僕も男だからこれから先いつどんな女を的(まと)に劇烈な恋に陥らないとも限らない。
しかし僕は断言する。
もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、
僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、
超然と手を懐(ふところ)にして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。

男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、
他(ひと)から評したらどうにでも評されるだろう。
けれどもそれほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、
どっちへ動いてもいい女なら、
それほど切ない競争に価しない女だとしか僕には認められないのである。

僕には自分に靡(なび)かない女を無理に抱く喜びよりは、
相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、
わが失恋の瘡痕(きずあと)を淋しく見つめている方が、
どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。

夏目漱石「彼岸過迄」23より