●●●日本の合唱曲は糞●●●
>日本語ばっかだし
↑
これ、なんかたまらなくおもしろい ピンからキリまであるし。
作風もいろいろだよね〜。
ほんとにぐしゃぐしゃの曲と、そうでない曲はあると思うで。
普通の作曲家は構造を考えてから作るから、アナリーゼしてみ。
鈴木輝明おもしろいよ〜。 つうか、歌っててキモくね?赤面必至。
今時こんなベタな歌詞歌うのは合唱くらいだって。
外国曲も訳すと、かなりベタだけどなw >>10
たぶん東混初演の縞縞とかだろ。
1ユーロ何円何十銭也とか、歌ってて赤面してたに違いない。
演歌もあるしな。 >>1
は、もっとマニアックな日本の合唱曲を探せばいいとおーもぅよ でもさぁ、変な邦人曲が好きだって人多いんだよね。
あんなの歌っていても楽しくないのに。
自虐的な性格なのかしらん。 超難解、超難曲からフォークソング調やジャズ調、民謡まで
こんなにバラエティに富んでるのは日本だけなんじゃない? 「日本だけ」って・・・
世界中の合唱知ってるかよw >>18
こういうヴァカが日本の合唱界を支えているのだ >>18
それはちょっと過大評価じゃない?
フォークソング調の演奏なんかは、日本はむしろ後進的だと思うし。
民謡なんか、それこそ多くの(海外)作曲家が採譜してるし。
海外で演奏聴いた事ないからはっきりとは言えんけど、「日本だけ」ってのはどうかと。 そう?ちょっと過大評価だったのかな?
他の国にはない合唱人口の裾野の広さ(ママさんから職場まで)とか
国内コンクールの規模とか、
外国から来るコンクール審査員とかの日本の合唱界の現状の評価からして
他の合唱先進国に比べてもひけをとらない種類の
邦人作曲家のレパートリーに恵まれていると思いこんでいたんだけど、
きっと違うんだね・・・
どこの国の作曲家の合唱曲が一番バラエティに富んでるのかな?
>>23
なるほどね。合唱曲が糞というよりは、合唱に関わる人間が糞ということなのねwwwwwwww >>22
コンクールの規模についてはアメリカは凄い。またバラエティに富んでいるのもここである。
州大会ですら何千もの合唱団が参加し、それが全国となると物凄い数になる。
インディアナ州やミネソタ州は特にレベルが高く、いつも接戦となる。
ただひとつ言わせて貰うと、レパートリーの高さと反比例し、アメリカナイズな和音の曲の演奏が多いのが難である。
欧米では参加する団の数はそれほどではないが、一般の聴衆が多く、地域との関係が密接である。
また国際合唱コンクールとなると、プロアマ問わずハイレベルな団体の演奏が聴ける(賞金がかかっているのでプロもよく参加する)。
コンクール審査員も陸繋ぎの利点からか、北欧ロシアの作曲家からイスラエルの指揮者まで、実に様々な審査員が来る。
またそれとは別に、ゲストとして世界中から多くの音楽家を招待するので、色々と盛り上がるのである。
ただレパートリーに関しては、20世紀の作曲家の作品についてはあまり高くない。
大抵自国、あるいは隣接する国の作曲家の作品がせいぜいである。
欧米の楽譜事情はあまり高くなく、現代曲については大抵合唱団つながりで楽譜を入手するか、
図書館でコピーするかである。外国の作品はおろか自国の作品ですら、日本のように簡単には手に入らない。
合唱人口が高いのは北欧バルトの地域で、とりわけバルト三国では、人口の約6分の一が合唱人である。
特に向こうでは男声合唱団が多く、エストニアの最初の音楽祭は男声合唱onlyだったくらい、男声合唱が盛んである。
ただしここは楽譜事情がすこぶる悪い。自国の作品を日本で購入したと言う、笑い話ですまないこともあったそうな。
ハンガリーについては、児童合唱のレベルとは裏腹に、混声合唱のレベルは思ったほど高くない。
コダーイプログラムでは変声期以降の男声に対応していないので、どうしても声が浅くなりがちである。
また音楽性の高さとは裏腹に、ボイストレーニングの出来る指揮者も多くない。
発声練習にかける時間も少なく、団の平均が約20分で、カンテムスやプロムジカに至っては、発声が無い。
サボー氏曰く、実はよく発声を知らないらしい(最近理解し始めたそうな)。
ハンガリーの合唱曲が日本に好まれるのは、ハンガリー人の浅い発声に合わせた曲のつくりが
日本と共通したものがあり、音楽性の高さと同時に日本人が歌うのに適しているからである。
ちなみに発音が日本とよく似ているのはフィンランドとエストニアの合唱曲。
ただし発声については向こうは非常に重いので、日本の男声合唱には適している。
日本の場合、中高のレベルは圧倒的に高いが、合唱人口が少ないことや、コンクール重視、難易度重視の傾向が高い。
とりわけ合唱祭が盛り上がらないのが難点である(欧米では合唱祭>コンクールという比率)。 >>23
GJ!!!
