【法律学校開校の歴史】

1880年 4月 東京法学社 (現・法政大学)
1881年 1月 明治法律学校(現・明治大学)
1882年10月 東京専門学校(現・早稲田大学)


1885年7月 英吉利法律学校(現・中央大学)



1889年  日本法律学校  (現・日本大学)
1890年  慶應義塾専門学校(現・慶應義塾大学)


◯法政大学初代総理
梅謙次郎
『日本民法典の父』
・昭和以前に切手の題材となった唯一の日本人法学者。

◯法政大学初代教頭
ギュスターヴ・エミール・ボアソナード・ド・フォンタラビー(Gustave Émile Boissonade de Fontarabie)
『日本近代法の父』『法政大学の学祖』
明治初期に来日したお雇い外国人の一人。幕末に締結された不平等条約による治外法権に代表される不平等条項の撤廃のため、近代日本の国内法の整備に大きな貢献を果たした。

卒業証書にボアソナードがついた印
「愛人而勿害人(人を愛して、人を害する勿れ)」
https://i.imgur.com/gaeVw6r.jpg
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◯法政大学初代校長
箕作麟祥
『法律の元祖』
「憲法」「権利」「義務」「民権」「不動産」「動産」などは彼の訳語
・日本初の博士号取得者の一人