インターネット初期にやったことや、あった出来事
インターネットソリティアをちょっとだけやってた時期があったなw テキストエディタでシコシコとHTMLを書いていた頃
自分のホムペを見た、アメリカ人の女の子からメールが来た
彼女が日本に遊びに来たとき、俺の家に泊まり、1週間セクス三昧だった
マソコ臭かったけど、いい身体してたなあ
しばらくメールのやりとりしてたけど自然消滅
あの頃25才って言ってたから、もう40を過ぎてるなぁ AOLではメール来ると「you've got mail」って音声が流れて
それが楽しみでメール中毒になってた 個人サイトが好きだ
つってもゲームの攻略サイトくらいしか見てなかったけど
管理人の攻略日記とかみるのが大好きだった
いつか自分もやりたいな 中学時代インターネットやってるといってた
ちょっとオタクっぽいやつをいじめていた。
最近の同窓会で、そいつが大学生で起業して、
社員10人年商1億ほどの会社の社長になってることを知り、
ちょっとジェラシー。 黒の背景に写真を真ん中に一枚、その下にアクセスカウンターと少しの説明とメニューバー ネット初期はテレビがアナログで乖離が激しかったな
そのおかげでコアなアングラ文化が成立していた 高校で「趣味はホームページを作ること」と言ったら
女どもに「キショッ」(当時はキモッとは言わなかった)って言われた
クラブはサッカー部で、体育会系だったんだが
それ以来女どもからは無視されていた
阪神大震災の頃で、春休みに震災のボランティアに行って、やっと見直された 今はスマートフォンの普及化で、モバイルでのネット接続も
専用のFOMA端末を用い、パケホーダイダブルを使い、
1.5MbpsのADSL程度の通信速度で通信ができるのですごい。
ノートパソコンとスマートフォンに拠るUSBテザリングでもいい。 リブレットハイパーでデータ通信をしていたら、突然回線が切断。
よく見ると、USBテザリングで接続していたスマートフォン P-06Dの電池切れ。
やっぱり、スマートフォンはバッテリーが持たないなあ…。 洋物ハードコア系(ただし女はアジア人)のBMP画像(VGAサイズのたいして綺麗じゃないやつ)が
大量(といっても数百枚くらい)に保管されているフォルダを発見して大興奮。
当時まともな検索サイトもなく、リンクをたどって見つけた外国のサイトだったので、自分だけが知ってるという優越感に浸ってたな。
テレホタイムになってから、14400bpsのおっそい回線でDLしながら、一晩中センズリこいてたよ。
JPGじゃなかったんで、すごく時間がかかったんだよね。1枚数分から十数分くらいかかってたかな。
ちょっとずつ画面に表示されるのがまた興奮したよ。
それが結合部がほとんど写ってなくて、男優のチソポのアップだったりすると残念〜ってね。
当時使っていたのがMacのLC630でブラウザはmosaicだったよ。 好きなアーティスト検索して出てくるのがファンサイトばかりだった
荒々しい画像なのに画面に出るとスゲー!とか言ってた
公式サイト持ってるアーティストのサイト行くとハイテク過ぎてパソコンがカリカリうるさかった 俺がインターネット始めた頃はパソコン通信全盛の時代でWindows3.1の頃だったな。
14400bpsのモデム使ってた。
OSにも標準でTCP/IP環境すら入っていなくて
ネットに繋ぐにもパソコン通信や雑誌の付録のCD-ROMからソフトかき集めて入れないといけなかった。ブラウザすら一番最初はパソコンショップでNetscapeを金出して買ったよ。確かたいそうなパッケージにフロッピーが入っているという代物だったな。 隣の奥さんとのハメ撮りを
自分のホームページスペースに保管してた 「Javascriptは危険なので無効にするべし」などという意味の分からない主張をしているサイトがいくつかあった。 私はADSLの1.5Mタイプから。
電話局からかなり離れた地域だったので、実効伝送速度は平均で128kbps程度だった。
