【国松長官狙撃】 中村泰 【ナンペイ殺人事件】
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1956年11月、27歳の時に銀行強盗に失敗して警官を射殺して無期懲役
で服役。1976年に仮出所して、2002年11月にUFJ銀行強盗殺人未遂
事件で逮捕された中村泰。この間、数々の事件への関与が疑われている。
特に、1995年3月の国松警察庁長官狙撃事件は新潮45誌の
「国松長官狙撃事件と私」で自分がやったと告白。また、同年1995年7月の
スーパーナンペイ殺人事件では犯行に使われた銃の線状痕が中村の所有
する銃と酷似。東大中退の老テロリストについて語りましょう。
【中村が関与した事件、または関与が疑われる事件】
1956年11月23日 山川治男巡査殺害事件(東京)
1988年04月03日 金融業者夫妻強盗殺人事件(金沢)・・・・・・・・・・・未解決
1995年03月30日 国松警察庁長官狙撃事件(東京)・・・・・・・・・・・・・未解決
1995年07月30日 スーパーナンペイ殺人事件(東京)・・・・・・・・・・・・・未解決
1997年08月04日 大阪厚生信金深江支店強盗事件(大阪)・・・・・・・・未解決
1999年03月05日 三和銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・・・・・・・・未解決
1999年07月23日 東海銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・・・・・・・・未解決
2001年10月05日 三井住友銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・・・・未解決
2002年11月22日 UFJ銀行強盗殺人未遂事件(愛知) >>301
中村泰は極度のガンマニアでフィリピン製のコピー拳銃とか使わないからナンペイ事件は違うね NHKの番組見る限りだと警察庁長官銃撃事件はほぼクロに近いよな NHKの番組見る限りだと警察庁長官銃撃事件はほぼクロに近いよな >>306
>>307
大事な事だから2回言ったの? >>308
書き込み画面を再読み込みしちゃったのでは? 昔マニラに住んでたとき、日本人が住まない汚いとこを借りてたのでワケありのヤクザと勘違いされて、
いくら説明しても堅気だとは信用してくれなくて、そのうち警官を紹介されてそいつが
「何か仕事ないのか」とか「射撃は自信がある」って繰り返すんでどういうことかと逆に訊ねたら、
「同僚はあんたみたいな人から仕事を紹介されて船で日本に行き大金も貰い、仕事の後でもてなされて
帰国してから警察も辞めて郊外に家を買って商売をしてる」って内容だったんだけど、時期的に金沢の事件みたいな印象。
金沢の高利貸し夫婦も眉間に一発ずつ食らってるって検索して知って背筋がゾクゾクしました。 警察庁長官狙撃事件の真相〜“ 真犯人”の告白…東大中退の“老スナイパー”に迫る(2020年12月放送)#国松長官 #オウム #ドキュメンタリー
https://youtu.be/PzcTjGcZr-Y  >>313
この動画見たけどマジなのか?本当なら警察のメンツで意図的に逮捕しなかった大失態。まともな捜査した刑事部よりオウムせいにした公安部の方が立場が上ってこと?
