【アレクサンドロス】マケドニアファランクス【ディアドコイ】
>2
なんかエパミノンダスと面識があったようなことを読んだ記憶があるが
定かではない >>2
フィリポスはマケドニアで内乱があった時の戦後処理でテーバイへ人質として送られたんだよ
で、>>5の言うエパミノンダスの友人のもとに預けられた
そこで確かエパミノンダスに私淑して様々なことを学んだらしい
このあとローマは短剣に切り替えるんだな
日本の戦国期とかはまた長槍になってるけど
結局どっちが有利なんだろ >>10
長槍だと戦闘中に動きにくいから嫌われたのかね
重騎兵に側面を狙われるようになって
ファランクスは消滅したと解説されているが…
近世初頭に、マスケット銃をパイクマンで守るために
密集隊形が復活
その後銃の性能向上とともに再び下火にということらしい フィリポス二世以前の歩兵主体のヘラスが諸兵科連合のペルシアに勝てたのは謎 >>13
なんだかんだ言って決戦ではファランクスは十分強力だったって事では?
それそこ両翼を破って包囲するという戦術が出てくるまでは >>14
そうだった可能性も高いけどね
しかしペルシアの騎兵には相当、痛い目見させられたとも考えられないかな?
その経験がフィリポスにヘタイロイを編成させたんじゃないかな? >>10
ローマ兵がグラディウス以前に使っていたのは普通の短槍。
マケドニア・ファランクスが消滅したのは、ディアドゴイ諸国が
機動力を犠牲にして槍を長くしすぎて、歩騎連合の機動力のある
ローマ軍団に一掃された。
>>12
歩兵による密集隊形自体は中世でも対騎兵戦術として一般的なもの。
スイス軍がパイクを全軍の1/4に増強した時期のハンドガン兵はわずか2%強。
パイクで銃兵を守るという思想は16世紀スペインのテルシオから。
パイク兵が消えたのは1687年フランスでソケット式銃剣が発明されたため。
この5年後の戦で、パイク兵が槍を捨てて死者のマスケット銃を使う事態が
起きたため、パイク兵の大幅削減が行われる。
銃剣のない単発銃では騎兵の襲撃から身を守ることはできない。 >>15
・ペルシア戦争でペルシアの騎兵はあまり目立った活躍はしていない。
唯一プラタイアの戦いでいくらか撹乱や強襲に力を発揮しているが、
結局いずれもギリシアの重装歩兵に撃破された。
・ペルシア戦争の最終段階であるミュカレの会戦はBC479年、
フィリッポス2世の即位はBC359年。120年はいくらなんでも空きすぎ。
・ペルシア戦争でマケドニアはペルシア側についている。
ペロポネソス戦争において騎兵の重要性が高まったことの方が
直接の起因としてはありえそうだ。
なお、ペロポネソス戦争は会戦で決着がつかず非常に長引いたため、
敵ポリスの地力をそぐ消耗戦になり、そのために民間人の虐殺・敵の
農地の焦土化・敗走した兵への追撃など、それ以前の戦争ではマナー
違反だった行為が頻繁に行われるようになった。結果、これらの行為
に適した騎兵が重要視されるようになる。
また、424年デリオンの戦いで、テーバイはアテナイ軍を歩兵と伏兵の
騎兵とで左右挟み撃ちして撃破している。これによって、騎兵で敵の
左右を突くという戦術も一般化されたのではないだろうか。