東洋大学と獅子吼会の関係

東洋大学が戦災を受け、其復興と新制度による大学への切り替えに、極度の財政難に陥り、
60年の伝統を誇る「東洋大学」の校札を下ろさねばならない状態に立ち至った昭和24年6月、
この難局を打開し、大学再建に乗り出したのが、前学長兼理事長小林啓善氏であった。

同氏は東洋大学の卒業者であり、千葉新聞社社長として、多忙な日常であったが、獅子吼会会長
大塚日現大僧正が、千葉県出身であり、学祖井上円了博士と同じく宗教家であって常に社会事業に
浄財を投じている所に希望を持ち、会長の門を叩くこと数十度に及び、救済援助を懇願したのである。

(中略)300万円で東洋大学を買収して、獅子吼会の大学として経営して貰い度い、
東洋大学の名称を変えてもよいが、大学は存続して貰い度い、と300万円で無条件で任せる話であった。

然し大学経営の困難さは、財政的な面よりも寧ろ人的面にあり、東洋大学と何等人的繋りを持たない
獅子吼会が、その経営に当って果してうまく行くかどうか疑問である。即ち大学には多数の教授あり、
学生あり、校友があって、そうした一部代表者の意見や、希望が、果して之等多数の同意し、
希望する所であるか、どうか疑問である。今大学が立つか、潰れるか、と云う瀬戸際にある時は黙しているが、
良くなると当時の協力者や責任者に攻撃の火の手を上げて、之を排斥するのが通例である。
殊に東洋大学は、学祖生前中に於いて其の例を見、爾来幾度となく之を繰り返し、
世間から「○○大学」の汚名を冠せられているほどである。長い伝統を有しながら発展しないのも、
ここに原因があることは識者のよく知るところであり、従って獅子吼会幹部会に於いては、殆ど全員が
反対の意見を述べ会長に進言した。(「東洋大学内紛の真相」昭和30年4月)