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三島由紀夫VS太宰治 P35
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0001大人の名無しさん
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2007/03/19(月) 14:33:43ID:er7/cU4l
さあ語れ
0649大人の名無しさん
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2011/05/14(土) 11:06:07.65ID:KNfw/pBL
やつぱり僕は日本の女の人、好きだよ。だつて、いざとなりや、親切だもの。ほんと、親切ですよ。ずいぶん
意地悪なこと言つても、結局、親切だもの。
外国の女性はね、友達になつても、日本人みたいに人情が通じないしね、第一、ソバカスが出てて気味が悪いもの。
それにみんな巨きい女つて嫌ひなんだ。(中略)
僕の女の友達、いつぱいゐるけどね、みんな口が達者で、お互に悪口ばつかり言つてて、僕なんかボロクソに
やられてゐる。三文文士扱ひでね、まづ着てるものを全部ケナすんですよ。「趣味の悪いセーターを着てる」とか、
「その頭の格好は何さ」とか「クツシタがなつちやゐない」とかね。さうして「一緒に歩くの恥づかしい」なんて、
サンザン言ふんだ。だけど、その口の悪い友達がね、この間、僕のおふくろが病気で入院したら、三島さんが
さぞ困つてゐるだらう、ショックを受けただらうと思つて泣いたつていふんだな。あとでその話を聞いてね、
僕はちよつとホロリとするんですよ。
僕はヘンな性質があつてね、けんくわ相手みたいなのが好きなんだ。けんくわ相手で時どき親切つていふのが
好きなんです。

三島由紀夫「僕の理想の女性」より
0650大人の名無しさん
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2011/05/16(月) 13:48:47.75ID:NAYN6vwB
日本人には、無意識のうちに、俳句的な感情類型といふものは潜んでゐる。五七五でものを考へ、事物を把握し、
ふとした嘱目の風景を、いつのまにか五七五の形に要約して見てゐるといふことはありうる。小さなもの、
たとへば蝶、蚊、こでまりの花、水引草、……そんなものを見た時ほど、さうである。われわれの目には昔ながらに、
美的な、顕微鏡がついてゐる。
(中略)
私はもう俳句を作ることもできず、その才能もないくせに、日本の季節々々が、かういふ小さな美的理論で、
モザイクのやうにぎつしり詰まつてゐることを感じると、いつのまにか、その理論にきつちりとはまつてゐる自分を
痛感することがある。長い冗々しい長編小説なんか書いて、自分が巨人国の仲間入りをしたやうな気になつてゐて、
ふと気がつくと、それは夢で、もともと親指サムぐらゐな背丈しかなかつたことに気のつくやうなものである。
実際北米ニュー・メキシコ州の、西部劇によく出てくる峨々たる岩山ばかりの、乾燥した空々漠々たる風景などに
触れたとき、私は自分の目のレンズがどうしても合はないのを感じた。

三島由紀夫「蝶の理論」より
0651大人の名無しさん
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2011/05/20(金) 10:47:26.37ID:0pIEvqQk
(神輿の)懸声は、単純な拍子木や、原始的な金棒のひびきに導かれて、終始同じリズムでやりとりされてゐる。
もし神輿に懸声が伴はなかつたら、それは神輿の屍体にすぎぬ。なぜなら、(おそらくここに、神輿の懸声が、
他の肉体労働の懸声とちがつてゐる点があるのだが)、このリズムある懸声は、神輿の脈搏なのである。それは
理性の統制を決して意味することなく、われわれの動きを秩序づけようと作用することもない。正しい懸声の
あひだにも、肩にかかる力は目まぐるしく増減してをり、足元は人に踏まれたり踏み返されたりしながら、調子を
とらうとするそばから小刻みに乱される。われわれの気儘な動きのあひだにも、心臓が鼓動を早めながら、なほ
正確な脈搏を忘れぬやうに、そのとき懸声は担ぎ手たちの感じてゐる自由な力を保証するために挙げられてゐる。
あの力の自在な感じは、懸声がなかつたら、忽ち失はれるにちがひない。

三島由紀夫「陶酔について」より
0652大人の名無しさん
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2011/05/20(金) 10:47:46.29ID:0pIEvqQk
そしてリズムある懸声と力の行使と、どちらが意識の近くにゐるかと云へば、ふしぎなことに、それはむしろ
後者のはうである。懸声をあげるわれわれは、力を行使してゐるわれわれより一そう無意識的であり、一そう
盲目である。神輿の逆説はそこにひそんでゐる。担ぎ手たちの声や動きやあらゆる身体的表現のうち、秩序に
近いものほど意識からは遠いのである。
神輿の担ぎ手たちの陶酔はそこにはじまる。彼らは一人一人、変幻する力の行使と懸声のリズムとの間の違和感を
感じてゐる。しかしこの違和感が克服され、結合が成就されなければ、生命は出現しないのである。そして結合は
必ず到来する。われわれは生命の中に溺れる。懸声はわれわれの力の自由を保証し、力の行使はたえずわれわれの
陶酔を保証するのだ。肩の重みこそ、われわれの今味はつてゐるものが陶酔だと、不断に教へてくれるのであるから。

三島由紀夫「陶酔について」より
0653大人の名無しさん
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2011/05/20(金) 11:14:13.53ID:0pIEvqQk
Q――ちやうど三島さんが行つてゐる間、アメリカの人工衛星の失敗とか、それから例のリトルロックの
黒人学生の排斥問題があるんですが……

三島:あの問題は全然国内問題でね、僕は人種的偏見といふ問題については、外から言ふべきぢやないと思ふんだね。
そりやアメリカ人のみんなに会つてみなければわかりませんよ。そして自分の心の中から完全に人種的偏見が
とり去られなければ、どんな政治的な手や法律的な手を打つたつてだめなんで、時間の問題ですね。
日本人の中には黒人がゐないんだから、この問題を感覚的に理解することができない。人種的偏見つていふのは
心理的な問題であつて、外から、民主主義国にそぐはなくてけしからんといふべき問題ぢやない。つまり歴史と
伝統の問題だからね。

三島由紀夫「三島由紀夫渡米みやげ話――『朝の訪問』から」より
0655大人の名無しさん
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2011/05/23(月) 11:07:54.94ID:4LwhLRiM
世の中には完全に誤解されてゐながら、絶対に誤解されてゐないといふふうに世間に思はれてゐる人もたくさんゐる。
社会の大半の人はさうだといふこともできるだらう。あの人は磊落で面白い人だ、気分のいい人だ、と言はれて
一生を過した人が、実はとんでもない反対の性格の持主であつたといふこともありうる。僕といふ人間は磊落かと
思ふと神経質、神経質なのかと思ふと磊落に思はれたりする。正反対の両方が世間にまるだしになつてゐる点で、
一番あけつぴろげなのだといへるかも知れない。
普通の社会だつたら人間だけがあつて、それによつて、太つた人は楽天的、痩せた人は神経質といふふうに
思はれたりするが、小説家といふものは、人間があつてその上作品があるのだから二重の誤解の上に立ち、読者は
いろいろな像を描く。その像にすつぽりはまる作家もゐるだらう。(中略)
僕は自分が不機嫌な時、僕の肖像が、僕をきらひな人の描いた肖像にまるで生き写しだと思つて感心することがある。

三島由紀夫「作家と結婚」より
0656大人の名無しさん
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2011/05/23(月) 11:08:17.38ID:4LwhLRiM
(中略)
僕は結婚したら、大変いい御亭主に見えるだらうとすでに云はれてゐる。しかしシャイネンする(ふりをする)
だけでいいのではないか。人間は精神だけがあるのではなくて、肉体がなぜあるのかといふと、神様が人間は
なかばシャイネンの存在だとしてゐるといふことを暗示してゐると思ふ。ザイン(存在)だけのものになつたら、
シャイネンがほんたうに要らない人間になる。それならもう社会生活も放棄し、人間生活も放棄したはうがいい。
どんなに誠実さうな人間でも、シャイネンの世界に生きてゐる。だから僕が一番嫌ひなのは、芸術家らしく
見えるといふことだ。芸術家といふものは、本来シャイネンの世界の人間ぢやないのだから。芸術家らしい
シャイネンといふものは意味がない。それは贋物の芸術家にきまつてゐる。芸術家らしいシャイネンといへば、
頭髪を肩まで伸ばして、コール天の背広を着て歩いてゐるといふのだらうが、そんなのは贋物の絵描きにきまつてゐる。

三島由紀夫「作家と結婚」より
0658大人の名無しさん
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2011/05/27(金) 12:27:06.97ID:GGyF1+WH
あなたの下さつた直言を、友情と誠意に充ちたお言葉として、うれしく拝読しました。あなたは独断と仰言るが、
古典派が内心浪漫派であることは、文学史の通則みたいなもので、私も大きにロマンチストなのかもしれません。
ただ面白いことは、正面切つた浪漫派には、本当の古典派はゐないことで、この通則は、「逆も亦真」ではない
やうですね。
しかし、伝播の速い世の中では、今日の独断も、明日の通念になる。あなたがロマンチストと言つて下さつた以上、
明日から私はロマンチストでとほりさうです。いづれにせよ、人がかぶれといふ帽子を、私は喜んでかぶるつもりです。
たとへそれが、あのルイ王がかぶらされたといふ三角帽子であつても。

三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より
0659大人の名無しさん
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2011/05/27(金) 12:28:44.10ID:GGyF1+WH
ただ私の何とも度しがたい欠陥は、自分に関する最高の通念も、最低の通念も、同じやうに面白がることなのです。
これはほとんど私の病気です。おしまひにはいつもかう言ひたくなる。「何を言つてやがる。俺は実は俺ぢや
ないんだぞ」これが私の自負の根元であり、創作活動の根源です。そしてこれが、あらゆる通念を喜んで
受け入れる私の態度の原因なのです。
私は不断の遁走曲であり、しかも、いつも逃げ遅れてゐる者です。子供のころ、学校で集団でイタヅラをすると、
いつも逃げ遅れるのが、私ともう一人Kといふ生徒でした。そこで私とKはつかまつて、先生から、鉢合せの罰を
うけるのでした。こんな痛い刑罰はない。しかしKのオデコにはコブができないのに、私のオデコにだけは
コブができた。これが爾後、私の宿命となつたやうに思はれます。

