映画みたいな恋した50代以上っている?
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今、日テレの金曜ロードショーで『ローマの休日』が放映しているけど、実は
このスレの中だけの話、今から39年前の1983年(昭和58年)6月、修学旅行で
まだ出来たばかりのディズニーランドに行った時にお忍びで来ていた某国の同い年でライトブラウンの髪色にターコイズブルーの瞳を持つ美しき北欧の王女さまに
出会い激しく恋しました。 >>37
続きを書くぜ
ステイ先の夫婦が
朝仕事に行ってしまうとな
俺は広い屋敷にただ一人
取り残されてな
運動も兼ねて
毎日チャリでスーパーには通い詰めたが
それより遠くへは
行く気にならなかったぜ
その先どんなにチャリを漕いでも
行けども行けどもひたすら
同じ光景が続くだろうってことは
彼女の運転するレンタカーの車窓から
確認済だったからだぜ
スーパーに行く以外はよ
来る日も来る日も
何もすることがなく
どこにも行くところもなく
退屈で退屈でたまらなかったぜ
あまりにもすることがなかったのでよ
俺は彼女と過ごした10日間の出来事を
こと細かく思い出しながら
日記帳に書き記したぜ
スーパーのカフェで
ステイ先のプールサイドで
日記帳を肌身離さず
ひと通り書き終えた後でもな
何度も何度も読み返しては
細かいところを書き加えていったぜ
俺が今でも
彼女と過ごした10日間
とは言っても
実質8日、繋がったのは4日なんだがよ
その間の出来事を
よく覚えているのはな
こうやって丁寧に書き加えていった
日記帳をその後何度も何度も
読み返したからだぜ >>38
続きを書くぜ
ステイ先の邸宅はな
夫婦と旅行中で不在の息子さん娘さんの
4人家族で住むには
広過ぎる屋敷でな
使ってないんじゃないかと
思われる部屋がたくさんあったぜ
天候が非常に悪く
チャリにももちろん乗れず
1日中屋敷の中に留まっていなきゃ
ならん日もあったんだがよ
無人の広過ぎる屋敷の中で
薄暗い日中を1人で過ごすってよ
そりゃ薄気味悪いモンだったぜ
3階のルーフバルコニーに続く扉の
外側からはよ
コンコンコンコンって
誰かがドアをノックしているんじゃ
ないかって音が響き渡っていたし
プールサイドに向かう途中にある
柵のような鉄扉が外れかかっていてな
雨風にさらされて
ギーコギーコって
開いたり閉まったりする音も聞こえてな
恐怖心のあまり我慢できなくなり
俺はベッドの布団の中に潜り込もうと
自室に戻ったんだがよ
自室のドアを開けて中に入るとな
他に誰もいないはずの自室の中に
人影があってな
日本に帰国したはずの彼女が
俺のほうを横目でジロジロ見ながら
俺の右脇にいてな
俺は一瞬喜びを感じたんだがよ
ボートに乗ったときに履いていたのと
同じ7分丈のガチョウパンツから
はみ出すように見えるはずの
ふくらはぎから下が無かったぜ
ゾクゾクと震え始めた俺は
頭を抱えて絶叫してな
その後のことは覚えていないぜ >>39
続きを書くぜ
悪天候だったその日はな
あまりにも退屈過ぎてよ
悪い夢でも見たようだったぜ
まあっ
そんなこんなでよ
彼女のいない2週間のホームステイはな
俺にとっちゃ
日記を書くための2週間になったぜ
交通至便な立地で
フレンドリーなファミリーに囲まれた
イギリスやドイツでの
ホームステイを高校生の頃
経験済だった俺からすりゃよ
まさかこんなことになるなんてよ
夢にも思わなかったぜ
彼女との出会いがなかったら
って考えただけでゾッとするぜ
ステイ中の最後の週末にはな
近所の邸宅で開かれるパーティーに
ファミリーごと呼ばれてな
これが
アメリカンホームパーティーかって
ものをな
一応経験はしてきたぜ
まあっ
常連さん同士の集まりってかんじでよ
知り合いだけで勝手に盛り上がって
いてな