今はBフレッツにしてから、そんなじれったい感覚はもう忘れた…。
平均で40Mbpsの専用線を手に入れた時のような感動だった。
YouTubeやニコニコ動画を快適に楽しむなら、光回線は欠かせないね。 近所のAPが混んで繋がらなかったので
北海道のAPにつないだのをうっかり戻すのを忘れ
翌月の電話代が万単位に
親にこってり絞られた
大学生の頃 BBSでそのHP管理人から自分専用のアイコンもらえると鼻高々。 黒い芸能界の私書箱システムが楽しくてインターネットにのめり込んだ 2002年頃に当時有名だった
めんたまやきという
主婦ブログにはまった
今だったら書籍化間違いなしの
面白い文章だったなー
絵もかわいかったし あまりメジャーでない映画や楽曲の情報集めようとネットサーフしてみると ファンのサイトばかりで 開いてみると 画像もリンクも 情報もなく、
自分の好きな楽曲や映画のタイトルを羅列してるばかりで
思わず「だから何」って つぶやいてしまうシロモノばかりだった 98年に始めた時は周りでネットの事を知っている人がいなかった
だからネットで詳しい人に聞くしかなかった
またその人達がアングラで凄く詳しすぎて怖かった・・・ デジタモドン!はマックだった。オヤジがテレビでそれみて自宅にあった
エプソン286VGでも出来ると本気で思いこんでいたのは懐かしい思い出。 最初の頃って今みたいにパパッとアクセス(当時、接続ともいってた)出来ず5分くらいかかったかな。
パソコン自体昔のブラウン管テレビみたいな感じでね。
テレビ局もまだ日テレしかホームページがなかったりだった。
日テレの昔のホームページはコンテンツ(昔でいう情報内容?)にゲームとかあったりしてましたよね? プログラムの腕に自信があったので
自分でブラウザを作った
見た目は当時のネスケよりもかっこよくできてたぜ 今では所持・配布すると逮捕されちゃうような物も見ることが出来た。
また、当時は特定プロバイダーに加入せず、Q2回線(単純計算電話代倍勘定)を使って1日10分くらいで繋げてた。 約20年前、HTMLをテキストエディタで一文字ずつ打ち込んでた
その15年くらい前、BASICでマシン語のサブルーチンも含めて30KBくらいの打ち込みは
ちょくちょくやってたから苦にはならなかった
ちなみに今年50才のオサーンですわ
嫁は元フーゾクの女で、人生ただ一人の女なので、シロートドーテー
でも子供は2人いるw 20年近く前、近所で飛び降り自殺があった。
偶然通りかかったため、持っていたデジカメ(確かQV-10)で遠目に撮影。
当時のデジカメだし、距離も離れたとこからだったので、
人が倒れてるくらいしか分からない写真だったが、
「近所で飛び降り!みんな命は大切にしよう」っていう感じで、
自分のホームページにアップした(特にどこにもリンクしてなかったが)
今みたいに、「事件だ!画像うpうp!」なんて時代でもなかった。
ところが、それを見た面識のない人から怒りのメールが届いた
「趣味が悪い」だの「名誉毀損で訴えることもできる」だの、
ネットの風紀委員気取りといった感じの文体だった。
イラッときたので「誰か知らんけどあんたなんかに指図されたくない」
と返し、しばらくメールの応酬があった。
最後に「あなたのような分からず屋がインターネットの世界にいることが嘆かわしい」
というメールがきて、以後メールが途絶えた。
その頃、メールといっても「文章のやりとりが面白い」といった程度のもので、
怒りの内容のものが来るというのは初めての経験で、相手が分からないだけに怖かった。
なにせ、こっちはホームページに顔写真も住所も堂々と載せてたから。 ホームページ巡回ソフトってのがあった。
オフラインでゆっくり読むためにオンラインでウェブページや画像などを
PC上に保存してくれるソフト。 今みたいに無制限じゃなく時間決まってたから(10時間で3000円とか取られてた気がする)
テキパキ動いてたな
まず重い画像は開かず、ひたすらアマゾンでショッピングしてた