三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より
0660大人の名無しさん
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2011/05/27(金) 12:39:35.28ID:GGyF1+WH
聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長がその掲載を反対したにも
かかはらず、あたかもぼくが圧力かけて掲載させたやうに伝はつてゐるらしいんです。これはとんでもない誤解で、
推薦した事実さへない。第一、新人の原稿ならいざ知らず、深沢さんといへば一本立ちの作家ですからね、
だれそれの推薦なんてあり得ないぢやないですか。世間ではよく、ある出版社の背後にはこれこれといふ作家がゐて、
その作家の言ふことならきく、といふやうな考へを持つ人がゐるらしいが、それは“編集権”の存在を知らない者の
言ふことで、編集権を侵害しないといふモラルは、ぼく自身いつも守つてきたはずだ。ただ例外があるとすれば、
“文学賞”の審査員になつたときくらゐのものだらう。そのときだつて、技術顧問的な役割で、作品の芸術的な
判断以外の社会的な影響にまでは、タッチしないものだ。

三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より
0661大人の名無しさん
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2011/05/27(金) 12:40:40.51ID:GGyF1+WH
かういふ事情を知つてゐれば、ぼくが「風流夢譚」を掲載するやうに圧力をかけたなんていふことがナンセンスだと
いふことがよくわかるはず。しかし、それにもかかはらずぼくの名が使はれたとすれば、それは一部の者が
苦しまぎれの逃げ口上に使つたのではないか。さう思へば使つた者にも同情の余地があるのだが、迷惑うけるのは
こちらだからね。ともかくふりかかつた火の粉ははらひ落としたいといふのが本音だ。この際、次第に大きくなる
風説――新聞雑誌でもそんな書き方をされてゐるんで――の誤解をときたい……。
(談)

三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より
0662大人の名無しさん
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2011/05/29(日) 17:36:58.62ID:dTm4onbC
子供のころの私は、寝床できく汽車の汽笛の音にいひしれぬ憧れを持ち、ほかの子供同様一度は鉄道の機関士に
なつてみたい夢を持つてゐたが、それ以上発展して、汽車きちがひになる機会には恵まれなかつた。今も昔も、
私がもつとも詩情を感じるのは、月並な話だが、船と港である。
このごろはピカピカの美しい電車が多くなつたが、汽車といふには、煤(すす)ぼけてガタガタしたところが
なければならない。さういふ真黒な、無味乾燥な、古い箪笥(たんす)のやうなきしみを立てる列車が、われわれが
眠つてゐるあひだも、大ぜいの旅客を載せて、窓々に明るい灯をともして、この日本のどこか知らない平野や
峡谷や海の近くなどいたるところを、一心に煙を吐いて、汽笛を長く引いて、走りまはつてゐる、といふので
なければならない。なかんづくロマンチックなのは機関区である。夜明けの空の下の機関区の眺めほど、ふしぎに
美しくパセティックなものはない。

三島由紀夫「汽車への郷愁」より
0663大人の名無しさん
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2011/05/29(日) 17:39:38.55ID:dTm4onbC
空に朝焼けの兆があれば、真黒な機関車や貨車の群が秘密の会合のやうに集ひ合ふ機関区の眺め、朝の最初の
冷たい光りに早くも敏感にしらじらと光り出す複雑な線路、そしてまだ灯つてゐる多くの灯火などは、一そう
悲劇的な美を帯びる。
かういふ美感、かういふ詩情は、一概に説き明すことがむづかしい。ともかくそこには古くなつた機械に対する
郷愁があることはまちがひがない。少くとも大正時代までは、人々は夜明けの機関区にも、今日のわれわれが
夜明けの空港に感じるやうな溌剌とした新らしい力の胎動を感じたにちがひない。大体、パリへ行くと気のつく
ことだが、パリでは地下鉄ですらすでに古ぼけてゐて、駅の出入口の意匠にも、鋳鉄の煩瑣な模様がついてゐる。
機械文明そのものの古びた趣は、ニューヨークでさへ高架鉄道によく見られたが、それもあらかた取り壊されて
しまつた。
機械といふものが、すべて明るく軽くなる時代に、機関区に群れつどふ機関車の、甲虫のやうな黒い重々しさが、
又われわれの郷愁をそそるのである。

三島由紀夫「汽車への郷愁」より
0664大人の名無しさん
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2011/05/29(日) 17:43:22.03ID:dTm4onbC
頼もしくて、鈍重で、力持ちで、その代り何らスマートなところのなかつた明治時代の偉傑の肖像画に似たものを、
古い機関車は持つてゐる。もつと古い機関車は堂々とシルクハットさへ冠つてゐた。
しかし夜明けの機関区の持つてゐる一種悲劇的な感じは、それのみによるものではない。産業革命以来、
近代機械文明の持つてゐたやみくもな進歩向上の精神と勤勉の精神を、それらの古ぼけた黒い機関車や貨車が、
未だにしつかりと肩に荷つてゐるといふ感じがするではないか。それはすでにそのままの形では、古くなつた
時代思潮ともいへるので、それを失つたと同時に、われわれはあの時代の無邪気な楽天主義も失つてしまつた。
しかし人間より機械は正直なもので、人間はそれを失つてゐるのに、シュッシュッ、ポッポッと煙をあげて
今にも走り出しさうな夜明けの機関車の姿には、いまだに古い勤勉と古い楽天主義がありありと生きてゐる。
それを見ることがわれわれの悲壮感をそそるともいへるだらう。

三島由紀夫「汽車への郷愁」より
0665大人の名無しさん
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2011/05/29(日) 17:45:11.97ID:dTm4onbC
そしてそこに、私は時代に取り残された無智なしかし力強い逞ましい老人の、仕事の前に煙草に火をつけて
一服してゐる、いかつい肩の影までも感じとるのである。
それは淋しい影である。しかしすべてが明るくなり、軽快になり、快適になり、スピードを増し、それで世の中が
よくなるかといへば、さうしたものでもあるまい。飛行機旅行の味気なさと金属的な疲労は、これを味はつた人なら、
誰もがよく知つてゐる。いつかは人々も、ただ早かれ、ただ便利であれ、といふやうな迷夢から、さめる日が
来るにちがひない。「早くて便利」といふ目標は、やはり同じ機械文明の進歩向上と勤勉の精神の帰結であるが、
そこにはもはや楽天主義はなく、機械が人間を圧服して勝利を占めてしまつた時代の影がある。だからわれわれは
蒸気機関車に、機械といふよりもむしろ、人間的な郷愁を持つのである。

三島由紀夫「汽車への郷愁」より
0666大人の名無しさん
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2011/06/01(水) 10:55:06.73ID:sf0D1n2s
教養が、美しく生きてゆくのに役立つと考へてゐる一群の女性がゐます。雑誌ジャーナリズムやラヂオや
テレヴィジョンが、かういふ考へに阿諛追従します。
そんなことがあるものでせうか? 女性のための教養と呼ばれてゐるものには、みんな偽善の匂ひがあり、
美しくない教養ははじめから排斥されてゐるので、真黒な白粉といふものがないやうに、それらはいくら塗り
たくつても顔が真黒になつたりする心配がない。彼女たちには、黒い教養といふものが存在することが、永久に
わからないのです。
女性たちは、世間で認可ずみの、古くさい、危険のない教養が大好きだ。古典音楽の知識、(中略)なまぬるい
恋愛映画、ほんの少し進歩的な政治思想、台所むきの経済概論、それから十年一日のごとき恋愛論、……
かういふものが、今日、女性の教養と呼ばれてゐるものの一覧表ですが、これを総動員して、美しく生きようと
してゐる女性たちの群を見ると、私は心底からおぞ気を慄はずにはゐられない。

三島由紀夫「女が美しく生きるには」より
0667大人の名無しさん
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2011/06/01(水) 10:55:39.91ID:sf0D1n2s
さういふ傾向は、文化をなまぬるく平均化し、言論の自由を婦人側から抑制し、一国の文化全体を毒にも薬にも
ならないものにしてしまふ怖るべき原動力であります。アメリカといふ国のあの文化全体における婦人の害毒を
つらつら考へると、私は怖ろしくなる。
しかしもつといけないのは、ごく少数だが、婦人の知的スノッブたちで、危険な新らしい芸術を理解したつもりで、
これを擁護して、折角の芽を枯らしてしまふ。女性のやり方は、何でもかんでも、植物なら温室にはふり込んで
しまへばいいといふ単純なやり方ですから。
かういふのに比べると、低能なファッション・モデルたちのはうが、ずつと害毒が少ない。彼女たちももちろん
美しく生きようとしてゐるが、外面的な美にしか注意を払はず、その点で彼女たちが男性的原理に近づくのは、
時として外面的な美の追究のためには幸福さへ捨ててかへりみないからである。

三島由紀夫「女が美しく生きるには」より
0668大人の名無しさん
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2011/06/01(水) 10:56:11.72ID:sf0D1n2s
……このひろい東京、ひろい日本、いや世界中で、あらゆる女性が美しく生き、あるひは美しく生きようとして
ゐることは、絶望的なことである。美しく生きることを諦めてしまつたやうにみえる不器量な老嬢でさへ、
男に比べれば、はるかに「美しく生きてゐる」のであります。
おそらくそれは、女性が男性よりも確実に存在してゐるといふことの別のあらはれに他ならないのであらう。
醜さといふものは、存在の裂け目だからである。ところで芸術は美の創造だといはれるが、このやうな存在の
裂け目からしか生れて来ない。女性が芸術家として不適任なのはこの点であります。芸術上の創造行為は
存在そのものからは生れて来ない。自ら美しく生きようと思つた芸術家は一人もゐなかつたので、美を創ることと、
自分が美しく生きることとは、まるで反対の事柄である。この点に、芸術に関する女性の最大の誤解がひそむが、
このことについては、本題と外れるので、また別の機会に述べることにしませう。

