家が貧乏だったやつしかわからないこと Part.18
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ>>990
>山田のゼットライト
そういや、オサレにうるさい兄貴がこれ持ってたかも??
自分は、卓上に置くださいやつ、、今もテレビの後ろに使わずそのままあるんだけど 煽り疲れた5ちゃんを閉じて
休日もこれで終わりかなとつぶやいて
鏡の顔を眺めながら「老けたな」と思ったら泣けてきた〜 散髪屋で頭を洗って、どうぞと言われて上体を起こした時
頭髪が落ち武者でギョッとした。しかも相当に逝ってる。 ショッピングモールのエスカレーターで両脇がミラーのところがよくあるでしょう
ふと横を見て「なんだ、この貧相な男。なぜ俺を見つめてるんだよ…」
と思ったら鏡に映った自分だった 納豆がおやつだったな
当時はタレとか付いてなくて醤油をかけて食べていた気がする 小中高と買い食い(この言葉、古い?)したり缶ジュースを買ったりは
とてもできなかった。親からもらった小遣いは使わず大切にしていた。
みんなはなんで平気で出来るのだろう?と思っていた。みんなが金持ちに
見えていた。高校時代に友人に喫茶店に誘われても行けなかった。
昼食代にと親にもらった金を昼飯を抜いて貯めて、何か(何なのか分からず)
のためにと思い、取っておいたりしていた。とにかく金というものは自分の
楽しみのためのものとは思えず、使わないものという意識があった。
今でも水道は細く水を出す習慣のまま。 >>10
1200円のところに行っているから関係ないな
洗髪する散髪屋に行くほどの価値がない髪になったし
息子は美容院に行っているけれど、自分の感覚だともったいない カットに行かなくてよくなってもう数年
冬は帽子ないと寒いね (´・ω・`) 俺はいまも貧乏だから外食できんわ
朝昼晩全部自宅か弁当じゃないと食費が超過する 俺は高校くらいに、親が当時で2000〜3000円くらいする良いハサミを買って来てくれて、それ以来、自分で切っている。今もそのハサミ。 自分は高校の時帰り道で喉が渇いたが、ジュース買うお金も持ってなくて、駅前で献血してたからジュース欲しさに献血した。
でも貰えたのはヤクルトでガッカリした。
逆に喉渇いたわ。 団地にすんでいたこともあったけど、定期的に消毒があったな
あれは何の消毒だったのだろう
あと借家時代に親父が赤痢にかかった
衛生状態が極端に悪かったんだと思う 美容室は5回くらい行ったことある
千円カットも行けない
Amazonバリカンでツーブロックや坊主にしたり
最近はスキバサミでコマメに美容師気取りで適当に自分で切ってる 食べ放題に行ったらバレないようにリュックにデザートを入れる >>29
最近母がグルメだって知った、おまえ食べって言ってるのは
実はいやな物ってことがわかった
そのおかげで、嫌いな物できちんと食べる子になったけどね >>29
時々外食行くと「お母さんはお腹いっぱいだから沢山食べな」と言ってたけど、実際は何も食べてなかった 子供の頃外食なんて行ったことなかったな。
せいぜい100円蕎麦か100円ラーメン。
数年に一回カツカレー食べに連れてってもらってた。カツもカレーもご飯のおかずとして成り立つのになんて贅沢なメニューなんだと思ってた。大人になって自分で稼ぐようになってからは普通に食べてたけど、最近は体が受け付けなくなってきた。 母親の頃外食なんて行ったことなかった。
せいぜい立ち食い蕎麦屋かスガキヤラーメンぐらい。 片付け方がわからない。
ガキの頃はろくな家具なんて家に無くて、夏冬それぞれ1箱(元々少ししか無い)の
ダンボールに入れてたし、下着とか靴下は一年中同じカゴに入れっぱなし。
学用品やら他のものも机やタンスなんか無かったから、整理整頓の方法がわからないんだ。
どうにか行けた高校でバイトして買ったカラーボックスが自分専用の初めての家具だった。
うれしかった。 お年玉は貰っても没収。
