トレーラー運転手として働くワケ

https://news.livedoor.com/article/detail/22858567/
大学院を出ると、宮城県にある財団法人の研究機関に職を得た。
働きながら論文を書いて、博士号も取りたいな。科学者への道は前途洋々――かと思われた。
■研究者としては「食べていけない」現実
しかし、初任給を受け取った佐藤さんは目を疑う。
「え、手取りが15万円?」
就職した前の年、中学の同級生だった妻・裕子さんとの間に長女が生まれていた。
学生時代の奨学金の返済に加え、郊外に借りたアパートの家賃や通勤のための車の維持費もかかる。
ご飯と、おかずは1品にして食費を切り詰めた。
月に1回、千葉の実家から米やレトルト食品を送ってもらうだけでは足りず、
知人に野菜を分けてもらったり、カップラーメンで済ませたり。ギリギリの生活だった。
仕事はやりがいがあった。専門知識を生かしてベンチャー企業と偏光カメラも開発した。
だが、「食べていけない」現実はつらかった。
この時、佐藤さん25歳。企業の研究職で良さそうな求人を見つけても、面接に行くための新幹線代すら工面できない。
家族で実家に戻り、古巣の千葉大に非常勤講師などのポストを分けてもらいながら、予備校の講師もかけもちした。
1年、また1年と契約更新を続ける日々。
「来年も契約してもらえるだろうか」という不安は年ごとに募った。
もっと安定した研究職はないか、社会保険を心配せずに暮らせないか――。