三島由紀夫「女が美しく生きるには」より
0669大人の名無しさん
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2011/06/02(木) 12:45:13.13ID:Qm3sbPI3
一人の作家を評価するのに、彼がビッコだからとか、マゾヒストだからとか、さういふものを前提にした評論は
一番つまらない。精神分析の本を一二冊読めば、何かのコムプレックスで作家の全作品を解明するのは易々たる業で、
子供でもできることである。
コンプレックスとは、作家が首吊りに使ふ踏台なのである。もう首は縄に通してある。踏台を蹴飛ばせば万事
をはりだ。あるひは親切な人がそばにゐて、踏台を引張つてやればおしまひだ。……作家が書きつづけるのは、
生きつづけるのは、曲りなりにもこの踏台に足が乗つかつてゐるからである。その点で、踏台が正しく彼を
生かしてゐるのだが、これはもともと自殺用の補助道具であつて、何ら生産的道具ではなく、踏台があるおかげで
彼が生きてゐるといふことは、その用途から言つて、踏台の逆説的使用に他ならない。踏台が果してゐるのは
いかにも矛盾した役割であつて、彼が踏台をまだ蹴飛ばさないといふことは、半ばは彼の自由意志にかかはることで
あるが、自殺の目的に照らせば、明らかに彼の意志に反したことである。

三島由紀夫「武田泰淳氏――僧侶であること」より
0670大人の名無しさん
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2011/06/07(火) 11:02:05.87ID:Y6F4EMr/
一旦身に受けた醜聞はなかなか払ひ落とせるものではない。たとへ醜聞が事実とちがつてゐても、醜聞といふものは、
いかにも世間がその人間について抱いてゐるイメージとよく符合するやうにできてゐる。ましてその醜聞が、
大して致命的なものではなく、人々の好奇心をそそつたり、人々に愛される原因になつたりしてゐるときには
尚更である。かくて醜聞はそのまま神話に変身する。
(中略)
アメリカにおける日本娘の名声の高さは大へんなものである。われわれスポイルされた日本男性は、風呂の中で
妻が背中を流してくれるのを当然のサーヴィスと心得てゐるが、アメリカ人の感激は大へんなものらしいのである。
しかしアメリカ婦人だつて、自分の愛犬の背中を喜んで洗つてやるではないか。とすれば、アメリカ婦人が良人の
背中を流したがらない理由は、男性を犬から区別する敬意に出てゐるのかもしれないのである。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より
0671大人の名無しさん
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2011/06/07(火) 11:02:33.42ID:Y6F4EMr/
(中略)
日本のサーヴィス業といふものには、微妙な東洋的特色があるのである。西欧では、快楽といふものは、
キリスト教的伝統によつて、肉体的快楽と精神的快楽にはつきり分けられてゐるらしい。日本ではこのへんが
ひどくあいまいで、肉体から精神にいたるひろい領域を、いろんな種類の快楽が埋めてゐて、そのひとつひとつに
対応するサーヴィス業があるわけだ。だから日本人は、外人が芸者やバアの女給を娼婦と混同するやうな誤解に
ひどく気を悪くする。芸者は断じて娼婦ではない。かと云つて素人女でもないのである。いや、娼婦ですらも、
厳然たる合理的娼婦ではない。十八世紀の日本の純粋な恋愛劇は、ほとんど娼婦と客との恋を描いてゐる。
この点では、封建時代の日本人はよく割り切つてゐた。恋愛とは、金を払つた女とやるものであり、結婚と
恋愛とは何の関係もないと思つてゐたのである。今でも日本人にはこの気分が残つてゐて、恋愛といふものは、
金を払へる場所で、たとへば女のゐる酒場で、次第に精神的に成立するものだといふやうな考へがある。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より
0672大人の名無しさん
垢版 |
2011/06/07(火) 11:03:09.67ID:Y6F4EMr/
(中略)
日本人はほとんど英語を話さない。と云ふとアメリカ人の旅行者はおどろくだらうが、ホテル業者やガイドや
貿易商社関係や、つまり英会話の能力で利益を得る人たちが英語の巧いのは当り前である。だから、本当の日本人、
外人と附合はなくてもやつて行ける日本人は、ほとんど英語を話さない、と云つたはうが正確だらう。そして
かういふ本当の日本人は、外人風に肩をすくめたり、身ぶり手ぶりを使つたり決してしない。英語で話しかけられると、
「わからない」といふしるしに、例の有名な「不可解な微笑」をうかべるだけである。
この微笑が、西洋人には、実に気味のわるい、謎に充ちたものにみえることは定評がある。しかしわれわれに
とつては単純な問題である。悲しいから微笑する。困惑するから微笑する。腹が立つから微笑する。つまり、
「悲しみ」と「困惑」と「怒り」は本来別々の感情だが、それをXならXといふ同じ符号で表現するわけだ。
このX符号を示された相手は、すぐ次のやうに察しなければならない。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より
0673大人の名無しさん
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2011/06/07(火) 11:03:38.65ID:Y6F4EMr/
「ははア、これはきつと何か、隠しておきたい感情があるんだな。そんなら触れずにそつとしておかう」
つまり微笑は、ノー・コメントであり、「判断停止」「分析停止」の要請である。こんなことは社会生活では
当たり前のことで、日本のやうに個人主義の発達しない社会では、微笑が個人の自由を守つてきたのである。
しかもそれは礼儀正しさの要請にも叶つてゐる。
ところが外国人はさうは行かない。殊にアメリカ人となると、絶対に我慢できない。一体このX符号は何だらう。
彼は頭を悩まし、分析し、判断し、質問する。そしてあげくのはてに、相手が怒つてゐるのだと知ると、茫然と
してしまふ。「そんならはじめから、微笑したりせずに、怒ればいいぢやないか」しかしそれは礼儀に外れた
方法である。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より
0674大人の名無しさん
垢版 |
2011/06/07(火) 11:04:02.09ID:Y6F4EMr/
(中略)
日本の伝統は大てい木と紙で出来てゐて、火をつければ燃えてしまふし、放置(はふ)つておけば腐つてしまふ。
伊勢の大神宮が二十年毎に造り替へられる制度は、すでに千年以上の歴史を持ち、この間五十九回の遷宮が
行はれたが、これが日本人の伝統といふものの考へ方をよくあらはしてゐる。西洋ではオリジナルとコピイとの
間には決定的な差があるが、木造建築の日本では、正確なコピイはオリジナルと同価値を生じ、つまり次の
オリジナルになるのである。京都の有名な大寺院も大てい何度か火災に会つて再建されたものである。かくて
伝統とは季節の交代みたいなもので、今年の春は去年の春とおなじであり、去年の秋は今年の秋とおなじである。
だから一般的に云つて、日本人くらゐ、伝統を惜しげなく捨て去つて、さつさと始末してしまふ国民もゐない。
伝統の重圧といふものは、日常生活には少しも感じられず、東洋風な敬老思想もなくなつて、今日では、日本の
老人は、若者の御機嫌をとるのに汲々としてゐる。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より
0675大人の名無しさん
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2011/06/07(火) 11:09:31.35ID:Y6F4EMr/
(中略)二十歳以下の連中は、ブルー・ジンズで街を歩きまはり、ロックン・ロールにうつつを抜かしてゐる。
外人旅行者は目をうたがふ。これが日本なのか? 旅行案内社のポスターと何たるちがひだらう!
しかしこれが日本の伝統なのである。鎖国時代の日本人でさへ、今日の若い日本人が、ジャックとかメリーとかいふ
アメリカ名前のニック・ネームを使つてゐるやうに、支那式の名前を別に持つてゐた。当時、支那は日本にとつて、
今日のヨーロッパのやうなものであつた。
二十年目毎の改築と遷宮、これは実に象徴的である。終戦後十五年あたりから、もうすつかり死に絶えたと誰もが
思つてゐた古い日本思想が、あなどりがたい力で復活して、若い世代の一部を惹きつけてゐる。一九六〇年に、
十五年ぶりでハラキリが復活した。岸内閣の政治に憤慨した或る僧侶が、官邸の前で切腹したのである。これから
又たびたびハラキリが出て来ても、おどろくには当らないのである。サムラヒもやがて復活することであらう。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より
0676大人の名無しさん
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2011/06/08(水) 17:11:39.61ID:p5wjH2YC
竜灯祭へお招きをうけて、灯籠流しにもいろいろの趣きがあるのを知つた。今まで私がしばしば見たのは熱海の
灯籠流しであつたがこれはふつうの施餓鬼の行事で、ひろい海面の潮のまにまに灯籠が漂ふのは、淋しい彼岸へ
心を誘はれる心地がした。柳橋の竜灯祭は神事である上に、いかにもこの土地らしい華麗なものである。
川面いちめんに灯籠が流れ出す数分間はふだんはただ眺めてゐるだけの隅田川をわれとわが手で流した灯籠で、
占領してしまつたやうな快感を与へる。地上の豪奢を以て、水中の竜神の心を慰めるといふ趣きがある。それが
いかにも「竜灯祭」といふ名にふさはしいのである。
また、それから引き潮に乗つてあれほど夥しかつた灯籠が、数分間のうちにほとんど視界を没し去るのも、
いかにもいさぎよくて、江戸前の感じがする。執念が残らないで、さはやかなのである。

三島由紀夫「竜灯祭」より
0677大人の名無しさん
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2011/06/08(水) 17:12:01.55ID:p5wjH2YC
最後まで料亭の舟着場の下などにまつはりついて離れない少数の灯籠もあるが、これも執念といふものではなくて、
そのすぐ上方の座敷のさんざめき、美妓のたたずまひなどに心を残して、無邪気にそこに居据つてしまつた感じで
可愛らしい。あたかもその十いくつの灯籠だけが、そろつて首をもたげてうすく口をあけて、地上の遊楽の
美しさを讃美してゐるやうだ。
灯籠流しといふと、人はすぐ暗い仏教的イメーヂを持つが、私の発見したのは別のものだつた。このごろの
大キャバレエの遊びよりも昔の人はもつと豪奢な遊びを知つてゐた。そして消えない電気の光りよりも、波の
まにまに夜のなかへ馳け込んでゆく灯籠の光りのはうに、はるかに、遊楽に一等大切な「時間」の要素が、
いきいきとこめられてゐるのを知つた。一度花やかな頂点に達してそれが徐々に消えてゆく、そのゆるやかな
時間の経過の与へる快さは、快楽の法則に自然に則つてゐて、いづれにしても花火よりも「快楽的」であると
思はれるのだつた。

