「8月22日、寺岡若頭が侠友会の人間を集めて、神戸山口組を出ると宣言しました。これに傘下組織の組長12~13人とその若い衆ら計30名前後が付き従って、神戸山口組を抜けました」と、竹垣氏。
「寺岡若頭は7年前の神戸山口組の発足当初は、ど真ん中で井上組長を支えてきた人物です。しかしここ最近は解散推進派に転じていましたから、今回の決断には“いよいよか”という印象がありますね」
6代目山口組との抗争が苛烈を極める中、劣勢に立たされ続ける神戸山口組の将来を案じた寺岡組長は、組織の解散を進めた方がさまざまな意味でベターだと判断。そうなるべく具体的な手を打ってきたとされる。
「道仁会(本部:福岡県久留米市)の小林哲治会長を通じ、井上組長に“白旗を上げてもらう”作戦もその1つでした」
しかし、寺岡若頭の尽力もむなしく、説得工作は不調に終わったという、
「井上組長は寺岡若頭を伴って小林会長のもとを訪ね、“これまで色々とご尽力をいただきましたが、思うところあって、神戸山口組の解散、自らの引退につきましては、すべて白紙ということになりました”と伝えたということでした。窓口になってきた寺岡若頭の顔は丸つぶれで、それによって両者の関係は決裂したと聞きました」
それ以降、寺岡若頭は脱退のタイミングをはかってきたようだ。今年6月にがんで亡くなった、神戸山口組の仲村石松若頭補佐(享年66、3代目古川組組長)の49日法要に顔を見せなかったのも、すでに脱退の意向を固めていたからと見られる。
「クーデターといえるほど急進的ではなかったとはいえ、親分に引退・解散を迫るようなことは生半可な気持ちではできません。当然、腹を括ったうえで進退をかけたものであり、うまく行かなかったからには自ら身を退く他ないということでしょう。
今回、寺岡若頭に加えて同じ?友会の薮内秀宝若頭(神戸山口組若中)、そして徳誠会の大瀧一門会長(神戸山口組若頭補佐)が組織を脱退するようで、井上組長は絶縁処分を下しました」
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