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上杉景勝は無能か?

1人間七七四年
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2022/06/10(金) 11:19:04.21ID:uy9ixcMJ
御館の乱での戦後処理を山崎秀仙の意見を取り入れ安田顕元の自害や新発田氏の反乱事件の遠因になったり、その後も事柄のほとんどを直江兼続に丸投げしこちらも功罪両方あり完全によかったとは評価しがたい

わかりやすいところだとドラマの話で恐縮なのだが
真田丸でのいい格好をしたがるがへたれるというスタイルが個人的に納得いく
皆さんはどう思います?
387人間七七四年
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2023/11/11(土) 22:47:24.12ID:52i5fIxY
佐竹は石田三成と相談した上で上杉と起請文を交わして同盟関係に入った。これを仲立したのが結城朝勝というのが実はこの同盟の重大さを表してる
結城朝勝の母、南呂院は佐竹義昭の娘であり佐竹義重とは兄弟である。南呂院は宇都宮家が危機に陥った時には佐竹義重の力添えを受けていたことがあり両者は親しい
つまり佐竹と上杉の同盟には佐竹義宣の他に佐竹義重の協力もあったことになる。仮に義重が本気で徳川を支えようとしたら結城朝勝は口を出すことすらできなかったであろう
2023/11/11(土) 23:50:40.16ID:6z96Cc4R
毛利を改易しないほうが得だと判断した家康が優秀なんだよ
2023/11/12(日) 00:00:13.58ID:FoJkl0iZ
処罰理由なんて捏造し放題って話をしているんだよ
2023/11/12(日) 02:34:52.41ID:RhQby4RZ
何回か書いたが国主個人の有能無能など歴史の大流の中ではノイズほどの意味も無い。
上杉景勝が上手く立ち回れなかったとするならばそこに至る経緯を構造的に考察しなければならない。
 
越後國という単位で考えるなら;
・上杉房定は享徳ノ乱よりも前に時代の先駆として「戦国大名」化を成し遂げた
・長尾為景は更にその越後上杉家さえ超克して「戦国」なる時代の社会運動を代表する下剋上の典型を提示した
・長尾顕景=上杉景勝の家督継承時点では既に政治的選択肢は極限されていた
 
こう考えると、
軽薄な人々の浅薄な目に景勝の政治的/軍事的行動が「無能」と映るような限定を与えてしまった要素が何なのか、
上記諸項の隙間に在ったものを想起すれば火を見るより明らかだろう。
2023/11/12(日) 02:46:46.74ID:KuwlCsdO
景勝の時代って国主自身の有能無能が思いっきり影響あった時代なのでは
それにその3人よりは自由に裁量権も揮えたとんじゃないかな
2023/11/12(日) 02:53:15.25ID:RhQby4RZ
常々感じていることだが、
自称「戦国史好き」の人々が越後國について上杉謙信、それも山内家督継承後のことにしか関心を持たない状況を歯痒く思う。
ゲームや漫画などの俗悪なメディアの悪影響だろうと見当は付くが。

実は上杉房定から長尾晴景に至る時代そ越後戦国史の真髄であって、
歴史のダイナミクスという観点からすれば謙信以後はむしろ平板な予定調和で興味に乏しい。
上杉景勝期の動向はそこまでの経緯の必然的結果でしかないことをもっと深く考えてもらいたいと切に願う。
 
2023/11/12(日) 03:03:59.00ID:RhQby4RZ
>>391
いつの時代、どこの國であろうと国主たる者が自由に裁量を振るえたことなどない。
責任ある立場の者ほど、そして状況を正確に認識できる者ほど、時系列的因果律と同時代的構造の奴隷としてしか振る舞えない。
特に戦国時代を含む中世は「小氷期」と云う何者も抗えない絶対的規定によって強要された「檻」に政治も経済も軍事も拘束されていた。
その枠内の狭い選択肢の中で更に幅を狭めるような経緯を前代までに確定されてしまった地点に上杉景勝は在った。
 
2023/11/12(日) 08:06:38.33ID:FoJkl0iZ
難しい言葉を使いたいだけの馬鹿に反応すんなよ
2023/11/12(日) 17:00:19.48ID:1N4vSCWQ
それまで寄合い世帯でしかなかった大名家が属する領主を家臣化して強力な集権化に成功したのが戦国大名だからな
室町体制下の大名とは比較にならない権力を持っていた事は間違いないよ
2023/11/12(日) 18:57:14.56ID:LlA3Eg53
九戸政実の乱のように国主に叛旗を翻す存在は中央政権の
圧倒的な軍事力で討伐されるのが豊臣政権の特徴。
2023/11/12(日) 19:03:41.40ID:O6HIAi30
>>395
それを一代でかなりな程度まで進めたのが上杉房定。
更にその体制を内部から食い破る形で勃興したのが長尾為景。
しかし完徹し切れないまま為景は力尽きて後は晴景~景虎に託された。
 