三島由紀夫「竜灯祭」より
0678大人の名無しさん
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2011/06/13(月) 10:10:08.37ID:JBYp38dU
この間伊豆の田舎の漁村へ取材に行つてゐて、その村のたつた一軒の宿に泊り、夕食に出された新鮮な魚が、
ほつぺたが落ちるほど美味しかつたが、一晩泊つてみてびつくりした。
別に化物が出たといふ話ではない。
ここは昔ながらの旅籠屋で、襖一枚で隣室に接してゐるわけであるが、前の晩の寝不足を取り戻さうと思つて、
九時ごろ床についたのがいけなかつた。
宿の表てつきは、丁度、芝居の「一本刀土俵入」の取手の宿とそつくりで、いかにも古雅なものだが、道の往来は
芝居のやうには行かず、すぐ県道に面してゐるので、石材を積んだトラックや大型バスが通るたびに、宿全体が
家鳴震動する。
それでまづ寝つきを起され、又眠らうと寝返りを打つたとたん、隣りの部屋へドヤドヤと人が入つて来て、
酒宴がはじまつた。
と、それにまじつてトランジスター・ラヂオの大音声の流行歌がはじまつたが、ラヂオをかけながらの酒宴といふのも
へんなものだと思ふうちに、それがもう一つ向うの部屋のものだとわかつた。

三島由紀夫「プライヴァシィ」より
0679大人の名無しさん
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2011/06/13(月) 10:10:43.44ID:JBYp38dU
更に別の部屋からは、火のつくやうな赤ん坊の泣き声。……夜十時といふころ、宿全体が鷄小屋をつつついたやうな
騒ぎになつてしまつた。
やつと静まつたのが十二時すぎだつたが、それがピタリと静まるといふのではない。
しばらく音がしないで、寝静まつたかなと思ふと、連中は風呂へ行つてゐたので、風呂からかへると、又寝る前に
一トさわぎがある。
西瓜の話ばかりなので、商売は何の人だらうと思つたらあとできいたら果して西瓜商人であつた。
一時すぎにやつと眠りについて、朝五時をまはつたころ、村中にひびきわたるラウド・スピーカアの一声に
眠りを破られた。
「第八〇〇丸の乗組員の皆様、朝食の仕度ができましたから、船までとりに来て下さい」
それから間もなく静かになつて、又眠りに落ちこむと、今度はラヂオ体操がスピーカアから村中に放たれた。

三島由紀夫「プライヴァシィ」より
0680大人の名無しさん
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2011/06/13(月) 10:12:18.92ID:JBYp38dU
みんながそれに馴れ、何の苦痛も感じないなら、人間の生活はそれで十分なので、何も西洋のプライヴァシィを
真似なくてもいい。
西洋の冷たい個室の、完全なプライヴァシィの保たれた生活の裏には、救ひやうのない孤独がひそんでゐるのである。
(中略)
そこへ行くと、日本の漁村の宿の明朗闊達はおどろくばかりで、人間が、他人の生活に無関心に暮すためには、
何も厚いコンクリートの壁で仕切るばかりが能ではなく、薄い襖一枚で筒抜けにして、免疫にしてしまつたはうが
賢明なのかもしれない。少くとも、さうしておけば、U2機事件みたいなのは、起りやうがないのである。
しかし、この昔風の旅籠屋が、襖一枚の生活を強制するのが、昔を偲ばせて奥床しいとは云ひながら、それが
そのまま昔風とは云ひがたい。何故なら、江戸時代には、人はもう少し小声で話したにちがひないし、怪音を
発するトランジスター・ラヂオなんか、持つてゐなかつたからである。

三島由紀夫「プライヴァシィ」より
0681大人の名無しさん
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2011/06/20(月) 11:39:22.27ID:l7QDgQYH
羽田のインタビューが感じがわるかつたとしても、(事実相当に感じがわるかつたと想像されるが)、新聞記者の
心証をよくするといふことが、太平洋横断といふ達成された事実と何の関係があるのか。太平洋横断をした青年が、
何で英雄気取りになつてはいけないのか。かういふことをした青年が、凡庸な世間の要求するイメージに従つて、
頬をポッと赤らめて頭を掻いたりする「謙虚な好青年」でなければならぬ義務がどこにあるのか。又世間が
どうしてそんなものを彼に要求する権利があるのか。……考へれば考へるほど、腑に落ちないことだらけである。
大体、青年の冒険を、人格的表徴とくつつけて考へる誤解ほど、ばかばかしいものはない。ヨットで九十日間、
死を賭けた冒険ををして、それでいはゆる「人間ができる」ものなら、教育の問題などは簡単で、堀江青年は
この冒険で太平洋の大きさは知つたらうが、人間や人生のふしぎさについて新たに知ることはなかつたらう。
そんなことは当たり前のことで、期待するはうがまちがつてゐる。

三島由紀夫「堀江青年について」より
0682大人の名無しさん
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2011/06/20(月) 11:39:53.18ID:l7QDgQYH
のみならず堀江青年に、テレビや映画のまやかしものの主人公のやうな、出来合ひの「好青年」を期待するはうが
まちがつてゐる。そんな好青年は、決してたつた一人で小さなヨットで太平洋を渡らうなどとはしないだらう。
かういふ孤独な妄執は、平均的な「好青年」などから芽生える筈もない。たとへばこのごろの「カッコいい
若者たち」の六尺ゆたかの背丈と、五尺そこそこといはれる堀江青年の背丈とを比べてみるだけでもいい。
ラスウェルは「政治」の中で、リンカーンの情緒的不安定や、ナポレオンの肉体的劣等感について詳さに述べてゐる。
今度のジャーナリズムの態度は、大衆社会化の一等わるい例を、又一つわれわれに示した。それは社会的イメージの
強制であり、そのイメージは凡庸な平均的情操から生れ、無害有益なものとして、大衆社会からすでに承認された
ものである。これは一堀江青年のみならず、芸術に対する大衆社会化反応の進みゆくおぞましい時代をも暗示する。

三島由紀夫「堀江青年について」より
0683大人の名無しさん
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2011/06/21(火) 10:53:49.62ID:4/4HZX6J
俺が嫌いなのは三島ではなく必要以上に熱狂するファンなのだ
結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの
集まりで、それをひいきの三島に託し、三島が頑張れば自分も頑張った気になるし、
それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ
俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない
0684大人の名無しさん
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2011/06/22(水) 12:21:24.04ID:ifG833gU
老人と若者のちがひは簡単なことで、老人はこの世の中が変はることを知つてゐるから、しひて変へようとも
しないし、若者はこの世の中が変はらないと思ひつめてゐるから、性急に変へようと努力する。そして結局、
世の中は多少とも変はるのだが、それはじつのところ、老人が考へるやうに「自然に」変はつたのでもなければ、
若者の考へるやうに革新の力によつて変はつたのでもない。両者の力がほどほどに働いて、希望は裏切られ、
目的はそらされ、老人にとつても若者にとつても、百パーセント満足といふ結果には決してならずに、変はるのである。
こんなことをいひだすと、ひどく悟りすましたやうであるが、さういふ見方が何とかできるやうになるときに、
人は四十歳に達するのだ。そして自分は五〇パーセントだけ「自然」に属し、五〇パーセントだけ「人間の意志」に
属することを、おぼろげながら理解するやうになる。
私は四十歳に達して、とにかく、変はる見込みのないと思ふ世の中が変はるのを何度か見てきた。

三島由紀夫「文学的予言――昭和四十年代」より
0685大人の名無しさん
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2011/06/22(水) 12:21:50.75ID:ifG833gU
私の年齢は昭和と同年であるから、昭和といふ時代が、妙に周期的に、十年ごとに身じろぎをして、居ずまひを
変へるのを何度か見てきた。最初の意識的な強烈な体験は、いふまでもなく昭和二十年の敗戦である。つぎに
昭和三十年の、大衆社会化への明白な兆候は、そのときはよくわからなかつたが、いまになつて考へてみれば
歴然たるものがあり、それが昭和三十九年秋のオリンピックで、絶頂に達し、同時にその使命は終はつたといふのが、
いまの私の(多少希望的観測をまじへた)判断である。もちろん大衆社会化現象はますます進行するだらうが、
知識人がそのなかに巻き込まれて、西も東もわからずうろうろする時代は、もう確実に終はつた、と私は感じる。
それにつけても思ひ出されるのは、昭和三十二年にニューヨークに滞在してゐたとき、知識階級の孤立の状況を
まざまざと感じて、まだ大衆とともに、同床異夢にふけつてゐた感のある日本の知識階級の一人として、衝撃を
受けた記憶がある。

三島由紀夫「文学的予言――昭和四十年代」より
0686大人の名無しさん
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2011/06/22(水) 12:22:18.81ID:ifG833gU
あのころの日本の大衆には、まだかすかに、古い観念的な教育体系(それは主としてヨーロッパ的なもので
あるが)への、よくいへば夢やあこがれ、わるくいへばスノビズムがのこつてゐた。知識人はさういふものに
乗つかつて、仕事をしてゐればいい、といふ暗黙の了解があり、そこにまた、日本の知識階級の、誠実さもあれば
不誠実さもあつた。それがその後の八年間に完全に根絶やしになり、わけても安保闘争といふ象徴的な事件によつて、
知識人と大衆とがまつたく遊離してしまつた、といふのが、私の見方である。
(中略)アメリカで起つた現象は、必ず、三、四年後に日本にも波及するといふのは、戦後史の定石だが、知識人の
孤立までが、これほど忠実に波及するとは、私も正直考へてはゐなかつた。もつともアメリカには、その孤立を
ささへる富める芸術愛好家のスノビズムが残つてゐるけれども、日本にはそれもない。
(中略)もはや知識人の大衆への媚びは、お笑ひ草となるだけであらう。それでも媚びたいと思ふ人は、本格的な
娼婦になるほかはないであらう。もはやセミ・プロは通用しないであらう。

