大学が財政的危機に陥り、崩壊の一歩手前にあった時、校友でも教授でもない、
大倉洋紙店主であり大倉山文化研究所長であった大倉邦彦氏を学長に迎え
同氏の財政的援助に依って大学は再建した。同氏は2期に亘って学長の職にあって
大学を経営したことは周知のところである。

又戦後、戦災に依る後者の復旧困難なるや、当時請負業者であった土建会社星野組の代表者
星野氏を理事に迎えて復興を計ったことも耳新しいことではない。

斯様に大学は経営困難となるや、外部の力を借りて学園の再建を計り、経営が軌道に乗ると
一部の策謀家が、之を排斥して取って代らんとする。而してその排斥の理由に学祖の遺訓を持ち出して
野望を達せんとするが如きは、学祖を冒涜するも甚しいと謂うべきである。学祖隠退以後の大学は
常に教授、校友が経営権を巡って相克を続け、歴代学長にして「円満退職をした者はない」とは、
あえて加藤現学長の言を借るまでもなく50年の歴史が宿縁として之を物語っている。(695ページ)