その頃はクレカ無かったから只管着払いで佐川のおばちゃんに金持ちねえとか夜勤勤めなのに嫌味言われてた 当時はアナログ電話回線で接続するのが当たり前、しかもネット使用中は電話の通話もできなかった。
電話機接続とパソコン接続をスイッチで切り替えて使用してたから、今みたいに使い放題というわけにはいかなかったしな。 本日自分にとってのインターネット20周年
貯金はたいてPowerMac+mosaic+2400bpsのモデムでインターネットにつながったのが1994年4月6日のこと
思えば人生の半分近くインターネットとともに過ごしてきた
が、最初に見たホームページがなんだったのか全く思い出せない 何か皆名無しさん@お腹いっぱいだなあ、自分も書き込まなくちゃいけんのかなあ… 3ヶ月くらいメールが1通も来なかったな
今は一日300通を下らない
約200通が迷惑メール
98通がフェイスブックのお知らせメール
2通くらい本当に必要なメール スーファミのストUの波動拳の色を変えたコラ画像らしきものを見た。 家に初めて彼女が来た時
部屋においてあるパソコンを見て
露骨に嫌な顔をされた 80年代の半ば、音響カプラーを使ったデータのやりとりをやっていた近所のオタクの人がいた。
自分とは遠縁にあたる人だった(確か、はとこだったと思う)
その当時はカプラーが何かわからなかったが、PC以外にもBCLの受信機とか
作りかけの電子工作とか部屋にいっぱいあって、科学少年だった自分は、よく出入りしていた。
そのオタクの兄さんは今のインターネットを予言するような未来を語っていた
「通信速度は今の1万倍くらいにはなるね」(FTTH)
「世界中の通信システムが一つの規格で結ばれるようになるな」(インターネットそのもの)
「テレビの映像とかもデータ通信で送れるようになるよ」(Youtubeなど動画サイト)
「マイコンを使って買い物とかもできるようになるんじゃないか」(ネットショッピング)
「銀行のシステムに直接つないで、預金とか振込みとかもできたりするね」(ネットバンキング)
「そういうシステムが手のひらに乗るくらいになったりしてなw」(スマホ)
「誰がどこで何をしているか、即座にわかるようになるな」(SNS)
と目を輝かせて語っていた。自分もそんな話をワクワクしながら聞いていた。
ところがインターネットどころかパソコン通信が出てくる前に事故で死んでしまった。
一つ予言が外れていたのは、技術の進歩の速度がもっとゆっくりだと予測していたこと
「ただ、俺たちの生きてる間には無理だ。あと100年はかかる」
「CPUの速度が今の1000倍以上にならないといけない、それには100年必要だ」
「RAMの容量も今の10万倍以上必要だ」
今日はそのオタクの兄さんの27回目の命日です。
兄さんが予想していた未来は30年かからずにやってきましたよ! インターネットで初めて出会ったYahooチャットで出会った
100キロの女と ネット初期って 速度が遅くて不便 だろうけど なんかわくわく感があって楽しそう。 毎晩23:00からお祭り開始だった
ダイヤルアップで接続する瞬間本当にワクワクした
UO楽しかったなあ チャットで自称ゲームオタクの20代OLとオフで会うことになった
行ってみると水商売っぽい女だった、本当にOLかなと疑問に思った
服装はエロかったので、正直これはヤレると思った
とりあえず居酒屋に入ろうということになって繁華街の方に歩き出したところ、明らかに怪しげな男が2人、自分たちの後をつけてきていることに気付いた
美人局を確信し、その場から逃げることを決意した
まず尿意を催したふりをして、公衆便所に入り、そこから携帯に電話がかかってきたような演技をしながら出てきた
「はい、すみません!今からすぐに向かいます、申し訳ありません!」とかいいながら、
彼女には「ごめん、仕事ですごいトラブルが起きた、すぐに行かなきゃ」といって姿をくらました
幸い、本名も、携帯の番号も、住所も教えていなかったのと、待ち合わせた駅が自分の生活圏でなかったので、それから出会うこともなかった