>>18
絵に描いたような「井の中の蛙」 >>18
他の国にはない合唱人口の裾野の広さ
藻前は教会の聖歌隊ってのが頭にないのか?
日本にはプロの聖歌隊なんてないだろ わかったわよ。
所詮、合唱の作曲も演奏もすべて欧米人にはかなわないのね。
合唱文化はもともと欧米のもの。白人様にひれ伏したらいいわ。
猿の日本人が合唱文化に関わること自体が滑稽なことなことだわ。
正直、日本人の合唱団が歌ってる様なんてキモイだけなんだしねwww
どの面さげて宗教曲とか歌ってんのよ?無信仰の黄色人種が?
みんな、欧米人にまかせて、止めてしまえばいいわ。
しかも日本人が新しい日本の合唱曲を作ったってキモイだけで、
何の価値もないんだしねwwwwwwwwwww
(田中信昭氏無念ね)
日本人が日本の合唱で誇れるところなんて、何にも無かったのねwww
アヒャヒャだわ!まったくwwwwwwwwwwww >>28
へぇ・・・プロの聖歌隊ってそんなにもバラエティに富んだ作品を
作曲家に委嘱していたとは知らなかった
不勉強でゴメンねっ、 >>28,30
日本にもあるよ。ただし音楽事務所所属のだけど。
結婚式での合唱、独唱が主な仕事で、漏れも昔所属してた。
プロの聖歌隊と言うが、例えば修道院の聖歌隊はお布施や献金を貰って、
賛美歌を歌って生活しているが、彼らはそれを聖務として暮らしている。
例えばウィーン少年合唱団も、彼らはあくまで演奏は学校の日課のひとつであり、厳密にはプロとは言えない。
聖歌隊というのも利益を求めて演奏活動をしているわけではないので、これも同様なのである。
通常聖歌隊が作曲家に委嘱を頼むのではなく、作曲家が聖歌隊に演奏をお願いする。
委嘱料や依頼金は状況によって様々だけど、欧米での相場は大体日本の3分の一くらい。
高い委嘱料を作曲家が要求するのは日本くらい。演奏料も急な依頼の時ぐらい。
欧米で日本の合唱が高く評価される部分は、技術よりも日本固有の音組織や素材を使った曲およびその演奏。
武満徹や間宮芳生、小倉朗などの作品は、欧米でもしばしば演奏される。
それと演奏において緻密な音楽作りをする日本の合唱団は、欧米でもなかなかこれに匹敵する所は少ない。
ちなみに欧米での近代音楽史において、武満の存在はシェーンベルクやメシアンに匹敵する
20世紀最大の作曲家の一人として評価されている。
>>18氏
向こうじゃしんしょうさん(田中信昭)より松っつぁん(松原千振)の方が有名かも。
なにせ20年前から北欧を中心に各地で指揮振ってた人だから。
>>31
ごめん、無理。 >>29
変に開き直らんでも宜しいでしょう。
日本の合唱界は、評価されないほど低レベルでもないと思いますよ。
色々と問題を抱えてもいますが(25氏の言うような辺りです)、質の高い音楽作りをしている合唱団も少なくない。
海外からの邦人作曲家に対する意識も、個人レベルでは多少見られるようです。(聞いた話ですが)
それに合唱は、まだまだ一世紀ないぐらいの歴史(本邦にて)ですから、文化として根付かせるのは、我々の仕事です。
誇りになるかどうかは、これから次第なのでは?