おもろくねーからよ
パーティー中ほとんどの時間は
そこん家の飼い犬と
じゃれ合っていたぜ
1に彼女
2にワンコ
俺のホームステイの思い出だぜ >>40
続きを書くぜ
充実した10日間と退屈な2週間の
ホームステイが終わり
留学斡旋業者のスタッフが
朝4時頃車で迎えに来たぜ
もともとな
バッファロー近郊にステイすることを
前提にツアーの日程が組まれていてな
ピッツバーグやら
クリーブランドやら
シラキュースやら
運悪く遠く離れた僻地に追いやられた
参加者はな
かなり無理な行程を強いられて
バッファローに再集合したぜ
ツアー参加者が全員集合して
全員でナイアガラの滝を観光し
その後ニューヨークに飛んで2泊したぜ
バスの車窓から摩天楼が
見え始めたとき初海外組が多かった
車内では歓喜の声が上がっていたぜ
そんな時でもな
今ひとつ元気がなかった俺に
ツアーリーダーは優しく
声をかけてくれてな
ステイ先の様子など
俺の不満を辛抱強く聴いてくれたぜ
もちろん彼女との2週目の出来事はな
誰にも話さなかったぜ
だってよ
ツアーリーダーもな
20代後半の女性でな
ツアーコンダクターとは違ってよ
本業は英会話スクールの講師で
夏休み期間だけ提携先で
ツアーリーダーをやってるって
言ってたぜ
ハズレくじを引いた俺に
同情してくれてな
帰国便のフライトでは
ツアーリーダーの隣の座席に
してくれたぜ
そん時に
ツアーリーダーから聞いた話の内容に
ついてはな
>>17
に書いてあるぜ >>41
続きを書くぜ
年上女性の攻略法で自信をつけた俺はな
帰国便のフライトの中で
ジャブ入れのタイミングを
見計らっていたぜ
ホームステイ中
僻地組は完全にツアーリーダーからは
見離されていたんだがよ
ツアーリーダーはな
バッファロー近郊にステイした
初海外組の世話に追われて
疲労困憊しているかのようだったぜ
当時のNY-成田便はな
途中アンカレッジに
給油のために寄港していてな
うどん屋で久々に立ち食いうどんを食ってから
土産物屋で愛嬌のある顔をした
トナカイのブローチを見つけてな
アンカレッジ離陸後の機内で取り出して
俺:このトナカイの顔見てください。満面の笑みに目が釘付けになりますね。
俺はしばらく見惚れるように
トナカイの顔を見つめてな
その後で
俺:でもリーダーさんがこのブローチを身につけていても、このブローチの笑顔は、僕の視野には入らないですね。
リーダー:えっ、何? 言ってる意味が
わかんない。
キャンプを共にした女性とは
異なるタイプの男勝りな女性でな
なかなか一筋縄にはいかないって
かんじだったがよ
睡魔に襲われフラフラになりながらも
辛抱強く俺の話を聞いてくれる
リーダーに
俺は鬼のように話をし続けてな
成田着陸2時間前ってトコになってな
俺:リーダーさん疲れていますね。成田で一休みしていったほうがいいんじゃないですか? >>42
続きを書くぜ
当時の成田空港はな
今ほど便利ではなく
京成スカイライナーに乗るにしても
その前にバスに乗らなきゃいけなくてよ
まさに陸の孤島そのものだったぜ
都内まで戻るのに
今とは比べ物にならないぐらい
疲れる行程だったぜ
機内預け荷物を受け取る
ターンテーブルのところで
俺たちのホームステイツアーは
解散となり
リーダーは参加者の最後の1人が
荷物を見つけてゲートを出るまで
辛抱強く俺たち参加者を
見守ってくれたぜ
リーダーはな
成田空港近辺のホテルに
1泊してから帰ろうという俺の提案は
すんなりと受け入れてくれたんだがよ
ツアー無事解散の報告を入れるため
つくば万博の絵柄が入った電電公社の
テレフォンカードを取り出してな
公衆電話から事務所へ電話を
かけたんだぜ
非情にもな
急ぎの案件があるから
直ちに事務所に戻るようにって
言われたらしくてよ
成田1泊の計画はオジャンになり
ティーキャット【T-CAT】 行きの