チャットサイトにも出入りしないようにした
まだ従量制の契約をしていた時代の思い出である ピポパポピポパ・・・・・・ピーーヒョロヒョロ キーンキーン・・・ズザーーーッ
若い人には何のことやら分からんだろな Windows95の起動音、終了音、緑色の背景
「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了します」
のエラー表示が出てアプリ落ちが頻発。
まるでこっちが悪事を働いたかのような表現で勝手に終了するのだから
腹が立ったものだった。 >>62
20年近く前、それで怒った挙句、職場のパソコンに蹴りを入れて壊したやつがいたw
まだパソコンの導入に積極的でない上司もいた時代で、比較的寛大な処分で済んでた(修理費自腹と始末書くらいだったと思う)
彼は最近の人事で、執行役員になってたけど、その話は社内では結構有名。 今年の新入社員が小学校低学年の頃、
父親のパソコンを勝手に触っているうちにインターネットにつながってしまったことがあったそうだ
従量制だった時代で、しかも前夜に近所のAPがつながりにくかったので設定を遠方のAPにしてたらしく
後から結構な額の請求がきたそうで、親からむちゃくちゃ怒られたそうだ。
罰としてお年玉を没収されたそうだ。(いまだに親にいやみを言われるらしいwww) 2ちゃんに貼られたリンクは怖くてうかつに踏めなかった 毎日自分のウンコを撮影してアップしてるサイトがあった
確か98年頃だったと思う
サムネイルはちっさくしてあったが、クリックするとかなりでかい画像が出た
一応自分の健康の記録ということでアップしてたようだ
「今日は下痢気味、昨日のもやしとエノキがそのまま出てるwww」
みたいなコメントがあった >>60
モデムの通信音だね。
最新鋭のWindows 10でもアナログモデムやISDN回線はサポートされている。
だが、外出先でのネット接続でしか使わないけどね。 ISDN回線はインターネットをしながら電話ができるすぐれものでした。
※すべての帯域を束ねて、128kbpsでのデータ通信をしている最中では電話は使えず、話し中になってしまいます。
今ではほとんどが光回線による常時接続が主流となり、ダイヤルアップ接続は忘れてしまいましたね。 >>54
5年も前の投稿だが読んでいて泣けてきた
「お兄さんが知らずに死んだ平成も終わって令和がきましたよ!」 チャットで出会ったのは鬼奴とかイモトアヤコみたいな微妙な女ばかりだった
美味しい話はないんだと実感した 最初ネット喫茶に入った時、ネットがわからず高いカネ払ってお絵かきソフトだけやって出てきた 今でも忘れない。21世紀初頭の頃だ。
日本ボランティア会という募金詐欺の悪行をネットが普及した事によって世に知らしめる事が出来て長年の胸のつかえがとれてスッキリした瞬間だったなぁ〜。 昔は皆が皆ホームページを持つ時代がくるものだと思ってた 大学時代、自分のホームページに設置してたチャットルームに
女子中学生で、パソコンオタクでクラスでは孤立してるという子が書き込んできて
人生相談みたいな感じで、しばらくやりとりしているうちに、一度オフで会おうという話になった
俺福岡で、向こうは仙台、多少の下心もあって
なけなしのバイト代で飛行機のチケットを買い
仙台に向かったが、約束の場所に彼女は現れなかった
結局その後チャットルームにも現れず、何だったんだとモヤモヤしてた
顔もお互いしらなかったし、もしかして遠目に見て、印象が悪かったんで、会わずに去ったのか
それとも、ネカマみたいなやつに、はなから騙されてたのか
嫁には言えない25年前の思い出である バイト仲間の連れと
これからはインターネットが伸びてくるかパソコン通信の時代が続くかで言い争いになり
酔った勢いで、殴り合いの喧嘩になった
あれから30年近くたち、パソ通派の俺はしがないヒラのサラリーマン
インターネット派の連れは某通信系で常務
先見の明は大切だと思った
