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螢雪時代では「日東駒専」と併せて、「日東駒専成蹊神」としていた。
「螢雪時代」元編集長代田恭之は、「昭和50年代に突入すると、大学数・受験者数ともかなり多くなり、大衆化の兆候を見せ始めました。
社会のトレンドは、「脱猛烈、豊かさ志向」に変化し始めています。受験生にも猛烈チャレンジ志向から実力相応校を受ける、いわゆる"フィットネス志向"が強まりました。

そこで「日東専駒」が出てきました。正確に言うと、「日東専駒成蹊神」(日大・東洋大・専修大・駒沢大・成蹊大・神奈川大)です。」と語っている。
そこから「成蹊神」[1] という括りが生まれた。
競馬になぞらえて「二頭先駒斉桂哉(にとうせんこませいけいかな)」[2]と書く人もいた。 語順を変え数回記載する雑誌も現れたが、経年後に現在の語順が定着する