リムジンバスに乗り込んで
リーダーのプライベートな連絡先を
教えてもらい
あっけなく旅が終了となったぜ >>43
続きを書くぜ
帰国して3日が経ち
DPEに依頼したホームステイ旅行中の
フィルム現像と写真プリントが
仕上がってきてな
キャンプを共に過ごした彼女の家に
写真を届けに行くことになったぜ
彼女の家は都心からは小田急線で
1時間ぐらいのところにあったんだがよ
大きな新築の家でな
自称家事手伝いなんだがよ
一人暮らしをしていてな
まあっ
そんなこたーどーでもよかったんだがよ
1か月弱のブランクを物ともせず
俺たちは再び繋がり合ったぜ
それから4日連続で彼女の家に通い詰め
出会った頃に劣らず
至福のひとときを過ごしたぜ
俺は当時
国立の某大学に通っていたんだがよ
9月は試験のシーズンでな
往復の小田急線の車内で
寸暇を惜しんで試験勉強したぜ
5日目はどうしたのかっていうとな
彼女がちょうど女性特有の周期に
突入してな
まあっ
俺もちょうど試験勉強が忙しくなって
きたんでよ
それから1週間はな
試験勉強に専念することにしたぜ >>44
続きを書くぜ
試験期間は続いていたんだがよ
1週間ぶりに
再び彼女の家に足を運んだぜ
だがな
以前と比べるとな
彼女との距離がかなり離れてしまった
ってことを察知したぜ
俺たちが繋がるってことについて
彼女が今までになく慎重になってな
それまでは俺たちが繋がる時にゃよ
俺たちの身体を隔てるものは
0.01ミリさえなくてよ
一切装着すら
したことなかったんだがよ
まあっ
女性の周期からすると
慎重にならざるを得ない時期に
突入したってことは
わからなくもなかったんだがよ
未来の俺たちを語り合った間柄で
装着を求められるってのはな
納得いかなかったぜ
俺はな
追い打ちをかけられるかのように
その日の帰り際に聞かされた
衝撃的な事実に
呆然と立ち尽くすことしか
できなかったぜ >>46
続きを書くぜ
それまで約1年間
海外の某都市に単身赴任中だった
その女性より10歳年上の旦那さんが
近日中に帰国し
下半期からは日本での勤務となることが
決まったって言ったんだぜ
その女性とそれまでにいろいろな話をし
未来まで語り合って
ずっと独身だと思い込んでいたんだがよ
築2年の大きな家はな
その女性と旦那さんのマイホームだった
って訳だ
旦那さんは赴任先で
非常に忙しくしていたのと
現地の治安が悪かったってこともあり
その女性は訪問することすら許されず
1年近く旦那さんには
会っていなかったんだってよ
そんでな
その女性は時間を持て余し
アメリカにホームステイに
行ったんだってよ
その女性の手元に届けたアルバムも
もう家に置いておくことができない
ってことで
俺が持ち帰ることになったぜ
現実を受け入れることが
難しかった俺は
試験期間終了後の日曜日に
最後のデートに付き合ってくれって
その女性に最後のお願いをしてな
今はなくなってしまった向ヶ丘遊園で
出会った頃のような距離感のある
デートをして
自分の気持ちを整理したんだがよ
別れの辛さに耐えかねてな
その女性もとうとう泣き出してしまったぜ
その日、向ヶ丘遊園では
俺たちの別れを慰めるかのように
あの『メロディ(Melody)』が流れていたぜ >>47
続きを書くぜ
♬恋人のまま 別れよう
素肌で歌う 秘密のメロディ🎶
メロディにそそのかされるかのように
夕刻、雨が降り始めたぜ
帰り際に向ヶ丘遊園駅で
反対側のホームに立つ2人を
時のロマンスカーが引き裂き
2人の関係に終止符が打たれたぜ
♬今宵 雨のSeptember
君に乗る純情な夜がとぎれてく🎶 >>48
続きを書くぜ
書き忘れたがよ
キャンプを共に過ごした女性から
得た最大の収穫はな
それを機に
俺の指遣いが段違いに
上達したってことだぜ
特によ
帰国してからその女性の家に