元気かいタカちゃん? 我が家では、専業主婦だが、旧帝大理系卒の母親が最初にインターネットにはまった
得意の英語でアメリカのバックパッカーと知り合いになり、家に泊めたことがあった
やたらと体臭がきつかったことを覚えているw
父親がその後しばらく不機嫌だったw 女性のホームページで自分の下着写真をアップしてるのがあった
下着集めが趣味の方で、顔は写さずに下着を着けてるところだけの写真で
着け心地が軽いとか、見かけによらずキツいとかの感想も書かれていた
ほぼ毎週のように更新されていたと思う
バストトップやヘアーが透けるのは丁寧に修正してあり、修正してますというコメントも書き添えてあった
真面目なサイトだったが、ある日突然諸事情によりということで閉鎖されてしまった
プロバイダからワイセツだと警告でもあったのかと思っていたが
今を思えば、個人を特定されて変な男にストーカーされたのかとも思う
まあ、自分自身、顔を想像しながらオカズにしてたのは事実だが
確か25年くらい前のこと、サイト主はプロフィールでは30代後半のようなことが書かれてたのでもう還暦を過ぎてるな
今、何をされてるのだろうか?会ってオカズにしていたことを謝りたいと思う ネットサーフィンしてるうちに、外国のサイトに行って、子供が内臓ぶちまけてる写真にたどり着いた
しばらく肉が食えなくなった >>80
92〜3年ごろのことだったと思うが
同僚数名と飲みながらインターネットの未来について語り合ったことがあった
パソコン以外に何がインターネットに接続されると便利になるかという話で
電子手帳だとか、ポケベルだとか、ワープロだとか言ってたが、電話と言ったやつは誰もいなかった
デカい携帯電話の出はじめの頃で、通信用に携帯電話があれば、モデムを接続して外でもインターネットができると主張したやつがいたが
デカい携帯電話とモデムと当時3〜4キロあったノートパソコンを持ち歩くのは大変だろうと、皆に一笑に付されていた
想像力はそこまでで、スマートフォンを予言したやつは誰もいなかったな デカい画像がいっぱい貼ってるサイトに行ったら
表示に1時間くらいかかったあげく
パソコンが暴走した
VGAのが100枚程度だったが 迷惑メールが問題になるだいぶ前、まだメールといっても一日に数通という時代
☆☆☆おめでとうございます!100万円当選です☆☆☆
というメールに騙されて、受け取りに必要な権利金の名目で、現金書留で5万円送ってしまった
権利金を確認したので1ヶ月程度で権利金の返金を合わせ105万円を振り込むというメールが届いたきり、音沙汰がなくった
問い合わせてもエラーが返ってくるだけで、やっと騙されたことに気付いた
そんな懸賞応募した記憶がなかったが「インターネットにアクセスされている方から厳正な抽選の上」とか書かれてたので信用しきってしまった
警察に相談しに行ったが、向こうもメールとかが何のことかよくわかっておらず、まともに取り合ってもらえなかった インターネットマガジンを愛読してた
オタクっぽい世界だと思ったが無限の可能性を感じた
四半世紀後にこんなに誰もが使う時代が来ようとは思いもよらなかった クラスの女の個人情報を書き込みまくってた
今なら即タイホ案件だ 1995年に最初の子供が生まれた時に、ホームページで写真を公開して
当時パソ通や電子メールで繋がってた友達20人くらいに
「生まれたよー」ってメールしたが、2人くらいしか見れなかった
ほかの連中は、URL見て、これなに〜どうしたらいいのという反応だった
まだ、ライフイベントを年賀状や暑中見舞いで知らせるのが当たり前だった時代 20年くらい前に大学のサークルのサイトをテキストエディタでシコシコ作ってたんだが、その当時ネット上の個人情報とか言われなかったんで、メンバーリストで顔写真や住所や電話番号、誕生日晒していた
無料のサイトで作ってたんだが、どういうわけか最近まで生き残ってた
サークルは俺の卒業と同時につぶれてしまったんだが、サイトだけは亡霊のように残ってたわけよ