三島由紀夫「文学的予言――昭和四十年代」より
0687大人の名無しさん
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2011/06/22(水) 12:22:51.69ID:ifG833gU
本多秋五氏の文学の「有効性の上にあるもの」をもぢつていへば「無効性の上にあるもの」を信じなければ
ならぬ時代がくるであらう。サルトルが、文学が一塊のパンに値するかどうかといふ、昔ながらの議論を
むしかへしてゐるのを思ひ出しつつ、私はたまたま「自然居士」といふ能を見てゐて、哀れな子供を人買ひから
救ひ出すために、居士が遊芸の限りをつくし、つひに人買ひを感動させて、目的を達するといふ物語に、日本で
古くから信じられてきたこの種の思想を新鮮に感じた。芸術それ自体がかうして人命を救ふといふ物語は、
厳密にいつて、ヒューマニズムとも目的意識とも縁のない、いはば遊芸が、人を感動させるといふそれ自体の原則に
忠実にしたがふことから、ゆくりなくも生まれた結果についての物語である。観客は、物語に感動する前に、
まづ人買ひとともに、居士の遊芸に感動しなければならない。そして、そこに少しでも媚びが見えたら、観客と
ともに、人買ひも感動することはないだらう。媚びとは目的意識のことである。

三島由紀夫「文学的予言――昭和四十年代」より
0688大人の名無しさん
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2011/06/27(月) 11:20:16.52ID:hzIk53te
赤ん坊のときは、怪物的であつて、あんまり可愛らしくないので、これなら溺愛しないでもすみさうだ、と少し
安心した。しかし少し大きくなつてくると、私はそろそろ不安を感じた。これは並々ならぬ可愛いものである。
しかし他人様から見てそんなに可愛い筈はないから、こんな気持は全く主観的な感情にちがひない。私といへども、
小説家のハシクレであるから、「感情に溺れる」とか、「感情に負ける」とかいふことは大の恥である。小説家は
あらゆる事物が客観視できなくてはならない。人から見て可愛くも何ともないものが可愛くみえるといふことは、
すでに錯覚である。困つたことになつたものだと私は思つた。
それに、子供が可愛くなつてくると、男子として、一か八かの決断を下し、命を捨ててかからねばならぬときに、
その決断が鈍り、臆病風を吹かせ、卑怯未練な振舞をするやうになるのではないかといふ恐怖がある。そこまで
行かなくても、男が自分の主義を守るために、あらゆる妥協を排さねばならぬとき、子供可愛さのために、妥協を
余儀なくされることがあるのではないか、といふ恐怖も起る。

三島由紀夫「子供について」より
0689大人の名無しさん
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2011/06/27(月) 11:22:20.39ID:hzIk53te
主義を守りとほすためには、まづ有り余る金があればいいのだが、その有り余る金を稼ぐには、主義の妥協が要る。
といふ悪循環は、子供のおかげで倍加するであらう。
――私は行末を考へていろいろと憂鬱になつたが、こんなことは、そもそもはじめからわかつてゐる筈のことであつた。
子供が手を引いてヨチヨチ歩きができるやうになつたころ、ある晩夏の宵、家人と散歩に出たことがある。
すると静かな道の外灯のあかりに、影法師が出た。これを見て、私はギョッとした。家人と私との間に、ちやんと
両方から手を引かれた小さな影法師が歩いてゐる。
いかにして、両側の大きい影法師から、まんなかの小さい影法師があらはれたか、動物的必然とはいひながら、
正に人間と人生のふしぎである。小さい影法師は平然とその存在を主張し、ちやんと二本の足で、大地を踏みしめて
歩いてゐる。
私は、何ともいへぬ重圧的な感動に押しひしがれ、もう観念しなければならぬと思つた。

三島由紀夫「子供について」より
0690大人の名無しさん
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2011/06/27(月) 11:26:04.41ID:hzIk53te
――このごろでは、私は、客人の前で、かつての先生のみつともない振舞を再演してゐる。
「文字自体が象徴的機能を持つてゐるんだから文学も、……あつ、いけません、その椅子に乗つちや、あぶないから、
……文学もね、現実の直叙といふことは、そもそも方法的に不可能で、……今、いけないと云つたらう、飴を
あげるからおとなしくなさい……方法的に不可能で、ミュージック・コンクレートみたいに、現実音自体の構成で
音楽を作るはうが、リアリズムの正統だね、しかし……歌なんか歌ふんぢやない、お客様とお話してるときに
……リアリズムが内包してゐる矛盾は……エ? オシッコがしたいのかい? さうぢやない? そんならいいが
……そもそもリアリズムが内包してゐる矛盾は……又その椅子に乗つた。ほら引つくりかへる。いけないと云つたら
いけない。言ふことがきけないのか」

三島由紀夫「子供について」より
0691大人の名無しさん
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2011/07/06(水) 09:16:22.00ID:WFoDlSH4
宇宙的見地に立てば、建築そのものと建築模型とのあひだのひらきは、ほとんどゼロに等しいほど微小なものに
なるであらう。人間がこれを区別するのは、ただ単に、実用に供しうるか否かといふプラクチカルな価値判断しか
ないからであるが、そもそも建築の本質が、実用価値(人が住み、あるひはその中で仕事をしうるといふ価値)
だけにあるのではないことは、例へばアンコール・トムのバイヨン寺院一つ見ても明らかであらう。そして、
人が住み、その中に入りうるといふ実用価値を絶対的に否定しようとすれば、何よりの捷経は、その建築を、
人の決して入りえないサイズに縮小してしまふことである。
人の決して入れない建築、住めない建築、しかも太陽の明暗のくつきりとした建築、……さういふものを考へて、
子供の私が、フィクションとしての文学に到達したのは、すこぶる自然であると言はねばならない。

三島由紀夫「電灯のイデア――わが文学の揺籃期」より
0692大人の名無しさん
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2011/07/06(水) 09:26:16.58ID:WFoDlSH4
刑事が被疑者を扱ふやうに、当初から冷たい猜疑の目で作家を扱ふ作家論が、いつも犀利な批評を成就するとは
限らない。義務的に読まされる場合は別として、私は虫の好かぬ作家のものは読まぬし、虫の好く作家のものは読む。
すでに虫が好いてゐるのであるから、作品のはうも温かい胸をひらいてくれる。そこへ一旦飛び込んで、作家の
案内に委せて、無私の態度で作中を散歩したあとでなければ、そもそも文学批評といふものは成立たぬ、と私は
信ずるものだ。ましてイデオロギー批評などは論外である。非政治主義を装つた、手のこんだ政治主義的批評は
数多いのである。
これが私の基本的態度であるから、はじめから気負ひ立つた否定などは、一度も企てたことがなかつた。否定が
逸するところのものを肯定が拾ふことがある。もしその拾つたものに批評の意味が発見されれば、本書の目的は
達せられたことにならう。

三島由紀夫「あとがき(『作家論』)」より
0693大人の名無しさん
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2011/07/13(水) 13:00:50.66ID:2f6jCo0P
東大法学部出の小説家といふと、私の知る限りでは、大仏次郎氏と林房雄氏と私の三人だけで、この三人に
はつきりした共通の特色でも見つかれば、人間の一生の仕事、それも個性的な仕事における大学教育の影響力が
つかめるわけであるが、あいにくそんなものは見当たらない。強ひていへば、大仏氏がフランス革命に、林氏が
明治維新に、私が二・二六事件に、特別の興味を寄せて来た点はあるが、これも偶然の一致といへぬわけではない。
ジッドが「プレテキスト」の中で、「芸術家にもつとも必要な天賦は官能性である」と述べて、暗に自分にそれが
欠けてゐることを認めてゐる口ぶりであるが、官能性は、日本式にいへば、色気といひかへてもよからう。
なるほど色気の欠けてゐることは法学士の通弊かもしれない。表現上の色気のみならず、実生活でも、大仏氏が
ドン・ファンだといふ噂はきいたこともなく、林氏も思想の道楽こそさんざんやつたが、恋に命を賭けたといふ
ほどの話をきいたことがない。

三島由紀夫「法学士と小説」より
0694大人の名無しさん
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2011/07/13(水) 13:02:01.02ID:2f6jCo0P
恥かしながら私も、この両先輩の驥尾(きび)に附して、色気のないことおびただしく、この間も大宅壮一氏から、
「もつと道楽をしなければ、えらい小説家にはなれませんよ」
と忠告を受けたばかりである。
(中略)
小説とはつくづく厄介な仕事で、情感と理智がうまく融け合つてゐなければならない。それも情感五〇パーセント、
理智五〇パーセントといふのでは、釣合のよくとれた良識のある紳士にはなれても、小説家にはなれない。
理想的には情感百パーセント、理智百パーセントほどの、普通人の二倍のヴォルテージを持つた人間であるべきで、
バルザックも、スタンダールも、ドストエフスキーも、さういふ小説家であつた。
日本人の間からは、体力のせゐもあつて、かういふ超人的怪物が出にくいのではないか、と思はれるふしがある。
一般人を百とすれば、せいぜい百二十ぐらゐが超人の限度であつて、その百二十のなかの配分によつて、それぞれの
才能が決るわけだが、法学士の小説家は、なまじ法律を勉強したばかりに、そのうち七〇パーセントぐらゐを
理智に奪はれてしまふのではないかと思はれる。

三島由紀夫「法学士と小説」より
0695大人の名無しさん
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2011/07/14(木) 16:55:29.77ID:QUYZ8HWJ
母方の祖父が漢学者であつたため、私はごく稚ないころから、お正月といふと、母の実家へ年始に行つて書初めを
やらされた。それも固苦しい書初めではなく、座敷いつぱいに何枚もきいろいのや白いのや長大な紙をひろげられて、
文鎮で留められ、そのまはりを大ぜいの親戚の子がわいわい言つてゐるなかで、ごく小さな子には長い白髯の祖父が、
筆を一緒に待つて運筆を教へてくれる。
「力いつぱい! さう、さう。思ひ切つて! コセコセしてはいけない。思ひきり、勢ひよく」
と男の子は特に声援される。
大きな筆にたつぷり墨を含ませて、大きな紙に思ひ切り書くのは、一種の運動の快感があつて、子供を喜ばせる。
子供は自分の体より大きな字を自分が書いたことに、何ともいへない満足を味はふのである。
それから、それは又、度胸といふもの、決心といふやうなものを教へる。力いつぱいふくらませた風船のやうに
自分がなつて、その空気を一気に紙上にぶちまける「機」ともいふべきものを、しらずしらずに教へられる。

