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秋葉前市長が積極的な公共投資を不可能に、そして平岡元市長がビックアーチ(現エディオンスタジアム)の屋根掛けを断念させた理由をつくった市長が居る。

そう未だに50代以上の広島市民に『うえき市長』と揶揄される荒木武元市長(75〜91年)である。

まずはなぜ『うえき市長』と小馬鹿と言うか揶揄されるのかを説明する。

?い摘んで言うと、必要な都市整備−東西方向の鉄・軌道線の整備、同方向の国道2号線BPなどの道路整備、広島駅前再開発など−を積極的に行わず、街に緑ばかり増やしている(植木)のを名前の荒木と植木を引っかけた揶揄表現だ。

その癖、人徳は歴代市長の中でも断トツのナンバーワンで、『才あって徳なし』ではなく『徳があって才なし』の典型的な人物だった。

市民からは歴代市長の中でも最も愛された。当時、ライバル都市と言われた地方中枢都市の福岡市には桑原市長(86〜98年)、仙台市の石井市長(84〜93年)の敏腕市長がおり、『株式会社神戸』と絶賛された神戸市には宮崎市長(69〜89年)が居てこれらの市長との行政手腕の差は素人が見ても明らかで、市長能力偏差値(そんなものは存在しないが)だと20以上の差があったが、その代わり、人徳偏差値では平均的な市長よりも10以上高かった。

有権者からは『荒木さんは仕事が全然出来んけど、いい人だし、出来んなりに頑張っとるけぇ〜、辞めるまで応援する』(広島弁)と評価ではなく同情され、特に高齢者には絶大の人気を誇った(これホントだからね)。

広島経済界の面々も『この市長を頂いていては、ライバル都市の福岡市(当時)の増々差をつけられる』と内心、危機感を抱いたが、その人徳から引きずり落とせなかった。担ぐ神輿は軽く、〇カでも従順な方が都合は良いと思っていたのかも知れない。

そのツケは退任後大波のように押し寄せてくることになる。この人の凄さを知りたい若い方は、歴代広島市長のウィキペディアを読むとよく分かる。

荒木氏は4期16年も市長を務めたのに詳しい市長時代の記載がない。それで何となく察して欲しい(笑)。

任期中は、強力な対立候補は殆ど立候補しなかった。強いて挙げれば、当時県議で広島市西部で病院グループを経営していた正田守氏(87年、91年立候補)ぐらいで市民の選択肢も殆どなかった。

4期16年も市長を務めただけあって、多大な功績(荒木市政の負の遺産)を数多く残している。

それらすべてが退任後の広島市政に大きな影響を与えているので、悪い意味で影響力は絶大だった。

次の回想では、このうえき市長が後世に残した莫大な負の遺産について語りたい。
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