実は没収したお年玉はずっと貯めてて大人になってから貰えたなんてパターンも無し。 >>35
片付けできないの分かる
自分は3LDKの団地住まいだったんだけど子ども部屋なんてなかった
1 両親の仕事部屋
2 両親の寝室
3 母親の荷物・洋服ダンス←ここに妹と2人で机並べてリビングに布団敷いて寝てた
何故アンタたちは片付けできないの!とよく怒られたけど、
そもそも片付けるスペースがないからそれぞれの机の上にものを置くしかできないし、
布団はそれぞれの机の下に押し込むしかできなかった
(何故かボックス類を部屋に置くことは禁止だった) >>35 初めて買ったカラーボックス嬉しかったな。 >>39
私はファスナーで開け閉めする衣装ケースが、初めて買った家具で、しばらくは毎日そこから制服出すのが嬉しかったな。 小5で初めて買ってもらった扉付きのカラーボックスは
シール貼ったり剝がしたりの跡や、家を出て度重なる引っ越しの時に付いた傷があるけど
今でもウチのクローゼットの中で機能してる 母親は貧乏性で安売りがあると買いだめ
買わないと損をすると信じているので手に持てる限界まで買ってヨロヨロしながら帰ってくる
買い過ぎてしまう>半分ぐらいは賞味期限が切れてしまう>もったいなくて捨てられない>台所がゴミの山
こういう無駄があるから貧乏なんだと言うとキレるので放置するしかなく家の中がどんどん腐った食品と新聞紙のゴミで埋まってゆく
その結果狭い家はますます狭くなり家が狭くて座るところもないわねと母はボヤいている
あんたの頭が悪いから座れねーんだよ
旅館、飛行機、ホテルとあらゆるところにある備品を母は持ち帰ってくる
結婚して実家を出た俺の住まいまでやってきた時に、お土産だよと嬉しそうに渡されたのが飛行機内の毛布、カーディガン、スプーンとフォークのセットでゾッとした
貰っても嬉しいような良いものでもなく、母が帰り次第捨てた みんなが持ってるマジソンバッグが欲しかったけどなかなか買って貰えず、やって買ってもらえそうになった時は誰もそんなバッグ持っていなかった。 高校受験は公立一本と言われた
私立はお金がかかると滑り止めも受けさせてもらえなかった
自分は運良く合格できたけど、当時成績トップで同じことを言われていた女子が当日体調不良で受験失敗してしまって中卒で働くことになった時は神を恨んだ 公立は定時制も通信制もある。
昼間行けないのを跳ね返すことは可能だ。 通える高校が1校しかない山奥出身かもしれないんで、そんな苛めんなよ 昔は交通のべんが悪かったから
通える高校の選択肢が無かったし
二次募集なんていつから始まったのかな
俺の頃は無かったな
今は私立とか高専に流れるから、定員補充してるけど >>43
自分はクーピーペンシル。
みんな何十色だか忘れたけど相当な本数はいってるの持ってて羨ましかった。
親戚のおじさんに12色だったかを買ってもらった時にはもったいなくて結局あんまり使えなかった気が。 >>45
首都圏だけど当時は二次募集なんてなかったよ 定員割れした高校では二次募集あったな。
地元の進学校落ちたのが、隣町の商業高校に通ってた。 >>51
そうだったのか
当時二次募集があったのは私立と定員割れした高校だったのかな
トップの子は県内トップの公立女子校しか通うのを許してもらえなかったから
そこ以外は行かせてもらえないんだと言ってた >>49
自分もクーピーペンシルに憧れてたけど、母は「全部が芯なんて、削ったら勿体ない!」と言って絶対買ってくれんかった。 今は公立は前期試験・後期試験の二回チャンスがあるんだよね
自分も北関東の公立至上主義の地域だった
公立落ちて東京の私立に通ってた
(地元の私立高校に通うのはかなり恥ずかしいし肩身が狭い) >>49
クーピー欲しかったな
大抵学校グッズは上の兄弟のお下がりだった 本人やその家族や学校側しか知らない情報がレスの流れに合わせてどんどんと出てくるから面白いね
もう少し引っ張れるかな? まさかここの子?
