区の山登りで有名人。 早稲田大学の監督にOBで前GMOアスリーツ監督の花田勝彦氏が就任。
相良豊監督は元の参謀の立場に戻る。
全くの無名校だった上武大学を箱根駅伝出場まで漕ぎ付けた花田氏の手腕に注目が集まる。 花田氏は進学校の彦根東高校時代に部員の練習メニューも自らが作成するなど
実質指導者だった。
同好会同然だった上に群馬県という立地条件の不利(都会志向の学生は敬遠する)
から師匠の瀬古利彦氏からは「城西大学(埼玉県)よりも苦労するぞ」と花田氏の
上武大学監督就任には大反対したという。
早稲田の監督就任は、戦力的には遥かに恵まれているから、予選会から出直す今年の
秋の箱根駅伝本戦出場は確実で、来年の本番でも5位以内に入ってもおかしくない。
ただ、OBがうるさすぎる。愛情の裏返しなのだろうが、あまり現場介入しないで
頂きたい。
相良氏は元のポジションに戻るが、監督は荷が重いが、参謀役としては非常に光る
ものがある。山下りのノウハウを持っているのも大きい。
花田氏が監督を務める期間が早稲田はチャンス。5年以内に箱根駅伝で優勝すると
コメントしておく。 上武大学の新監督にアテネ五輪マラソン6位の東海大OB・諏訪利成氏が就任。
近藤重勝前監督はヘッドコーチとして残留。
早稲田大学と同じく上武も前監督を参謀役に回す。こういう人事は悪くないと思う。 箱根駅伝の解説を務める住友電工陸上部監督(早大OB)の渡辺康幸氏が
「開運! なんでも鑑定団」(17日)に出演。
20万円の本人評価額に対して鑑定評価額120万円という6倍の鑑定結果が出た。 邪馬台国が箱根にあったっていいじゃねえか、ちゅうこっちゃ。 【癌、ウィルス】 日本は抗癌剤、ワクチンの処分場
://mao.5ch.net/test/read.cgi/cancer/1600659991/l50
東京五輪マラソン6位の大迫傑選手が引退撤回後の初レースを昨日5日、
横浜市の日体大グラウンドでの5000m記録会で行った。
13分30秒で走破。健在ぶりを誇示。
青学の原監督も現地に来ていて、大迫選手の走りを絶賛していたという。
この日体大記録会は一度だけ現地に行って見たことがある。
別府健至駅伝監督と、石井隆士総監督が談笑しているのを目にした(肩書きは当時)
日体大が下馬評を覆して箱根駅伝に優勝した2013年から遡ることさらに10年
以上前の話。 今日は全日本大学駅伝の予選会。
前回大会で8位までの大学はシード権が与えられている。
箱根駅伝上位の東洋大学がシード権を得ていなかったのは意外に思える。 全日本大学駅伝予選会と箱根駅伝予選会では結果が全く違ってきそう。
今回の全日本の予選会で意外だったのは、日体大が15位に沈んだこと。
箱根の戦い方は熟知しているので、恐らく予選通過すると思う。 男鹿駅伝・6月25日開催
東洋大学が優勝。箱根駅伝などの登竜門的な位置付けの大会で箱根駅伝未出場の選手で構成される「お試し」のような大会。
これで、箱根などの駅伝に直結するというわけではないが、新戦力の実力を計る一つの目安にはなる。
2位は青山学院大学。他に順天堂大学や中央大学、東海大学などが参加していた。 2023年秋の箱根駅伝予選会は全国の大学に門戸を広げることが決定。
これにより2024年正月の第100回箱根駅伝記念大会は、例えば京都産業大学あたりの
出場も可能になった。京産大はかつて全日本大学駅伝で日体大や大東大・日大などを
抑えて全日本大学駅伝で優勝した実績を持つが、全日本大学駅伝が1月下旬開催だったのが
11月開催になってから、関東の大学が本格的に参戦するようになって、次第に関東の
大学の上位独占状態の時代へ移行していた。 参加校は30校くらいになっても構わない。繰り上げスタートがあるし。 現状は関東の大学が文字通り地方を圧倒している。
ただ、箱根と無縁だった選手でも高岡寿成(龍谷大学卒)のような大成功例もある。
あと喜多秀喜(福岡大学卒)も。
個々では、いい選手が出るが、いかんせん強い選手が10人集まらない。 箱根のレベルは驚くほど向上したが世界の進歩はさらにその上を行っている。 東京ドームをスタート・ゴール地点にする構想もある。
いずれそうなるかも知れない。 10月15日開催の箱根駅伝予選会(東京都立川市)は3年ぶりに市街地に出るコースにて開催される。 北海道マラソンで箱根駅伝にまだ出たことがない東洋大学の4年生の選手が2位に
入っていた。2時間11分台。この走力があればメンバーの一角に食い込んでくることでしょう。 もう出雲駅伝が近付いてきている。
去年優勝したのは東京国際大学。うっかりしがちだが本当の話。
6人で繋ぐ駅伝なので箱根とは随分と性質が違う。 立教大学が55年ぶりに箱根駅伝出場権を獲得するかもです(*´ω`*) ボストン・マラソン優勝者の田中茂樹氏が91歳で亡くなられた。
日大OB。箱根駅伝5区1位の実績を持つ。 出雲駅伝まもなくですが何となく東京国際大学が勝ちそうな予感。箱根駅伝とは距離も人数も違うので、
かなり順位が違ってくる気が。
中央大学も上位に来るかもです。 中央が勝つとしたら1区で吉居兄が後続を引き離してそのまま逃げるしかない。 駒沢大学快勝だった。
箱根駅伝予選会は立教大学が久々に出場出来るかに注目。 箱根駅伝予選会。明治・東海・早稲田・神奈川・日体大は通ると見る。 東海、明治、早稲田、神奈川、日体、大東文化、国士舘、山梨学院、中央学院、立教。
最後の立教大学はいささか時期尚早かも。
外れた時の保険として、
専修、城西、筑波、上武、駿河台。ここまで名前の挙がった大学の中から出場校が出ると思います! 立教大学は55年ぶりくらいの箱根駅伝復活でしょう。
外れたら責任を取って人生にピリオドを打ちます。なんちって。 立教大学インはまだしも神奈川大学アウトは誰も当たっていないかも。
陸上専門誌ですら上位通過予想。 訃報。日大前駅伝監督の小川聡氏が肝硬変のため死去。享年65歳。再建半ばで体調不良のため、この夏に辞任。冥福を祈る(-_-;) 非常に難しいですが明日の全日本大学駅伝は
1位 駒沢大学
2位 青山学院大学
3位 中央大学
と予想。 神奈川に日大は箱根駅伝不出場の憂さを晴らしたいところ ♪マンションのことならハセコー
タラララッタッタ♬
スポンサーになってくれるのはありがたいが毎年この鬱陶しい曲を聞かされるのは苦痛である(-ω-) なんとなく顔が似ている。
駒沢大学の田澤廉とAV女優のエリカ・ローレン(67歳) 佐久長聖の吉岡大翔が5000mで高校日本記録樹立。
13分22秒99。驚異的😱 瀬古利彦氏の5000の自己ベストを高校生の段階で超えているのは驚異的すぎる・・・・・ 日体大OBでボストン・マラソン優勝(当時の大会新)ミュンヘン五輪マラソン代表など輝かしい経歴を持つ
采谷義秋(うねたに・よしあき)氏が78歳で亡くなった。実業団に属さず、高校の教員として競技を続けた
采谷氏は、現代で言えば川内優輝選手のような存在といったところか。
見るからに好人物そうな顔立ちで悪く言う人が全くいなかった。冥福を祈る(-ω-) 羽生(はにゅう)拓矢が1万メートルで27分27秒49の日本歴代4位の記録をマーク。
八千代松陰高校時代はトップ級選手。塊で大物が東海大学に進学したが、その中心格の選手でもあった。
ところが東海大学では故障に苦しみ、一度も箱根駅伝を走ることなく終わった。
正直、名前を忘れかけていた。見事な復活である。日の丸を付けて国際大会で走るのも夢ではない。 今日いよいよ箱根駅伝の第1次エントリーがあります。 エースを故障で欠く東洋大学はシード権確保が現実的な目標