>>31
コンクールの規模ではアメリカ。国際コンクールの内容や地域との関係性では欧米。合唱人口ではバルト三国。
色々な国に特色があって、その反面、問題も存在する。
どうも、楽譜事情では日本は良い方らしい。(これは余談かな?)
ってとこなんじゃないですかね?(勝手にまとめてすいません) 日本は世界中の合唱譜が、ヤマハやパナムジカなどで簡単に手に入るため、
楽譜事情は世界でもトップクラスです。
例えばバルト三国ではとうに絶版となった向こうの作曲家の楽譜も、先日日本で出版されましたし、
海外在住の身としては、日本の豊かさに改めて畏敬の念をおぼえるわけですよ。
(漏れの住む国にはコンビニはおろか、自販機や缶コーヒーすらない) >>35
全くの余談ですが、自動販売機が街中にごろごろしてるなんて国は日本だけです。
それに次ぐのはアメリカですが、それでもお釣りが出なかったり、冷却機能がついてない(夏はぬるいのが出る)自販機は当たり前です。
コンビニや自販機が少ないことを不便と見るのは日本人だから。
外国人の感覚として、「必要ない」からないだけです。
ヨーロッパの中ではドイツがダントツの自販機国ですよ、あれで。
ホントスレ違いでスマソsage ちなみに缶コーヒーを全く受け付けない国は多いです。
コーヒーは淹れて飲むもんだ!ってね。
イギリスじゃティーパックの紅茶なんて考えられないんだよね(うろ覚え)
粘着sage >>32
あんなもんと一緒にすな
同じ讃美歌とアベマリアばっかだろ
欧米の聖歌隊は毎週(毎日)違う曲歌うんだ 「日本の合唱曲」からズレてきてるから、
「ここがダメだよ日本の合唱界」みたいなスレ立ててやれば?
漏れは立てられまへん。
いや、だから
「合唱曲」から「合唱界」へ話題がシフトしちゃったから、
別スレでやったほうが面白いんじゃないかってこと。 >38
音楽事務所の聖歌隊も、行く先々の教会で、違う曲歌ってますが。 >42
たとえばどんな曲?
ちゃんとしたポリフォニーとかも? 結婚式だと
賛美歌312、430、聖歌85、しょう栄、ナルド、アべヴェルム、アメージンググレイス、
アべマリア、オンブラマイフ、オーミオバッビーノ、結婚の祝福、パスイットオン、オーハウヒー、
アーメン〇唱。
…とかかな。合唱といわないだろうけど。 聖歌隊のバイトでは、Lord' prayerが好きだったかな。これを歌う会場に良く回してもらってた。
しかし会場によっては賛美歌やソロだけでなくゴスペルや結婚式にあんま関係ない曲も歌わされて、
O sole mioはともかく、Time to say goodbyは違うだろ!、てツッコミを入れたくなったこともしばしば。
ちなみに関東圏では、聖歌隊の仕事の団員にバッハコレギウムの中の人が何人かいたりする。 それ、正式な聖歌隊とはいわんでしょ
礼拝堂も牧師も結婚式専門じゃない? 「曲」の話は?漏れは宗教曲がほとんどないのが問題だと思う。 その宗教曲というのは、キリスト物をさすの?それとも神仏系?
前者なら、なくて当然。後者なら、興味深いので詳しく語れ キリスト教のつもり。なんで「なくて当然」?