ttps://pds.exblog.jp/pds/1/202104/07/63/a0390763_15374182.jpg
ttps://pds.exblog.jp/pds/1/202111/12/63/a0390763_12215340.jpg
ttps://pds.exblog.jp/pds/1/202111/12/63/a0390763_12215314.jpg 私立でも行かせてはもらえたけど、極力公立でと言うことでワンランク下の高校に入った。
おかげであいつ天才じゃねみたいな感じで悪くはなかった。ただ、公立だと他にも似たような奴はそこそこいた。 ワンランクじゃなくて、ツーランクかもな。
卒業時にはほぼ同レベルになっていたけど。 公立高校だったが、授業料は\1700だったと記憶している。
それを買い食いなんかに使い込んで青くなってる仲間が大勢いた。 共通一次試験が始まった頃の世代だったから国立は一発勝負だったな
私立は受けていなかったので安全牌の国立を受けた
当然受かったけれど風邪とかで落ちたらヤバかったな
授業料免除とアルバイトで高校の時より経済的に楽になった >>44
自分もそうだったけど担任が尽力してくれて私立の特待生のクチを見つけてくれた。無事公立に受かったけど。同級生で貧乏で中卒で働くって言っていた子には絶対高校へ行くべきだと説得して行かせてた。 中学の時俺より格段に頭悪かった奴が駒澤大学の附属校に進学してそのまま大学行った。俺は高卒で住み込みで就職。俺はついてないなあと思った。 >>59
進学校でないと周りはあまり勉強しないから、モチベの維持が難しいよね。
せめて有名私立大学への進学を親が許してくれたならなあ。
国立だけの一発勝負では不合格なら全ての努力が無駄になるから、
やる気にならない。 >>63
俺の経験では高卒と中卒では基礎学力の差が歴然としていた。
国家資格の取得でも高卒が必須ってのもあるしな。
尤も中卒より更にひどい大バカ高卒も多いが。 家が貧しい人は陸軍士官学校か海軍兵学校に行けばいいよ。
うちの爺さんも貧しい家庭から陸軍士官学校に行ったよ。 大学行けるってだけで金持ちだわな。
貧乏家から見たら。
そんな暇あったら働いて家に金入れろだったからなあ。 大学行ってます。
大学の生協で働いてる。
伊東四朗。 >>71
陸軍士官学校から陸軍大学校なら無償だよ? 実家住まいだろうがアパート暮らしだろうが寮生活だろうが
働き出したら毎月親元に金を送るのは当然だった。 どんなにシノギがきつくても、昔は親への上納金は必須だったから >>75
うちは高校に入ってからは早くやめて働けと酔っぱらいの父に言われていた。高卒で家を出て寮に入って仕事はじめたけど妹は高卒で家に残り働いてお金を入れてた。だから私はいつも役立たずってなじられてた。 たけしも自称貧乏だけど、兄も本人も大学行ってるしなあ 昭和50年以前は学費が安かったからだろ
高度成長後、ばか上がりした 貧乏&負のスパイラルから脱却させるために無理してでも大学に行かせてくれた親御さんには感謝しないとね
自分は行けなかったから子供には院まで行かせられるように貯蓄してる 進学なんかせんでえぇから早く働いて家に金を入れろって思考の親は
何なんだろうな。
そんなに貧乏な原因を考えられないのかな?
貧乏が連鎖するって考えが及ばないんだろうな。
子供作るのも自分を楽にしてくれるだけの
道具作り位にしか考えていないんだろうね。 >>85
貧困の連鎖から逃れなかった。
生活保護の母子家庭だったから、あきらめてる。 >>83
昭和30年〜昭和48年
国立大学の年間授業料が公務員の初任給一ヶ月より安かった >>87
諦めんなよ…
諦めんなよ、お前!!
どうしてそこでやめるんだ、そこで!!
もう少し頑張ってみろよ!
ダメダメダメダメ、諦めたら!
子供のこと思えよ、子供の将来のこと思ってみろって。
あともうちょっとのところなんだから。
俺だってこのマイナス10度のところ、しじみがトゥルルって頑張ってんだよ!
ずぅーとやってみろ、必ず目標を達成できる!
だからこそNever Give Up!! 田舎だったんで馬鹿私立高しかなかったが、受験したら授業料免除の特待生合格だった
公立は県下一の進学校受かったが、親が学費払ってくれて公立高に進学した 子供の頃、近所のおばさんたちが井戸端会議やってて
あそこのうちは今は大変だけど、男の子が5人もいるんだから
年取ったら左団扇だよねぇ、なんて話をよくしてた。
でも結局、5人の子供は全員家を出て消息不明。その親は
最後は市営の老人ホーム、当時は養老院に入った。 学区内の私立高校は甲子園常連校だった。
滑り止めって事で受けたんだけど家庭の事情もあって行く気もなかった。
同級生で野球やりたくて受けたのもいたが、試験問題の回収時に「アメリカの首都は」という問いに「ニューヨーク」と回答してて、こりゃダメだと思った記憶。 現在の首都はワシントンDCだけど最初の首都はニューヨークだから間違いではないと言い訳してみる ニューヨークと言ったら
「お前ら!ニューヨークへ行きたいか?」
「罰ゲームは怖くないか?」
それでは第一問
「自由の女神があるニューヨーク、その昔ニューヨークはアメリカ合衆国の首都だった。南北戦争後のニューヨーク、1800年当時もアメリカの首都だった。」
さぁ!○かXか? 貧乏だから高校や大学に行けない、行けたなら貧乏ではない
という単純な話ではなくて
同じくらいの貧乏でも
教育を犠牲にするか、教育以外を犠牲にするかの違いがあると思う >教育以外を犠牲にするか・・
貧乏だから犠牲にするものさえないんだよ。 え?じゃあもしかして日本の首都は東京ってわけじゃないの知らないんだ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています