「昭和の大横綱」第48代横綱大鵬の納谷幸喜さんも、ウクライナへの強い思いを抱いていた。
父マルキャン・ボリシコさんがウクライナ第2の都市ハリコフ出身であり、生前に「私にウクライナの血が流れていることを誇りに思う」と明かしたこともある。
「コサック騎兵」だった父は共産政権を嫌って当時日本の治政下にあった樺太(現サハリン)に亡命した。
北海道で生まれ育ち、樺太・敷香(現ポロナイスク)の洋服店で働く母納谷キヨさんと出会い、結婚。5人きょうだいの末っ子として誕生したのが愛称「ワーニャ」と呼ばれた大鵬だ。
だが、父の存在を知ったのはキヨさんが亡くなった1973年(昭48)。妻芳子さんがキヨさんから預かっていた1枚の写真だった。
第2次世界大戦の集団帰国命令で母国に戻ることが決まった父。家族は戦火を逃れるために北海道へ移住し、永遠の別れとなった。
口ひげの父の姿に記憶がよみがえったことは1つだけ。本紙評論家としての活動中、担当記者に「港か駅かは覚えていないが、馬に乗って見送りに来てくれた」と吐露したことがある。
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