https://bunshun.jp/articles/-/56441
1968(昭和43)年、月2回刊で始まった「少年ジャンプ」の創刊号はわずか10万5000部しか出なかった。
令和の現代なら決して少なくない部数だが、その9年前の「サンデー」創刊号が30万部、「マガジン」創刊号が20万5000部だったことを思えば、実にひっそりとスタートしたことがわかる。
当時、活字の記事がない「マンガ専門誌」というのは斬新だったが、多忙な大物作家を押さえることができず、肝心のマンガも新人のものばかり。
それを見た「サンデー」や「マガジン」のスタッフに、あまり危機感はなかったようだ。「サンデー」にいた武居俊樹など、「小汚い雑誌だった」と言い放つ。
「とにかく、初期のジャンプは絵が汚かった。言い方は悪いけど、ブルーカラーの読むマンガだと。サンデー、マガジンはホワイトカラーのマンガだと思ってたからね。相手にしねえやって。カカカカッ」