あと中村ズは愛国者と同時に反政府テロリストでもあるという微妙な思想だが、松本サリンの報道を見てオウムの毒ガス工場を爆破するつもりだったがその前に地下鉄事件を起こされ警察攻撃に切り替えったって何よ。 中村泰で確定なんだろうけど警察エリートのメンツで迷宮入りした 公安警察のどうしようもない低能さと陰湿さが際立っているな
まさに特高警察 >>236
で後藤組といえば創価学会。
オウムとも繋がる。 公安警察のどうしようもない低能さと陰湿さが際立っているな
まさに特高警察 グリコ森永事件にも中村は関与していたのだろうか
確か江崎和久社長の誘拐とカップル襲撃に銃が使われてたと思う
犯行声明の警察に対する敵意は中村にも通ずるものがあるが... NHKの未解決事件を今見た
実行犯の目撃証言との差異があるから逮捕できなかったようだけど
中村が逃走を誘導して元自衛官が実行犯だということはないのかな? 長官狙撃は明らかに違う
ヒール高い靴はいて身長偽装しても10センチが限度
それ以上は走れない
30メートル狙撃をサイト合わせで当てている
壁に左手ついて前腕に右腕のせて撃っている
やるねえ
ところが壁に放射状の火薬痕が残る
それで正確な銃の位置がわかる
目の高さがわかる
身長がわかる
とても中村の身長ではない
低くは構えられても
高くは構えられないからね
明確に中村じゃない 金玉ひとつ失って特命全権大使になれたのは損なのか得なのか
それが問題だ https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/183782
岐阜刑務所の最高齢は89
>>332によると中村は92なので既に死んでるか医療刑務所に移送されたかどっちか それか再審請求してて支援者や支援団体がいるような受刑者ぐらい モンブランの山頂がどの国に属するのか度々議論になっている。両国とも自国の地図においては、山頂を自国の国境線の内側に取り入れる傾向にある。1861年にトリノで開かれたフランスと当時のサルデーニャ王国との会議では、国境線はモンブラン山頂を通るように定められ、現在のところこれが最終的な公式の合意となっている。
国境協議の流れ
革命以前の何世紀にも渡ってモンブラン全体はサヴォイア公国(後のサルデーニャ王国)の領土であった。しかし、1792年ナポレオン・ボナパルトはサルデーニャ王国に圧力をかけ、サヴォワ県とニースの周辺をフランス共和国に移譲させた。1796年5月15日、国境線を決定するための最初の協定が結ばれた。この協定の第4条には以下のようにある 中村は身元引受人もいないだろうし弁護士とも縁切ってそうだからな 上祐史浩
@joyu_fumihiro
https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/1618852983525236738
更に警察庁長官狙撃事件では、オウムの犯行と思い込み、真犯人(東大OBの左翼テロリスト)を見逃した事例も。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 名古屋の現金輸送車の襲撃事件で○補されたときの取り調べで警察庁長官狙撃事件に対して黙秘せず認めてたら警察庁長官狙撃事件がそこで解決となってたのに >>345
あほか?
「有名なあの事件な俺がやりました」なんてホラ吹く犯罪者ぎょうさんおるのに鵜呑みにするほど間抜けじゃないわ
新潮だけがまんまと引っかかった赤報隊の自称真犯人とかな 角谷はやお、ググレ騙されるなこいついろいろ犯罪しとるぞ 容疑者として疑われた中村は北朝鮮からの拉致被害者帰還を最終的には目指していたらしい。
そのために長官狙撃でオウムに罪をなすりつけ捜査を本格化させる→オウム壊滅→バックにいるとされた北朝鮮を動揺させ拉致交渉の足掛かりにする
みたいな計画を立てて実行したのではないかとテレビでは示唆されてたな。
北朝鮮のバッチを落としたのもオウム=北朝鮮関係者が狙撃したと思わせるための中村の罠だったと考えるのが自然だし。
まるで現代のネトウヨの成りすまし工作だが、この爺さんは実際に在日朝鮮人雇って韓国筋から情報入手しまくってた形跡もあるんだよな。 >>349
例の請負組織に頼まれてカネもらってやっただけだろ。 1995年に起きた国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、警視庁の特命捜査班が事件の時効約1カ月前の2010年2月から複数回、参考人として事情聴取した元自衛官の男性(49)が毎日新聞の取材に応じ「事件当日、『狙撃犯』を名乗る知人の逃走を手伝ってしまった」と証言した。男性は当時の聴取に事件への関与を否定したが、昨春以降、取材に応じる中で「狙撃犯」の死期が迫っているとして口を開いた。今月で事件発生から28年。多くの謎を残す未解決事件の新証言となる。