ちなみにサークルの連中とは卒業後数年は付き合ってたが、10年ほどで完全に関係が切れた
当時のメンバーの一人から、フェイスブックのメッセンジャーで突然メールが届き
ググったら個人情報がヒットすると激怒している模様
そういえば、そんなサイト作ってたなと思い出し、平謝りして消そうとしたが、IDもパスワードも全く思い出せないわけよ
当時のメアドさえ覚えておらず、プロバイダーに連絡したり、えらく手間がかかってやっと消すことができた 企業のサイトでも、テキストエディタで作ってるようなのがあったな
perlのスクリプトがパーミッションゆるゆるのフォルダに置いてあって丸見えだったりした
ソースを見たら、コメント行に「今月残業200時間助けて」とか「美希ちゃんLOVE」とか書いてあった
某食品企業だが、当時でも東証1部に上場してた会社だったと思う 全盛期の森高(らしい)のハメ撮り動画があった
320×240くらいのほぼgif動画みたいなカクカク動くやつ
ソースの画質も悪く、顔や体型も森高と言われればそうだが不明瞭
音声は入ってなかった
それでも発見した時、大興奮して20回はオカズにした しみつきパンティを売りますという書き込みを掲示板で見て1枚5000円で買った
届いたパンティには確かにシミがついてたが
今思えば多分ジュースかなんかを塗り付けただけと思う
でも薄紫でレースのエッチな感じのパンティでしばらくオカズになったよ RS232Cというだけでパソコンの専門家だと思ってくれた インターネットの導入が社内で極秘プロジェクト扱いだった
役員会で何度も議論したあげく方針が決まらず
全国から選抜したパソコンに詳しいやつを本社に集め検討することになった
その出張についても最重要機密扱いでコンピューターに関する研修名目だった
推進派、慎重派、反対派がまる2日散々討議して面白かったと言えば面白かった
推進派、反対派の中にも強硬派、穏健派がいたな
結論はしばらく様子見をするということで終わった(笑)
30人くらいを東京のまあまあいいホテルに泊めてやってたので
人件費と旅費宿泊費だけで数百万円はかけてたんじゃないかな
牧歌的な時代でした
で、当時の会社は某外資系に吸収合併されてしまってもうありません あちこちにこんなこと書いていいんかというような個人情報が書きこんであったな
女子高生が家電の番号堂々と書いてたりした(当時女子高生がインターネットやってたのか疑問だが) やたらアニメgifや動く文字を貼り付けてmidiで音楽まで鳴るページ作って悦に浸ってたわ HTMLのソースを読めたらインターネット博士みたいな扱いだった 作る気もないページを工事中と書いていくつかリンク貼ったりしてたっけ 日本唯一のポータルサイトがNTTのホームページだった
NTTのホームページからリンクされてるサイトが日本に存在するウェブサイトのほぼ全てだった >>107
NTTディレクトリーだな
TITANってのもあったな >>107
なつかしー
そういえばそんなのあったわ
NTTだけドメインがntt.jpだったんだっけ
後にntt.co.jpになった時、NTTに勤めてるやつが
「電線は全部うちの会社が張ったのに特別扱い無くなってムカつく」と言ってた
「その電線の原資は加入権と税金だろ、それいうなら資産価値を強引無くした加入権払い戻せ」と言い返したら黙りやがったw バブル崩壊後の就職難で1年間バイト行ったり自宅警備員やったりの時期があったが(当時院卒の25歳)
ホームページビルダーでサイト作ってたら、オカンに「いい歳してそんなことばっかりやって情けない!」と涙目で叱られた オレが2ちゃんねるを知ったのは携帯電話のインターネット機能。
だけど文章の他に何やら-とか/とか|とか~とかがゴチャゴチャ散乱
してるレスがたくさんあって、コイツら何で落書きしてんだよと思った。
後にPCを買って2ちゃんを見たら割と面白いイラストでAAと言うものだと知った。
ケータイのちっこい画面だと改行の関係で絵が崩れるのだと理解出来た。