三島由紀夫「習字の伝承」より
0696大人の名無しさん
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2011/07/17(日) 15:54:06.13ID:lQA7HlBb
熱狂といふものには、何か暗い要素がある。
明るい午後の野球場の熱狂でも、本質的には、何か暗い要素をはらんでゐる。そんなことは先刻承知のはずだが、
これら少女たちの熱狂の暗さには、女の産室のうめき声につながる。何かやりきれないものがあるのはたしかだ。
だからビートルズがいいの悪いの、と私は言ふのではない。また、ビートルズに熱狂するのを、別に道徳的堕落だとも
思はない。ただ、三十分の演奏がをはり、アンコールもなく、出てゆけがしに扱はれて退場する際、二人の少女が、
まだ客席に泣いてゐて、腰が抜けたやうに、どうしても立ち上がれないのを見たときには、痛切な不気味さが
私の心をうつた。そんなに泣くほどのことは、何一つなかつたのを、私は知つてゐるからである。
虚像といふものはおそろしい。

三島由紀夫「ビートルズ見物記」より
0697大人の名無しさん
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2011/08/16(火) 10:16:48.86ID:h9CDaMG4
先頃、妙心寺にお世話になつて、修行道場を拝見したり、霊雲院に一泊を許されたりして、大そう感銘が深く、
得るところが多かつた。
在家の者が、たつた一日のぞいただけで、何か得たやうな気のするのは思ひ上りであらうが、私にとつて興味の
あつたのは、生活全般にわたるその極度の簡潔さであつた。(中略)
典座にはもちろんガスもなく、朝の洗面の水もツルベで上げる。かういふことは殊更現代文明に白眼をむいて
ゐるやうにも見えるが、さうではない。ガスを引かぬこと、ツルベで水をくみ上げること、さういふことは皆、
思想の要請なのである。現代人は思想といふものを、ここまで徹底させる能力を失つて、思想といへば、活字の
中にしかないものだと思つてゐる。もしガスを引き、タイル張りのガス風呂を置けば、思想の一角は崩れ、
あらゆる妥協が、精神生活をも犯さずにはゐないといふことを、われわれは忘れてゐる。
さて、話にきくと、ある地方の、収入のよい禅寺に、電気洗濯機を置いてゐる寺があるといふことである。
電気洗濯機を置いた禅寺とは、もはや禅寺ではないのだ。

三島由紀夫「電気洗濯機の問題」より
0698大人の名無しさん
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2011/08/24(水) 10:02:20.99ID:lPoA/vQk
少年時代には、ホテルといふものは、日本の西欧化の一つのあこがれのシンボルであつた。東京にはホテルらしい
ホテルは帝国ホテルしかなかつたし、戦時中の日本主義全盛時代にも、ホテルの中だけは、欧化主義の治外法権が
ゆるされてゐた。堀辰雄の小説には、神戸などの洒落た小ホテルが、いかにもヨーロッパの一港市の憂愁にみちた
小ホテルのやうに描かれてゐたし、私も大人になつたら、そんなところへ一人旅をしてちよつと微熱を出して、
部屋に引きこもつて、洋書でも読んでゐたらよからうと思はれた。(中略)
ところが成人して作家になつた私にとつていつしかホテルは牢獄になつた。急ぎの、集中を要する仕事は、いつも
ホテルに自己監禁をして、仕上げるのが習慣になつたからである。ホテルに対するロマンチックなイメージは
完全に消失した。同じ形の窓を並べたあの巨大なコンクリートの巣を見上げると私はすぐさま、その一室で机に
向つてゐる自分の姿を思ひうかべ、異様な圧迫感にふたがれるのである。(中略)

三島由紀夫「ホテル」より
0699大人の名無しさん
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2011/08/24(水) 10:03:41.77ID:lPoA/vQk
なぜホテルで仕事がはかどるかといふと、その完璧な非人情、その無機質のサーヴィスが、仕事に対して、何ら
人間関係の邪魔物を持ち込まないからである。室内にする音は、冷暖房装置の衣ずれのやうな風音と、こちらの
原稿用紙の紙の音ばかり、集中を妨げるものは何一つなく、衣食住は機械的に保障されてゐるから、腹が減つたら
電話一本かければよく、フロに入りたかつたら、人手を借りずに入れる。何だか、寂しい、清潔な、福祉国家の
一員になつたやうな気がするし、フランスのランチエ(年金生活者)の生活感情に似たものを味はへる。何ら
不安も希望もないこんな状態が仕事に必要なのだ。つまり、生きながら死んでゐるといふ、ぜいたくな仮死状態を、
ホテルが保障してくれるのである。
仕事が行き詰まると、ドレス・アップして食堂へゆく。わざとメニューにない料理を注文したり、クレソンだけの
サラダを作らせたりして、ウェイターを困らせて、ヨーロッパの気むづかしい独り者の金持の老人のやうな
晩餐をする。ああはなりたくないと思つてゐるやうな人物に変身するたのしみ。(中略)

三島由紀夫「ホテル」より
0700大人の名無しさん
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2011/08/24(水) 10:04:48.57ID:lPoA/vQk
窓を見る。高速道路の上を車が流れ、ネオン・サインが地の果てまで、瑠璃光を放つて散らばつてゐる。動いてゐる。
動いてゐるけれども、この大都市の歓楽には、人間の欲望の組織化にはあたかもホテルの密室と同じやうな、
無機質の「完璧なサーヴィス」のにほひがある。人間にはこれこれのものだけを与へておけば、それで必要にして
十分であり、それ以上のものを与へる要はないといふ管理者の不人情がある。おびただしい赤・黄・紫・緑・青の
ネオンには、たしかに過剰と競争があるけれども、その熱気は、冷たい一枚のガラスの窓からながめると、
冷蔵庫の中でしんしんと四角い小さな氷を作つてゐる機構のやうに、「冷えきつた熱気」といふふうに感じられる。
そしてこれだけの大都会が、あたかも仕事中のホテルの密室のやうに、ただ人間を仮死状態に置くために活動して
ゐるやうに見えるのである。私はこんな世界におさらばをするのには、大した抵抗を覚えないやうな気がする……。

三島由紀夫「ホテル」より
0701大人の名無しさん
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2011/08/24(水) 10:06:01.63ID:lPoA/vQk
――もとよりかうした感想は、仕事に疲れた一文士の誇張にすぎない。ホテルといふ抽象的環境が、世界を
むやみに抽象的に見せてゐる心理作用にすぎない。いはばこれは幻覚なのだ。
しかし、かうした「はかなさ」の幻覚だけが、私を仕事へ向かはせるのもたしかなことだ。もし人生を十分に
愛してゐたら、文学をやらうなどといふバカな気を起すわけがない。「はかなさ」から仕事が生れ、別乾坤を
作り出さうといふ意欲が生れる。ともすると、仕事をするためには、人工的に「はかなさ」を作りだす装置が
必要なのかもしれず、ホテルはその最適の装置である。

三島由紀夫「ホテル」より
0702大人の名無しさん
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2011/09/20(火) 15:30:27.03ID:w9lFcHjB
0703大人の名無しさん
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2011/10/02(日) 11:25:38.69ID:0WmYPYEm
けふ久々のお手紙をいただき、洵にうれしく拝読、丁度数日前「文藝」で「近松と欧米の読者」を拝読、お手紙を
差上げようと思つてゐたところでした。この論文は、明晰で情理を尽したもので、一方きはめて具体的で、
岩波の「文学」系のチンプンカンプンの左翼国文学者たちに少くとも十回ぐらゐ味読させてやつたら、少しは
彼らの目もさめるかと思はれました。


このごろの日本人はあの勇敢なカミカゼ精神をどこへ忘れてきたのでせう。慨嘆に堪へません。

三島由紀夫
昭和37年9月9日
ドナルド・キーンへの書簡より
0704大人の名無しさん
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2011/10/06(木) 09:47:49.82ID:BT+BCZQx
小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました。キーンさんの訓読は学問的に正に正確でした。小生の
行動については、全部わかつていただけると思ひ、何も申しません。ずつと以前から、小生は文士としてではなく、
武士として死にたいと思つてゐました。


(豊饒の海)第一巻第二巻は飜訳がほとんど出来てゐますから、大丈夫かもしれませんが、問題は第三巻、
第四巻です。(中略)何とかこの四巻全巻を出してくれるやう、御査察いただきたく存じます。さうすれば世界の
どこかから、きつと小生といふものをわかつてくれる読者が現はれると信じます。

三島由紀夫
昭和45年11月、ドナルド・キーンへの書簡より
0705大人の名無しさん
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2011/10/06(木) 09:56:28.19ID:BT+BCZQx
僕は凡そ小説を読むのに、主義や思想についての偏見をもたず、共産党の小説でも右翼の小説でも作品の価値に
ついては、素直に感動する魂をもちつづけたいと思ふのです。先輩の小説でも、中学生の小説でも、よいものには
搏たれる魂をもちたい、他人の中にある何物かに愕く心は自分に愕く心であり、他の発見は、自己の発見であり、
他に感動しなくなれば自己の発見も終る、僕はかういふ信念を川端さんから学びとりました。
しかし日本の文学であり日本語を使つてゐる以上日本語として美しくなければ感動するわけにはゆきません。