日本の教会がじゃんじゃん委嘱すりゃできたはず。 (当たり前だけど)キリスト教徒の数が少ないし、彼らが歌うのに
必要だと思っただけの曲は輸入されて既にあったか、作ってる。
「需要と供給」ですよ。
ラテン語典礼文だけが宗教曲ではないとすれば、かなりの数の
日本の宗教曲が、もうあると思う。(以上、教会や学校で歌う曲について)
結構昔から、演奏会用にミサを書く作曲家(例えば萩原英彦)はいたし
(広まらなかったけど)、最近の流行りでラテン語典礼文に作曲する人も
増え、これからも書かれ続けるだろう。(以上、演奏会用宗教曲について)
おっと、高田三郎を忘れてた。
こうして見ると、日本に宗教曲が「ほとんどない」どころか、
十分すぎるのかもな。 自分の通ってた仏教思想取り入れた高校のコーラス部は
行事のとき歌うのは仏教讃歌だが聖歌隊と呼ばれてた。
なんか違うよな。 う〜ん仏教系の大学だが「仏教讃歌」を「仏教聖歌」と呼んでいた。
なんか違うよな。とオモタ記憶があるが。
・
親鸞聖人だからいっか〜とオモテた。 昔したらばでさんざ書いたことだが、思い出し程度に又カキコ。
西洋音楽史において、13世紀以降職業音楽家が、教会からの依頼を受けて作曲に携わることがあったが、
大抵は聖職者によるものであり(給金が安いので、名のある音楽家は富豪のパトロンの庇護の下で活動していた)、
現在は逆に作曲家が教会の聖歌隊に演奏を依頼することがほとんどであり、教会からの依頼はほぼ皆無である。
そもそも教会の依頼による作曲が流行ったのはマショーの時代からルネサンスまでで、16世紀のトリエント公会議でかなりの典礼曲が廃止され、
その後バロック時代に民衆の音楽の隆盛と共にすぐ息を吹き返すのだが、その辺の話を書くときりが無いのでこの辺で。
ちなみに1962〜65年の第二ヴァチカン公会議で、日本で最も貢献した人間の一人に高田三郎が挙げられる。
この会議により、カトリックでの典礼がそれぞれの国の言葉で扱うことが可能となり、
高田三郎は「やまとささげうた」を作曲し、これをカトリック教会に捧げたのである。
仏教では古くは声明や御詠歌があり、後者は現在様々な合唱曲が存在する。
声明も元々は中国の音楽との説もあり(少し三国志と絡んでいる)、大人数で行う声明は重唱ともいえよう。
宗教絡みでなければ、日本は平安時代から「催馬楽」や「朗詠」が盛んであった。
前者は管楽の伴奏での独唱、後者は独唱者に伴奏と複数人数の斉唱がつく。
教会音楽で定番のポリフォニーについても、ルネサンス期当時のベルギーの政治情勢を考慮に入れておかなければならない。
もしそれとの関連が無ければ、典礼曲はいまだ5度の重唱止まりだと言う研究者もいる。 ちょっと違う気がする
かといってこのスレでやるのも、、、
よーするに日本の合唱曲は歌詞(題材)がつまらんってことか 理屈は抜きにしても、日本語の合唱曲は面白いよ。
歌詞がつまらないと言うけど、外国の曲にしたってつまらん歌詞が多いし。
糞なのは曲ではなく、コンクール至上主義や権力と金目当ての合唱連盟など、
日本の合唱界の体制そのものだと思うが。 それはなー、もしかして日本語の曲ばっか歌ってるからじゃない?
西洋音楽では主流の、祈りと恋愛の曲がすくなくて
自然がどーたらってのが多いのはいかがなものかと。
日本人にはそのほうがいいのか。
「糞なのは」以下は同意だが、曲もry キリストがどーたらよりは八百万の神文化の日本人には合っていると思われ。
心の四季のように人間の生き様を自然現象に比喩していたり、多少の読解力が必要な場合もあるが。
日本語曲はハーモニーは美しくても歌詞の本当の意味わからんで歌っている団が多いのは確か。
それが意図的ではなく、指導者の国語力の問題だったりしたら寂しい。 >>61
いや、今欧米に住んでるので、日本語の曲はほとんど歌わない。
たまに帰っては、知人の合唱団の演奏会に参加するくらい。
欧米でも当然自然を題材にした曲は沢山あるけど、日本では外国語の曲は宗教曲の演奏が主だから、あまり耳にしないのかも。
日本でも良く聞く曲とすれば、シェーファーのマジックソングスやグリーグの「春」、
トルミスの「秋の風景」とかかな?
欧米の愛国精神たっぷりの歌詞や恋愛の曲だと、さすがに何十曲も歌ってると飽きてくるよ。
どこの国でも、普段良く歌われる合唱曲は非常に平易で、その辺は日本も欧米も変わらない。
まあ宗教曲や民謡は好きだからいいけど、たまに日本語の合唱曲が恋しくなる。
日本語の曲でいいなと思うのは萩原英彦や間宮芳生、小林秀雄や三善晃とかかな。あと高田三郎。
ただ日本語は子音のつながりが難しいから、ベルカントではなかなか歌えないんだよね。
演奏会でよく声楽曲も歌うのだけど、日本歌曲は難易度が高いのでたまにしか扱わない。 えー、教会に行ってないからじゃないのか?
漏れも欧米にいたけど、デカイ教会じゃルネッサンスから現代まで、かなり手の込んだ曲を
毎週のように歌ってた。対位法が根付いてる。
日本ではフーガとか書けなそうなのが合唱曲を量産してるが。 >>57読んだら、トンデモ知ったか君なことが分かりますた。
メチャククチャナこと書くな。
13世紀に職業音楽家なんていない(いたとすりゃ流れの楽士)。
教会はいまも昔も音楽に金をかけてるし新曲委嘱も絶えたことはない。
聖職者がもらうのは給金ではなく聖職禄で、世俗の君主に負けないくらいの額のこともあった。
ルネッサンス時代にベルギーはない。「典礼曲はいまだ5度の重唱止まりだと言う研究者」って誰?
声明や御詠歌のことも、勤行の音楽と現代合唱曲を混乱しとる。
よくもまあこんなデタラメが書けたもんだ。勉強して栗。 合唱団掛け持ちで週4回の練習、年間30回以上の本番を教会でこなしている自分は、確かに教会に行ってない方かも。
委嘱や招待演奏などでかなり手の込んだ曲と共に、その数倍もの平易な曲も沢山歌ってるが、
まあこの2年でたかだか200曲くらいしか歌ってないので、自分は偉そうな事は言えないな。スマソ。
対位法については和声と共に作曲の基本だから、書けない作曲家がいること自体信じられないのだが、
確かに日本語の歌詞での対位法楽曲は、メリスマを考えると書きづらいかも。
ところで対位法とフーガと通模倣、リチェルカーレは厳密には違う代物だけど、
面倒くさいので書き込みの際にはポリフォニーでまとめちゃうべきかね。
明日早いので、そろそろ寝ます。ではでは。 おお、嬉しいね。つっこみdクス。
>13世紀に職業音楽家なんていない(いたとすりゃ流れの楽士)。
12世紀の南フランスでのトルヴァドール、また北フランスのトルヴェールやドイツ語圏のミンネゼンガーとか。
また個人名ならレオニヌスとかペロティヌスで検索してくれ。
後者は13世紀に活躍した職業音楽家(アルス・ノヴァ以前)。
>教会はいまも昔も音楽に金をかけてるし新曲委嘱も絶えたことはない。
金をかけてるかどうかはともかくとして、委嘱が絶えることは確かに無かったね。
宗教改革でトロープスやセクエンツァの多くが廃止され、単声の聖歌が重んじられ、
音楽家がオペラなど新しい音楽の分野に流れたけど、それでも多声音楽は消えなかった。
>聖職者がもらうのは給金ではなく聖職禄で、世俗の君主に負けないくらいの額のこともあった。
ただその給金(聖職禄)では、楽譜の装丁代を差し引いても額が少なかったとか、パレストリーナの伝記(原語版)で読んだのだが、違ってたかな。
>ルネッサンス時代にベルギーはない。
フランドル地方(今のベルギー)について言ったつもりなのだが、伝わらなかったようでスマソ。
>「典礼曲はいまだ5度の重唱止まりだと言う研究者」って誰?
これは昔大学のゼミで、戸口幸策氏がそんな話をしてた。本人の自説ではないとは思うが。
>声明や御詠歌のことも、勤行の音楽と現代合唱曲を混乱しとる。
さっき読み返してみたら成程、混同しているように見える。
現在合唱曲として歌われている御詠歌と昔のものとはまるっきり異なるもの。
噛み付いてる>>65に対して、>>67が冷静に答えてるのがとてもかっこよく見える
スレ違いsage 完全にスレ違いだけど...
トルバドゥール troubadour その他は基本的に詩人で、演奏はだいたいフリーの楽士がやった。
レオニヌスとかペロティヌスは作曲もする聖職者というだけ。
聖職禄ってのはけっこうな額で、土地で支給されることもあるくらい。
トレント公会議では歌詞が聞いてわかるようにってだけで、
多声音楽だからダメってわけじゃなかった。替え歌の類が禁止。
「教会音楽で定番の」以下は、うろ覚えのメチャメチャな話に化けてる。
戸口氏が憤慨するのでは? ピアノがチャラチャラ弾いてる曲が多いから糞なんだ
どっちが主役かわからんようなのまであるし ここの人たちは、「日本の合唱作品100選」のうちどのくらい聴きました?
私は3/4ぐらいです。
そもそもCDで聴けない曲が多くて困ります。 そもそも「日本の合唱曲100選」の選考基準が分からない。
「水のいのち」「心の四季」を凌駕する作品があるのだろうか?
僕はこの二曲だけあれば充分だ、と言えよう。 その2曲はもっと世界に広まっても良いと思うのだけど、壁は厚いね。
どっちも日本の風土に根付いた自然を比喩に、人生そのものを歌っている訳だから。 >>73
ピアノと合唱が同等に扱われているものは多いけど、なぜそれが糞なのか。 青島広志;マザーグースの歌
池辺晋一郎;風の子守唄
石井歓;風紋
石井真木;もりのうた
一柳慧;子供の十字軍
岩河三郎;富山に伝わる三つの民謡
遠藤雅夫;今でも・・・ローセキは魔法の杖
大中恩;島よ
荻久保和明;縄文 ピアノと合唱じゃ調律が違うから
合唱に取っては邪魔だという話だ 平均率のピアノは純正率の合唱とはあわないのは世界の常識。
ピアノ付きの合唱曲は原則としてやらないという外人もいる。
日本語のアカペラ合唱曲はこれからだろう。 >>79-80
これはあなたの100選候補でしょうか。
だとすれば、「東洋民謡集」「枯木と太陽の歌」「ヴォイス・フィールド」
「わたしの動物園」「季節へのまなざし」「人間をかえせ」
「東北地方のわらべうたによる九つの無伴奏女声合唱曲」
などを選ばなかった理由を教えてください。
「聴いていない、楽譜を見ていないから」という理由でない
ことを祈ります。 >>84 好きな曲を羅列しただけですが、何か不満でもありますか?
もちろん>>84様のようにキモオタでない私には、貴方様のチョイスされた歌の全てを存じている訳ではございませんので、悪しからず。 把握した。
自分は鈴木輝昭とか好きだが、それはポップスと同じ感覚で好きなのだろうとは思う。
>日本語のアカペラ合唱曲
良ければ武満・三善・多田・耕・信長などに対する評価を聞きたい。 >>87
自分は85ではないけど、選曲に新しさがあまり感じられないので、自分もあまり評価できない。
と言うか、正直言って知らない曲もべらぼうに多い。
勉強不足もあるけど、千原作品(好きなんです)や信長作品、あるいは鈴木(輝明)作品とかはどこいった、みたいな感じで。
時代が変わりゃ選曲も変わるわけで、自分の中では「一昔前の名曲たち」と思った。
21世紀に生まれてきた名曲があるはずないのはわかってるんだけど(そもそも一昔前に選んだもんな訳だし)、新しく選びなおしするのは良いんじゃない、別に。
そもそも「永訣の朝」がない時点で、自分の中ではがっかり。(本音) >>91
誰かが書いてましたけど、選んだ時期は92〜93年にかけてだそうです。 たしか、世界合唱連盟に歌詞の英訳を沿えて目録を進呈するという
プロジェクトではなかったかい? 全部訳せたんだろうか
当時の合唱シーンを懐かしむ対象として、今でも貴重な100選だと思うよ スレタイに最も納得のいく根拠は、
「合唱曲しか書かない(書けない)作曲家の割合が大きい」
からではないかと思うが?
合唱曲の比率が全作品の1/3を超えている作曲家は糞。 >>95 パレストリーナは糞なんだね?w
ビクトリアは糞なんだね?ww