通い詰めた4日間はよ
俺の指テク向上訓練期間みたいな
モンでよ
その女性はな
俺の手首や指を掴み
俺の指が筆先であるかのように
なぞり方や回し方やはじき方を
身体を持って教えてくれたぜ
俺はな
その女性から習った指テクの
おかげでよ
その後の人生の幅が
段違いに広がったぜ
いくら感謝してもよ
感謝しきれないぜ >>49
続きを書くぜ
季節は変わって秋たけなわ
学園祭シーズン真っ盛り
その年の11月
ホームステイ参加者約30名が
一同に名古屋に集まったぜ
まあっ
同窓会のようなモンだぜ
最初で最後の1度限りのな
西日本からの参加者が
非常に多かったんでよ
ツアー同窓会は名古屋で
開かれることになったんだがよ
ツアーリーダーと会うのも
約2カ月半ぶりのことだったぜ
バッファロー近郊にステイできた
連中はな
ステイ期間中頻繁に行動を共にし
まるで同級生であったかのように
仲良くなっていたんだぜ
それにひきかえよ
俺をはじめ
僻地に回された参加者はよ
ステイ中に他の参加者と会うこともなく
と言うかできずに
あまり親しい仲間はいなかったぜ
俺はよ
一次会でサッサと退散し
名古屋市内のホテルに
チェックインし
1人で夜の街をフラフラしてみたぜ
何も楽しいコトがなく
ホテルに戻る途中
ホテルに割と近い場所で
2次会に参加して
ベロンベロンに酔っ払っている
ツアーリーダーの姿を
見かけたんだがよ
リーダーは俺の姿に気づき
リーダー:あら、◯◯くん、2次会来れば良かったのに。何で来なかったの?
こんな遅い時間まで名古屋にいるってことは、今夜は名古屋に泊まるの?
俺は目と鼻の先にあったホテルを
指差したぜ
リーダー:私の泊まるホテルはこっち。 >>50
続きを書くぜ
2人の泊まるホテルは通りを挟んで
向かい側の至近距離にあってな
俺:やっぱり2次会行っとけばよかったかな。もう終わっちゃいましたよね。
リーダー:何なら私が今から◯◯くんの2次会に付き合ってあげてもいいよ。
リーダーは同窓会の前に
ホテルにチェックインを済ませていて
2人とも身軽な状況だったので
迷いもなく夜の街へと
吸い込まれていったぜ
結果的には流れてしまった
成田1泊の計画を
機内ですんなりと受け入れて
くれたってこともあり
名古屋で飲みに行くことになった
その日のうちに
リーダーと親密な関係
になれるんじゃないかと
高を括っていたんだがよ
そう簡単にはいかなかったぜ
一緒に飲み始めて
5分と経たないうちにな
まるで俺がリーダーの後輩か部下
であるかのように説教を始めてな
思いのほか面倒くせー女だなって
いう気がしてきたが後の祭りでよ
夜明け近くまで
説教をされ続けたぜ
リーダーの別の面を知ってしまい
これでもう二度と会うことも
ないんじゃないかとも思ったんだがよ
東京に戻る新幹線でも
行動を共にしてな
2人の予定が合う
年明け早々の数日間で
一緒に香港に行ってみようかって話が
持ち上がったんだぜ
香港旅行に行く前まではな
リーダーとは数回都心のカフェで
話をした程度でそれ以上のコトはなく
それ以上のコトは
年明けの香港旅行へ持ち越しとなったぜ >>51
続きを書くぜ
これでな
俺が大学1年生だった時の
ホームステイ日記は終了だぜ
結婚直前に焼却処分した
当時の日記帳に
書かれていたはずの日記をな
コロナ禍の2020年に
20数年ぶりに忠実に再現してよ
別のスレッドに書き綴ったモンを
まとめて
ここに転記してみたぜ
タイムマシンがあったらよ
もう一回だけでも
あの娘とあの時あの場所に戻って
未完成の夏物語に飛び込んで
愛の言葉をささやいてみたいぜ
今から思い返すとな
まさに
映画みたいな恋に落ちて
思い出すたびによ
甘酸っぱい何とも言えない
ドキドキ感が溢れ出てくるぜ
俺ももう50代後半になっちまったけどよ
またいつの日か黄昏時のキャンプ場で
歩いたようなペイヴメントを
ドキドキしながら歩いてみたいモンだぜ
ホームステイ日記ほど
はっきりと記憶に残ってはいないんだがよ
香港旅行日記をはじめ
焼却処分した日記帳は
他にもあったからよ
また気が向いたら再現して
ここに書き溜めさせて
もらうことにするかもしれないぜ
とは言っても
最近は忙しいから
当面は無理だろうな
50代のスレッドを読んでいる諸君もよ
俺みてーに
甘酸っぱい思い出を
ぜひここに書き込んでみたらイイぜ
気持ちも若返るしよ
明日への活力がみなぎるコト
間違いなしだぜ
ホームステイ日記格納(完) 【映画】「メグ・ライアン出演映画 ベストランキング」 を米映画サイトMovieWebが発表 [湛然★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1654786719/
1 When Harry Met Sally… (1989 )
2 Innerspace (1987)
3 Sleepless in Seattle (1993)
4 You’ve Got Mail (1998)
5 City of Angels (1998)
6 Courage Under Fire (1996)
7 Top Gun (1986)
8 Restoration (1995) 映画みたいな恋って言うとやっぱ舞台は海外だよな。
大学生の頃長い長い春休みにヨーロッパ一人旅していた時、ロンドンのソーホー地区という繁華街を歩いていたら、向かいからやってくる黒人女性2人組が俺の左右にきて、一方の女性が俺の右手を、もう一方の女性が俺の左手を引っ張って、俺は引き摺られるかのように裏道まで連れて行かれた。
何かをされたわけでもなかったが、その日の夜に3人でディスコに行ってから、その女性たちの家に呼ばれ、その後2週間ぐらい一方の女性と四六時中一緒にいたかな。
その2週間でだいぶ英語が上達した。 大学生とかの若いうちから気軽に海外行く人が多くなったのは、今の50代前半より下の世代だよ
50代後半より上の世代は、若いうちにあまり海外行ってないよね
ここに大きな世代の分断があるとは思うけど
1、2ヶ月海外行ってれば、多少の色恋沙汰はあって自然だよね 若い頃より今そういう
恋をしてる人はいないか・・・ 同級生とかサークルの先輩後輩とか
同僚とか取引先の知り合いとか
そういう間柄から発展した恋愛というのは
生活臭が漂い過ぎているから泥臭過ぎて
ローマの休日みたいな恋とは程遠いかも
もっとも学園ものの映画なんてのもあるから
そもそも映画みたいな恋という定義は難しい
50代の今の恋となると
最後の恋とか最後から二番目の恋とか
テレビドラマみたいな恋ならあるかも 青函連絡船のフェリーで恋が始まった。「津軽海峡冬景色」聴くたびに思い出す。 >>53
懐かしい
You've Got Mail<Anyone at All>「ユー・ガット・メール」
https://www.youtube.com/watch?v=hs55ehTx9ow >>64
ワイも赴任先の離島に渡る船の中で恋が芽生えた >>67
それなら都会の繁華街に住まないとね
郊外や田舎に住むなんてNGだよ 独身の頃に海外に頻繁に行ってた人なら、映画みたいな恋の一つや二つはあってもおかしくないよね 40代の頃より
はるかに難しくなったかもしれないが
身体が動くうちに
歩けるうちに
どんどん恋をしようじゃないか
50代の諸君
60代になってからでは
遅いかも >>1
ローマの休日なら、日本制作のオリジナル版もあったね。武田鉄矢主演のヨーロッパ特急1984見た人いるかな。主演が日本人だけに、日本人のする恋だったらこっちの映画に近いものになるんじゃないかな。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/148840/
https://filmarks.com/movies/7528 シチュエーション次第
学校との往復、会社との往復、平凡な家庭生活
どれをとっても映画のシーンにはならない
自分をどれだけ非日常的なシチュエーションに置けるかどうか 30年以上前のことだけど、デリーからアグラへ向かう鉄道の2等客席で一緒になったアメリカ人女性と、その後1週間行動を共にした。映画のシーンみたいな1週間だったな。 >>78
アグラのホテルに2連泊してチェックアウトする朝、荷造りに忙しくいていた2人はベッド前で不意に正面衝突。そのまま倒れるようにベッドに雪崩込み、本能の赴くままに。おかげでチェックアウトは2時間遅れ、予定していたジャイプール行きの列車に乗れず、急遽次の行き先を変更しバラナシ(ベナレス)行きの夜行列車に乗り込むこととなった。 妻子ある身の50代現役サラリーマンは、この先どうやったら映画みたいな恋をすることができるのか、誰か教えてください。 >>86
住宅ローン未返済者や月額小遣い三万円以下は、100%無理
月額小遣い十万円以上なら可能性あり 二度目のヨーロッパ旅行は旅慣れていたということもあり、最後の10日間をイギリスで過ごすというルートを選択した。今では列車で数時間であっけなく通過してしまうドーバー海峡トンネルもまだ開通していない頃の話で、大陸側からイギリスへ渡るのは手間のかかるプロセスであった。
大陸側からの夜行列車で車内で一夜を過ごして、翌朝ベルギーの終着駅オステンドに到着した。列車から降りた人たちは、ぞろぞろとパスポートコントロールの列に並びドーバー海峡を渡る連絡船に乗り込んでいった。
船が出航しデッキを彷徨い歩いてみると1人旅をしているかのような白人女性がいて、離れ行くヨーロッパ大陸を寂しそうに眺めていた。さりげなく隣に近づいて話しかけてみると、スコットランド出身の大学生で夏休みを利用してベルギーのブリュッセルにあるフランス語の語学学校で1カ月ほど研修を受けた後で、ちょうどスコットランドの家に帰る途中だと言っていた。
この瞬間から映画みたいな恋が始まった。 みんなすごいわね
アタシは今でも独身だからまだまだ映画みたいな恋はできると思っているけど
若い頃は映画みたいな火遊びの連続だったわ
旅行中に出会った年下のかわいい男の子をイジって責めるのが何よりもおもしろかったわ
そんなことやってるうちに人生設計するのも忘れていつの間にか歳とっちゃったけど
楽しかったんだからしょうがないわ 『ローマの休日』か
オレの人生の原点みたいな映画だな >>87
世の中君みたいに口が軽い人ばかりじゃないさ。いくらでもできるさ。恋することは若さの秘訣さ。還暦になってからでは遅いのさ。どんどん恋をしたらいいさ。 何十年も前当時付き合ってた彼女と些細なことで
大喧嘩になり彼女は家を飛び出した
俺は追いかけドシャ降りのなかで言い争いをした
しばらくしてもう無理だと思い
俺が「もういい」と言って帰ろうとすると
彼女が無言で俺の腕を掴んだ
ドシャ降りなのでわからなかったが
よく見たら彼女は泣いていた
俺はたまらなくなって彼女を抱き締めた
これが俺が唯一経験した映画っぽい場面 80年代にエジプト8日間のツアーに参加したときのことだ。エジプト国内をひと通り回り、帰り際にルクソールからカイロへ向かう国内便から帰国便に乗り継ぐ予定だったのだが、乗る予定の航空機が故障して替わりの航空機がやってきた。ところが一回り小さい小型機で、どうしても2席足りないというのだ。
添乗員は35名のツアー客に、帰国が延びても構わない人がいたら協力してもらいたいと呼びかけ、当時大学生であった俺と、短大の講師であった女性の2人がルクソールに足止めとなった。
ホテルや食事や空港への送迎などは航空会社持ちで、次の帰国便が出るまでの3日間、何の予定もなくルクソールで過ごすことになった。2人はツアー参加まではまったく面識がない赤の他人だった。
滞在先のホテルの部屋はリゾートタイプの二世帯コンドミニアムで、寝室は別々の部屋になったが、浴室やトイレはその中間にあるものを共通で使うこととなり、事実上、同じ屋根の下で3日間過ごすことになった。
書き始めたら長くなったので、続きはそのうち書きます。 10年前、真夏の霧ヶ峰
当時43歳だった私
旦那と夫婦喧嘩をし気分転換に
高原を一人でドライブしていたら突然の雷雨
ハイキング中の男子大学生が
雨具もなくずぶ濡れになっているのを発見
乗っていかないかと逆ヒッチハイク
近くでよく見たら私好みの
優しい顔立ちのイケメン
一刻も早く濡れた服を乾かしたほうがいいと
近くのモーテルへ
服が乾き切るまでの約半日
43年間封印されていた
肉食女子の本能が剥き出しに
全くの別人を演じた映画のような一日 50代はバブル期育ちだから、こういうの好きだろうね 貧乏とか病弱とかみみっちいしみったれたことばかり書き込んでいないでこのスレみたいに楽しい出来事をどんどん書き込んだらいいのにね アタシ自身の経験から言うと
思い出はいっぱいあるわ
パリの休日
セビリアの休日
ヘルシンキの休日
シチリア島の休日
プラハの休日
ドバイの休日
クアラルンプールの休日
上海の休日
サンパウロの休日
マイアミの休日
オークランドの休日
その他にも数え挙げればきりがないわ
相手の男の子は日本人だったり外国人だったり観光客だったり現地人だったり
今となってはみんな良き思い出だわ
もう歳をとってきちゃったから若い頃のようにはいかないけど、死ぬまでにあと数回は思い出づくりしてみたいかも 雨季の最中に訪れた30年以上前のバンコクで、街歩きをしていたら突然のスコールに遭遇した。慌てて近くにある個人商店らしき建物の軒下に緊急避難した。休日のことで商店は閉まっていて、定員2名程度の狭いスペースに縮こまるかのように待機していた。通りすがりのオーストラリア人観光客の女性も、慌てて同じ軒下に駆け込んできた。幸か不幸かスコールにしては長く、1時間半ぐらい降り続いた。長く続いたスコールのおかげで2人は親睦を深め、その後3日間バンコクで行動を伴にすることとなった。 学園祭で芽生える恋なんてのもあったあった懐かしいけど
たいていすぐ終わった 住んでるところ遠いと長続きしない >>121
俺は逆で遠いほうが会いたい感が強くで長続きしたな
昔は携帯もないし家に直接電話するのも相手の親が怖いし
たまに会う1日が濃密で濃い時間だった >>122
遠いといっても彼女が外国住みだと会えるのは年に数回で合わせて十日もない
留学中に知り合ったドイツ人の彼女とは留学終えてから3年で途切れた その年に十日もないデートの場所はドイツや日本国内だけじゃなく
ニューヨークだったりアテネだったり北京だったり映画みたいだった 携帯電話もメールもない時代だったから待ち合わせ場所を決めるのが
たいへんで何ヶ月も前から手紙を何度もやりとりして雑誌のグラビア
で見つけた有名カフェの写真のコピーにしるしをつけて手紙の中に入れ
だいたいこのあたりで何時頃に待っていてとかセピア色の思い出だよ >>125
待ち合わせ場所は同じところだったので
そんなに困らなかったな
会った日に一週間後か1ヶ月後かの会う日を決めてたな
のんびりした時代だった >>126
125は124の続きで前回はニューヨーク今回はアテネ次回は北京と
会うたびに初めての場所でデートしていたからたいへんだった 還暦過ぎのジジババになったら無理だろ
今のうちだよ 人生最後の恋ができるのも 外国の地区に休日付ければいいってもんじゃないだろう
府中の休日
船橋の休日
川崎の休日
浦和の休日
大井の休日
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