三島由紀夫
昭和22年12月25日、清水基吉への書簡より
0706大人の名無しさん
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2011/10/18(火) 10:28:05.63ID:dAs+1g6I
むかしはどこの家の中も暗かつた。このごろの団地の子供は、ハバカリへ行くといふことの恐怖も快楽も知らない。
あの怖ろしい暗い穴の中から、立ちのぼつて来て目にしみるアンモニアの匂ひ、それから煙出し片脳油の
胸せまるやうな悲劇的な匂ひ。それに、どうしてむかしの家では、ハバカリの電気をあんなに倹約したものだらう。
大と小との境目に、五燭ぐらいの電燈がぼんやりついてゐて、それに金蠅の羽音がまつはりついてゐる。それなら
まだいいはうで、全然灯火のないハバカリさへあつたのだ。
(中略)このごろでは全然見かけなくなつたあの片脳油といふもの。あれにはたしか、ノコギリ形の屋根と
黒煙を吐く煙突から成る古くさい工場の絵を描いたレッテルが貼つてあつた。それは大てい油じみて、半分
やぶれかけたレッテルだつた。ほかの防臭剤には、蠅が薬の霧を吹つかけられて、ジタバタして、瀕死の表情を
うかべてゐる絵が描いてあつたものだが、そのすぐそばで、本物の蠅は、逞しく生を謳歌してゐたのだつた。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0707大人の名無しさん
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2011/10/18(火) 10:28:47.57ID:dAs+1g6I
(中略)ビール罎の廃物利用の焦茶いろの罎に、ものすごい刺戟性の薬液がたつぷり入つてゐて、そして何よりも
そのレッテルだつた。子供はしやがんでゐるあひだ、ずつとそのレッテルと睨めつこをしてゐるわけだから、
いやでも覚えてしまふ。
ノコギリ屋根と暗い煙突、それは正に暗い前近代的な工場の風景で、その屋根の下ではきつと家族的な暗い
労働条件があつたのだ。(中略)曇つた朝空へのぼる煙突の煙には、それなりに悲壮なものがあつた筈だ。
日本資本主義の最底辺の、ハバカリにつながる工場の悲哀のなかにも、何かしら、すばらしい矜持があつた筈だ。
日本そのものの匂ひ、都市における唯一の農村の残存物であるところの、あの人糞人尿の匂ひに対抗し、
打ち克つために、正に近代的化学技術の粋を尽してつくられた、圧倒的、殲滅的、かつ、感傷的、近代的スプリーン
そのもののやうな匂ひの発明者としての。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0708大人の名無しさん
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2011/10/18(火) 10:30:20.84ID:dAs+1g6I
それから、これは多分、私の記憶ちがひであらうが、片脳油のレッテルには、子供にとつて最大の宇宙的無限の
謎を誘起する、当時はやりのデザインがあつたかもしれない。それは、人が何か手にもつてゐる図柄の中に、
又、人がそれを持つてゐる図柄があり、その中に又、人がそれを持つてゐる図柄がある、といふ無限小数的な
デザインである。さういふ、悲しくなるほど永遠に遠ざかり深まつてゆくものを暗示したデザインこそ、あの糞臭と
片脳油の匂ひのなかで鑑賞すべきものであつたのだ。
遠い汽笛、……どこの家でもきこえて、子供の夜を、悲しみでいつぱいにしてしまつたあの汽笛、しかし同時に
夜に無限のひろがりと駅の灯火の羅列とさびしい孤独な旅を暗示したあの汽笛は、どこへ行つてしまつたのか。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0709大人の名無しさん
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2011/10/18(火) 10:31:19.01ID:dAs+1g6I
幼時の思ひ出は、どれをとつても、文字どほりウサン臭いのである。
暗さばかりかと思ふと、思ひがけない痴呆的な明るさが現前する。それはたとへば、聯隊の軍旗祭の記念の風呂敷だ。
いやに赤つぽい桜、富士、旭日の光芒、紫、黄、赤などのものすごい配色。あそこには、栄光といふものと生活の
さびしさとがせめぎ合つた、ヒステリカルなけばけばしさがあつたのだ。私は証言する。むかしの日本人は、
さびしかつた。今よりもずつと多い涙の中で生きてゐた。嬉しいにつけ、悲しいにつけ、すぐ涙だつた。そして
軍隊の記念の風呂敷の、あのノスタルジックな極彩色は、その紫がただちに打身の紫、その赤がただちにヒビ、
アカギレの血の色を隠してゐた。人間といふものはもともと極彩色なのだ。
大日本帝国の一人一人の生活は、湿つた暗い蒲団に包まれてゐた。なぜ蒲団はあのやうに暗く、天井はあのやうに高く、
ハバカリはあのやうに臭く、そしてあらゆるものに、バカバカしく金ピカのレッテルが貼つてあつたのだらう。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0710大人の名無しさん
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2011/10/18(火) 10:32:28.84ID:dAs+1g6I
(中略)
お祭は、花やかで、きらびやかで、しかも陰惨そのものだつた。人々はまだ、不具に対する劃一的なヒューマニズムの
擒になつてはゐなかつた。あの安つぽさ、買つてくると一日でこはれる玩具、あきらかに有毒な着色剤を使つた菓子、
飲物、……そこではすべてが「禁止」されてゐた。少くとも「良家」の子供にとつては。従つてその禁止によつて
圧倒的な魅力を放つてゐた。
見世物の見るもおどろな泥絵具の大看板の、陰惨醜悪怪奇をきはめた半人半獣の図は、ここでもまた、紫の
ビロードと、金糸の縫取と、金銀の縁取りの房に囲まれてゐた。さういふものは、少年雑誌「譚海」の血みどろの
「切つたはつた」にもつながりがあつたのだ。衛生的な大人たちは、子供が「譚海」を読むことを賢明にも禁止し、
明るい、清潔な、そして親には孝行、軍国主義には賛成といふ、「少年倶楽部」を推賞したのだつた。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0711大人の名無しさん
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2011/10/18(火) 10:45:42.04ID:dAs+1g6I
私の子供時代はそんなものであつた。そしてさういふ、さびしい極彩色の日本人の生活を私はなつかしむ。
家のどこかでは必ず女がこつそりと泣いてゐた。祖母も、母も、叔母も、姉も、女中も。そして子供に涙を
見られると、あわてて微笑に涙を隠すのだつた。私は女たちがいつも泣いてゐた時代をすばらしいと思ふのである!
しかし泣いてゐた女たちの怨念は、今のやうな、いたるところで女がゲラゲラ高笑ひをし、歯をむき出してゐる時代を
現出した。むかしの女の幽霊は、さびしげに柳のかげからあらはれ、めんめんと愚痴をこぼしたが、今の女の幽霊は、
横尾忠則の絵にあるやうな裸一貫の赤鬼になつて跋扈してゐる。うわア怖い!

……私は一体何を語らうとしてゐたのだらう。私は横尾忠則について語らうとしてゐた筈だ。しかし、私は別事を
語りながら、すでに彼についてすべてを語つてしまつたやうな気がしてゐる。少くともその根元的なものすべてを。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0712大人の名無しさん
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2011/10/19(水) 15:55:07.89ID:DnpmiaW2
ふしぎでならないことは、彼が彼の年齢にもかかはらず、戦前の「暗い日本」と、同時にそのノスタルジックな
けばけばしい意匠とを、潜在意識の底にしつかり貯へ持つてゐるやうに見えることである。(中略)たとへば
彼が作つたアニメーションの映画で、旭日の沈む海に、涙を流しつつ男の横顔が沈んでゆき、その上に強大な
女の横顔がおほひかぶさるコマ絵の連続を見ても、私には、それが、大東亜戦争の敗北と大日本帝国の崩壊を、
肉体的に味はつた世代の人間でなければ描けない図柄のやうに思はれたものだ。
もちろんそれは一面的な解釈である。彼の世俗的な成功は、日本的土俗の悲しみとアメリカン・ポップ・アートの
痴呆的白昼的ニヒリズムとを、一直線につなげたところにあつた。(中略)はつきり云つて、それは、日本的恥部と
アメリカ的恥部との、厚顔無恥な結合、あるひは癒着であつたといへる。(中略)
恥部とは何だらうか。それはそもそも、人に見せたくないものだらうか。それとも人に見せたいものだらうか。
これは甚だ微妙な、また、政治的な問題である。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0713大人の名無しさん
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2011/10/19(水) 15:55:34.64ID:DnpmiaW2
横尾氏のやつたことは、+に+を掛けて−にすることではなく、−に−を掛けて+にすることだつたが、これは
いはば国際親善とは反対で、又、ツーリズム、世界的流行、工業化社会、都市化現象、大衆化社会などとも反対の、
人の一番心の奥底から奥底への陰湿な通路を通つた、交霊術的交流なのだつた。彼は、日本の土俗の霊を以て、
アメリカに代表される巨大な機械文明の現代に、或るフハフハした、桃いろの、ポップ・コーンのやうでもあり、
ゴム風船のやうでもあり、いづれにしても、パンと割られたらおしまひの、合成樹脂製の人魂を喚起したのだつた。
この人魂には、ハバカリの匂ひや、悲しい巨大な旭日の栄光や、女の涙や、やさしい不具者や、あらゆる人間的な
ものがまつはつてゐた。それにしても、とにかくそれは人魂なのであり、人間の霊魂の証しなのだつた。
霊魂は温かい、唯一の温かい言葉になつた。彼の芸術の独特の暗さと温かさは、かくて霊的なものである。
それは(中略)心と心との交流、すなはち心霊術に基づいてゐるからである。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0714大人の名無しさん
垢版 |
2011/10/19(水) 15:56:14.37ID:DnpmiaW2
そこに「英雄」が立ち現はれる。
英雄は、正にこのやうな交霊によつて喚起され、土俗の中から、土でつくられた巨大ゴーレムのやうに立上ら
なければならない。一例が、横尾氏の夢寝にも忘れぬ英雄、高倉健は、花札の刺青を背中に散らした土俗の
アイドルであると同時に、近代都市の映画産業のメカニズムを通じて、深夜興行といふもつとも文明的な興行形態の
中に生きのびてゆく幻影なのである。死んでもらひませう! さういふ血の叫びをあげるとき、われわれの中の
血の叫び、あらゆる進歩主義者、改良主義者、ヒューマニストが、おぞ毛をふるつて避けて通る血の叫びが、
よびさまされて、かう怒鳴る。「カッコいいぞう!」……しかしそのとき、こんなパセティックな共感のうちに、
われわれは無限に喪失してゆく。何かを。何を喪失するともしれず、ただ喪失してゆく。ハバカリの匂ひを、
農村を、血の叫びを。……そして何十年かのち、コンピューターに支配された日本のオフィスの壁には、横尾忠則の
ポスターだけが、日本を代表するものとして残されるだらう。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0715大人の名無しさん
垢版 |
2011/11/16(水) 16:48:29.52ID:+KKu7FnN
0716大人の名無しさん
垢版 |
2011/12/02(金) 09:55:39.91ID:j68G73X6
0717大人の名無しさん
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2011/12/08(木) 17:25:39.26ID:oeUrQfxU
長文引用厨うざい、自分の言葉でミシマを語れ。
0718大人の名無しさん
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2011/12/22(木) 10:06:37.60ID:5AG0vuBF
(中略)
自然な日本人になることだけが、今の日本人にとつて唯一の途であり、その自然な日本人が、多少野蛮であつても
少しも構はない。これだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ、衰亡して
しまふ。子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちよぼ口のPTA精神や、青少年保護を名目にした
家畜道徳に乗ぜられてはならない。
ところで、私はこの元旦、わが家の一等高いところから、家々を眺めて、日の丸を掲げる家が少ないことに
一驚を喫した。こんな美しい国旗はめづらしいと思ふが、グッド・デザインばやりの現在、むづかしいことは
言はずに、せめてグッド・デザインなるが故に、門毎に国旗をかかげることがどうしてできないのか?