長官狙撃事件は、オウム真理教の信者による地下鉄サリン事件から10日後の95年3月30日朝に発生。警視庁は公安部主体の捜査本部を設置し、教団による組織的テロとみて捜査を進めた。これに対し、捜査1課を中心とした刑事部は、01~02年に大阪市と名古屋市で発生した現金輸送車襲撃事件で逮捕され、強盗殺人未遂罪で無期懲役が確定した中村泰(ひろし)受刑者(92)の関与を疑った。しかし、立件には至らず、10年3月30日に当時の殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えた。
複数の捜査関係者によると、警視庁は長官狙撃事件の時効まで2年を切った08年5月、中村受刑者を本格的に取り調べるため、刑事部と公安部から捜査員を集め10人程度の特命捜査班を発足。受刑者は任意の事情聴取に「国松元長官を銃撃した」と「自白」し、特命班は事件に使われたとみられる拳銃と同型のものを受刑者が87年に米国で購入していたことなどを裏付けた。
一方、中村受刑者は「現場の下見や逃走などで支援役がいた」とも供述したが、支援役が誰かは「同志を売ることはできない」と明かさなかった。受刑者にはオウム真理教との接点はなく、教団によるテロとの見立てを維持する捜査本部からは特命班に「支援役の割り出しができなければ受刑者の逮捕は認められない」との条件が出された。
特命班は受刑者の交友関係を洗い出す中で元自衛官の男性を割り出し、10年2~3月、男性から複数回任意で事情を聴いた。男性は逃走支援を含む一切の関与を否定し、特命班は時効までに支援役を特定できなかった。
毎日新聞は19年9月、記者が別事件の取材で知り合った元自衛官の男性から、かつて長官狙撃事件に関連して警視庁の聴取を受けたことを明かされたことから狙撃事件の取材を開始。男性は22年4月、初めて中村受刑者を「狙撃犯」とした上で「5万円で運転を頼まれた」などと具体的な証言をした。
証言によると、男性は高校中退後に入隊した自衛隊を約10カ月で辞め、93年6月に旅行で米国に渡航。ロサンゼルスで受刑者と知り合って連絡先を交換し、同年8月に帰国した後も日本で親交を続けた。
95年3月、受刑者と連絡を取り合う中で「3月30日に5万円で運転を手伝ってほしい」と頼まれ、当日朝にJR西日暮里駅で合流して5万円を受領。受刑者が準備した軽乗用車で狙撃事件の現場から南西に約700メートルのNTT荒川支店の駐車場に移動した。受刑者は「人と話をしてくる」と言って車を降り、約1時間後に戻ってきたという。その後、車で西日暮里駅まで受刑者を送って同駅近くの駐車場に止め、その日の夜に新宿で再び受刑者と会って車の鍵を返したと話した。
男性は当時、何のための運転なのか知らされず、約1年8カ月後の96年11月ごろ、中村受刑者から「あの時に警察庁長官を撃った」と伝えられたという。受刑者も男性もオウム真理教とは無関係としている。受刑者はかつて56年に警察官を殺害した殺人罪で約18年間、刑務所に服役した経歴がある。受刑者は男性に長官狙撃の動機として「警察に恨みがあった」と語ったという。
受刑者が現金輸送車襲撃事件で逮捕された02年以降、男性は拘置所や刑務所にいる受刑者と手紙のやり取りを続けた。親交の証拠として20年8月に受刑者から届いた「パーキンソン病と白内障が進行し、満足に字が書けない」などと近況を記した手紙の写しを記者に示した。男性は「事件当時、私は21歳。長官を狙撃すると事前に知っていたら、絶対に関わっていない。当時は金に困っていて、運転だけの割の良いアルバイトだと引き受けてしまった」と振り返った。
毎日新聞は昨年4月、受刑者に手紙で新証言に関するコメントを求めたが、現在まで回答はない。
https://mainichi.jp/articles/20230319/k00/00m/040/213000c
中村は犯行グループの一味だったのか >>348
2018.09.08
警察庁長官狙撃事件「真の容疑者」中村泰からの獄中メッセージ
https://gendai.media/articles/-/57307 こんにちは
なんや、ニュー速とかにスレないんかい。
毎日新聞読んでここに来ました。
ふと思ったのが、ああ車谷長吉の新しい文章もう読めないんだ…ってこと
スレ検索してもないのね。そりゃないよね。亡くなった一私小説家。
あ、と思うた。ちょっと懐かしい気持ちになったよ。 あ、国松じゃなくて狙撃で検索したらスレいっぱい出てきたわい。 警察庁長官狙撃事件…真犯人を追い続けた警視庁捜査第一課元刑事が辿り着いた「本当の犯行動機」
https://gendai.media/articles/-/108005 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています