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「明日、司忍組長が品川駅に現れるかもしれない」
そんな情報を本誌編集部がキャッチしたのは、3月7日のことだった。翌8日の朝、本誌カメラマンは半信半疑のまま、JR品川駅の新幹線改札口付近に。
駅構内は通勤客などでごった返していた。すると午前9時半頃、ホームのあたりがにわかに騒がしくなった。
黒のコートに黒のハット、さらにサングラスをかけ、白いマフラーをした六代目山口組・司忍組長が姿を現したのだ。
司組長の周りには数名のボディーガードたち、周囲には警視庁の私服捜査員らが目を光らせている。
組員らの情報収集のために、顔写真を撮影するカメラを持った捜査員もいた。その一群を見て、多くの通勤客が「え?」と驚き、何度も振り返っていた。
司組長は、品川駅の構内の書店や売店の前を通り、改札を通って車寄せに向かう。
停めてあった迎えの車に乗り込むと、すぐに車は走り去っていった。司組長の周りには数名のボディーガードらがいただけだったが、駅のあちこちには護衛の人間が配備されていた。
「この日、司組長は北海道・旭川で行われた六代目山口組の二次団体の会長の葬儀に出席したのです。亡くなったのは旭導会の鈴木一彦会長。六代目山口組を取り仕切る、実質的な最高幹部の一人でした。
それで、名古屋から品川まで新幹線でやってきて、羽田空港から北海道に向かったとみられます」(全国紙社会部記者)
同8日の午後6時半頃、司組長が再び品川駅に姿を現した。北海道での葬儀の出席を終え、これから帰路につくのだろう。20数名の護衛や関係者を引き連れ、構内を歩くと、またも一般客の目をひいていた。
品川駅の構内では、予定の列車まで時間があったのか、一般客に混じって待合室に入った。ときおり関係者と楽し気に話していたが、それでも待合室の出入口ではボディーガードが常に周囲を警戒していた。
ホームに降りても、関係者らと談笑するなど、リラックスした様子だった。新幹線のグリーン車に乗り込んだあと、本誌カメラマンに向けて、「お疲れさん」とばかりに右手をあげていた。
「今年の初頭には司組長が80歳の誕生日を迎える1月25日に、山清司若頭が七代目を継承するのではないかという情報が流れました。結果的にはガセでしたが、山口組分裂抗争が続くなか、そうした情報戦は常に起きる。
今回、わざわざ司組長が自分の姿を見せたのは、自分は健在であり、余裕があるということをアピールする狙いがあったのではないでしょうか」(前出・記者)
分裂抗争開始から6年あまり。出口はまだ見えてこない。