同法人は震災が起きた2011年の12月に設立した。メンバーは子育て中の地元の女性たち。
何かの専門家でもない、「普通」のお母さんだ。そして、自らも被災していた。

母親たちはなぜ団体を立ち上げたのか。きっかけの一つは、震災後、人々が身を寄せた避難所での一場面だ。

届いた物資に大人たちが群がり、1枚のせんべいを奪い合って地面に落としたことがあった。
また、自宅は残ったもののライフラインは断たれ、食べ物もない高齢者が物資を受け取りに来ると、「お前は家があるからいいだろう」と、何ももらえずに泣き崩れる姿を見たこともあった。

もちろん助け合いも数多くあった。それは、あのころ盛んに使われた「助け合い」や「絆」という言葉とともに報じられた。
しかし、優しさや冷静さが失われていた時間もあったのが現実。
それだけ心も非常時だった。

もう一つがボランティアと住民との関係。内外から駆け付けるボランティアが復旧の大きな力になり、
住民の心の支えになった一方で、被災したまちに来て、「汚い」「臭い」という言葉を平然と使う人や、
住民とトラブルになり、「せっかく来てやったのに」と不満を漏らす人も少なからずいた。
被災した人のためというよりも、「自分がやりたいこと」をしに来る人も多かった。

そして、住民と「一緒に」ではなく、支援を「する側」と「される側」が明確に分かれ、
住民も支援があることが「当たり前」と考えるようになっていった。「なんでもっとボランティアが来ないんだ」―。
そんなことを言う住民もいた。

そんな大人の姿を、子どもたちが見ていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ee2c68b5ffd6561d37d2d2457f77f1afa7c0411e