「東洋大学の紛争に関する仮処分裁判の経過報告書」(昭和31年1月)が『東洋大学百年史 資料編U・下』に載っている。

東洋大学と獅子吼会の関係

東洋大学が戦災を受け其の復興の資力なく、又新制度による大学への切り替えの見通しもつかない
昭和24年の財政危機に際して、校友でありながら従来大学に関心を抱かなかった千葉新聞社社長
小林啓善氏は母校の窮状を座視するに忍びず、獅子吼会会長大塚日現大僧正が千葉県出身であり
学祖井上円了博士と同じく宗教家であって、常に社会事業に協力するところから東洋大学の困窮を訴え、
其の救済方を熱烈且執拗に懇願した。獅子吼会に於ても東洋大学が沿革上、財政危殆に陥った際
他より経済援助を受け之によって運営安泰となるや、窮状時代に拱手傍観した校友中の野心家が
乗り出して、援助者を排斥した実例が再三あり「動揺大学」の別名あること等より会員の大部分は、
大学に関与することに反対した。

然るに大塚会長は、学祖の「護国愛理」の建学精神は法華経精神と通ずるものであり、
又東洋大学を復興させ、日本再建の人材養成機関とすることが国家に対する御奉公であるとの
信念に基いて、東洋大学に対し財政援助をすることを承諾されたのである。(636-637ページ)