三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より
0719大人の名無しさん
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2011/12/22(木) 10:07:02.98ID:5AG0vuBF
去秋の旅で、私は二度鮮明な日の丸の思ひ出を持つた。
一つは私の泊つてゐたニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルに、たまたまオリエント研究関係の
国際会議か何かで、三笠宮殿下が御来泊になり、正面玄関に大きな日の丸の旗が掲げられ、パーク・アヴェニューに
ひるがへつた。これは実に晴れがましい印象だつた。自分も一日本人、一同宿者として、その巨大な日の丸の旗の、
一センチ角ぐらゐを受持つてゐる感じがして、心がひろがるのであつた。
もう一つは、他にも書いたが、ハムブルグの港見物をしてゐたとき、入港してきた巨大な貨物船の船尾に、
へんぽんとひるがへつてゐた日の丸である。私は感激おくあたはず、その場にゐたただ一人の日本人として、
胸のハンカチをひろげて、ふりまはした。

三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より
0720大人の名無しさん
垢版 |
2011/12/22(木) 10:07:31.07ID:5AG0vuBF
かういふことを、私は別に自慢たらしく言ふのではない。私にとつては、ごく自然な、理屈の要らない、日本人の
感情として、外地にひるがへる日の丸に感激したわけだが、旗なんてものは、もともとロマンティックな心情を
鼓吹するやうにできてゐて、あれが一枚板なら風情がないが、ちぎれんばかりに風にはためくから、胸を搏つのである。
ところが、こんな話をすると、みんなニヤリとして、なかには私をあはれむやうな目付をする奴がゐる。
厄介なことに日本のインテリは、一切単純な心情を人に見せてはならぬことになつてゐる。(中略)
自分の国の国旗に感動する性質は、どこの国の人間だつてもつてゐる筈の心情である…(中略)
私の言ひたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬の味とは縁の切れない、さういふ
中途半端な日本人はもう沢山だといふことであり、日本の未来の若者にのぞむことは、ハンバーガーをパクつき
ながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。

三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より
0721大人の名無しさん
垢版 |
2011/12/23(金) 18:56:03.45ID:SUVcxofG
このスレって社会では受け入れられないアホが必死に持論展開するスレですか?
痛々しいッス(ノ_・。)
0722大人の名無しさん
垢版 |
2011/12/23(金) 23:17:42.84ID:3OHDGGMy
と、在日が申しております
0723大人の名無しさん
垢版 |
2012/01/17(火) 15:01:56.28ID:rmwAGd3z
あげ
0724大人の名無しさん
垢版 |
2012/01/17(火) 22:26:43.83ID:EPERx6AV
すげー
0726大人の名無しさん
垢版 |
2012/02/08(水) 17:55:51.81ID:ibBbUmtP
太宰さんで。お願いします。( ̄◇ ̄;)→はーい!!オサムちゃ〜ん!(^ー^)ノ
0727大人の名無しさん
垢版 |
2012/02/27(月) 14:26:07.38ID:6AWndBnr
0728大人の名無しさん
垢版 |
2012/03/02(金) 21:35:53.10ID:TkkAstul
太宰治は、イケメンなので、毎年、ファンの女性が命日にお花を手向けるそうです。
0729大人の名無しさん
垢版 |
2012/03/05(月) 18:33:33.20ID:tGTn+gRy
30代で読むなら桜桃とか?
0730大人の名無しさん
垢版 |
2012/03/08(木) 18:13:59.49ID:SKmsBoo8
桜桃もいいけど、好みあるけど、斜陽とかスキ。人間失格は、精神状態の良い時にしか
読まない方がいいと思う。けっこう、かなり、くりゃ〜ーーい!!★
0731大人の名無しさん
垢版 |
2012/03/09(金) 00:07:30.18ID:k9OoJ7MX
人間失格って暗いって言われてるけど、面白いシーンかなりある

俺は未完で終わった、今までの女と縁切る為にわざと、知り合いの美人を
女の前に連れて行ってあきらめさせるとかって内容の話が面白かった
タイトル忘れたけど。
0732大人の名無しさん
垢版 |
2012/03/13(火) 23:07:54.70ID:+3/U2YSp
何故だろう…
トカトントンが強烈なインパクトで記憶に残っている
0734大人の名無しさん
垢版 |
2012/04/29(日) 19:23:47.53ID:G5MAJ9oh
0735大人の名無しさん
垢版 |
2012/05/11(金) 18:33:01.87ID:XzXwdW1m
大宰治さんは、よく読むと解るんだけど、お父さんが地元の名士で、すごく厳格な家庭に育った
作家で、自虐的な人なんだけど、自分を責めてばかり。痛々しいほどに、優しい人なんだよ。
女たらしの悪い印象が有るけれど、自然と女の人が寄って来るタイプの男性で、とにかく、
優しい人なんだよ。
0736アリガトうさぎー!
垢版 |
2012/05/14(月) 22:16:26.14ID:4DG+x9NP
私は、太宰治の顔がすきなのではないのらー。(本当にいいひとなので。)
優しすぎて、悲しすぎる人なので。自殺はしないでほしかったよー。もて過ぎて、
嫌みではなく、本心から「女のいない世界に行きたい。」という言葉を残している。
勿論、ゲイさんではない。俗世の汚さに、耐えられなかった様にも見えます。稀有なほどに、
優しい人、可哀想な生い立ち。お金持ちの家に育っているけれど、人間恐怖症になるほど、
安心する家ではなかった人。他人に気を遣ってばかり。痛々しいほどに、サービス精神が旺盛。
けれども、ほんしんでは、他人全員に怯えていて、子供の頃の厳しい家庭環境に根ざしている。
優しすぎて、悲しすぎる人。
0738大人の名無しさん
垢版 |
2012/05/19(土) 02:27:14.29ID:Sq/l/Unn
年齢制限のない健全サイトにまで無差別に表示される、
携帯エロバナーを撲滅するべく具体的な行動に移そうというスレです。

※エロやエロ漫画そのものを否定するスレではありません。
あくまで「健全サイト・閲覧に年齢制限のないサイトにまではびこるエロバナー」をどうにかしよう!というスレです。
http://c.2ch.net/test/-/internet/1323983294/1-
0739アリガトうさぎー!
垢版 |
2012/05/19(土) 06:49:13.84ID:6p+j2sfF
792≧??。そう思うなら、あなたの意見をまず、書いて下さい。私は、太宰治は、ほとんど全て読みました。
ご自分の意見を書いてから、言って欲しいけど、そこまで批判したのなら自分の意見をはっきりと
書いて、それから、批判して下さい。違う意見も聞きたい。ちなみに、大宰治は、一度目に心中事件を起こしたのは本当の事ですが、その事も
死ぬ日まで自分を責めていた人で、どんどん自己嫌悪から身を落としてしまった元帝大生。優し過ぎ。女難の相のある人なだけです。
2度目は心中ではありません。太宰治の事を片思いしていた女性が、後追いしただけなのに、
男性のもてない男性のヒガミからか、2度目も心中したことになっています。けれども、真面目に、生い立ちについて書かれている本を沢山読めば分かります。
0740カルマ曼陀羅
垢版 |
2012/05/19(土) 23:04:55.18ID:AbX67+CM

 >>739 え? 批判なんかしていませんよ。いいところついているな、と思って感心していただけなのに……。

 違う意見と言っても、私も皆様方と近い考えです。>>791 アリガトうさぎー!さんのおっしゃる、優しすぎて、

悲しすぎる人、という指摘、私も同感! ……といっても、やはり誰もがそう感じているのでしょうね。太宰治みたいに

デカダンスに陥った人はなかなかいないけど、おそらく誰もが、彼と同じ諸症状は持っていて、“自分と同じだ!”と感じる、

要するに、人間の普遍性をついているから、共鳴の裾野が広いのでしょうね。
0741大人の名無しさん
垢版 |
2012/05/24(木) 12:52:57.37ID:qVyZ3/yb
人間失格しか読んだことない。しかも内容忘れた。家の前も通ったことある。玉川上水は汚いね。
0742大人の名無しさん
垢版 |
2012/06/26(火) 06:01:22.79ID:hJ/PZSil
そうでもないよ。
0744大人の名無しさん
垢版 |
2012/09/01(土) 22:14:55.93ID:wRMtXt4s
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0745大人の名無しさん
垢版 |
2012/10/17(水) 13:12:55.52ID:7BmOFFE7
どちらも教科書で読んだ程度
0746大人の名無しさん
垢版 |
2013/03/13(水) 21:30:28.83ID:cOITkPcn
学歴は三島、身長は太宰が上
文章はどっちもたいした事ない
0747大人の名無しさん
垢版 |
2013/05/11(土) 15:52:37.51ID:WnWhtEwT
>>746
でも、あなたよりは上手いでしょうが。
0748大人の名無しさん
垢版 |
2013/05/12(日) 16:13:19.47ID:GDo0JZiz
二人の接点はあるのか?
0749大人の名無しさん
垢版 |
2013/05/13(月) 12:19:32.39ID:gdEBghcf
治はうまい。 
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