…筈だったんだが、
景虎の時代にあらぬ方向へ暴走してしまった。
勿論それにはそれなりの切迫した状況があったわけだが結果として景勝に巨大な負の遺産を残したことは否めない。
 
結局、越後上杉は「戦国大名」に成り切れないまま織豊期を迎えることになった。
 
398人間七七四年
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2023/11/12(日) 19:03:52.60ID:Kj1+qAKc
房定から晴景への時代「も」面白い
っていうなら納得
399人間七七四年
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2023/11/12(日) 23:54:16.31ID:0Pkz2EED
景勝公は5000の兵を率いて冬の陣で功績を挙げました
2023/11/13(月) 00:27:10.31ID:NACGUAZp
そういや上杉って夏の陣で何やってたの
岡山天王寺の決戦で名前すら出てこないけど
401人間七七四年
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2023/11/13(月) 07:58:57.39ID:WUtB72MY
夏の陣では京都警備を命じられている
2023/11/13(月) 10:35:32.61ID:eOmnMtf+
謙信の後継でありながらとことん武功に縁のない男だな
2023/11/14(火) 02:24:51.55ID:/4pTjopY
>>402
景虎を養子のままにしてたのって景勝に軍才がないのを見抜いていたのかも
404人間七七四年
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2023/11/14(火) 10:40:00.73ID:PrIqo5bL
養父でありながら北条氏秀こと上杉景虎と衆道の関係にあったの?
2023/11/17(金) 18:48:22.44ID:ASYIQ8q5
徳川政権を作り上げた男
406人間七七四年
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2023/11/17(金) 18:56:03.58ID:q9KmYeJx
先祖代々の土地だから気持ちはわかるがあそこまで越後に固執せんでも
2023/11/17(金) 19:07:00.60ID:GVeH7qWD
>>406
上杉景勝のスレなんだから政虎の話は大概に、な。
 
408人間七七四年
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2023/11/17(金) 19:09:28.92ID:IPUWLnhi
いや景勝の話だが
409人間七七四年
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2023/11/18(土) 05:15:22.17ID:g/f3Qu/w
乱世で世襲は通用しないね
天下に野心持ってないのもしょぼい。星の数いた部下がかわいそう。
2023/11/18(土) 06:29:09.72ID:+1LqEpJO
天下を狙えるチャンスなんてなかったやん
2023/11/18(土) 07:34:45.61ID:0uerynqm
むしろ相続した時点で瀕死
親の負債でいきなり無理ゲーという点では勝頼と似ている
ただ、信長が死んで融和路線の秀吉が台頭した点でかなり運が良かった
勝頼も南部のあたりまで逃げちまえば良かったのにな
412人間七七四年
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2023/11/18(土) 12:33:23.90ID:g/f3Qu/w
毛利輝元は無能だったかと間違えてレスしてしまった、、
なんか似たようなイメージがないわけでもない。
父親の知名度マックスのガリガリの戦国大名で息子は
無能ってまではいかないが普通っていうか。
常人はそんなって当たり前ではあるんだが。
逆に二世も極めて有能やったやつで誰か思い出してみよう。
2023/11/18(土) 13:19:39.87ID:t+nB86eQ
>>412
毛利輝元の父親である毛利隆元は有能か無能か真価を問われる前に歿している。
毛利元就のことなら、輝元の祖父。

> 逆に二世も極めて有能やったやつで誰か思い出してみよう。
 
筆頭に挙がるのは北條氏綱。
近年は大北條の骨格を樹立して関東戦国の座標系を書き換えた武将として伊勢早雲庵宗瑞よりも大きく評価されている。
 
上杉不識庵謙信こと長尾景虎は長尾為景の「二世」。
所謂「戦国大名」としての強度や目的機能としては為景の方が遙かに上だろうが、
景虎も機能が低いとまでは云えない。
 
同じことは武田徳栄軒信玄こと晴信にも当て嵌まる。
武田信虎の二世として十分に役割を果たした。

近年は今川氏親の二世である今川義元の再評価も進んでいるが、
間に兄の当主期や更にその後継を巡る内訌を挟んでいるせいか「二世」感は薄い。
 
2023/11/19(日) 01:38:42.31ID:vSJJXPeC
>>413に追記。
太田道真の二世・太田道灌。
2023/11/19(日) 12:36:32.63ID:a6mjbDGu
二代目ならともかく次代が優秀かどうかという話だと
都合が良い所で切ってしまえばだいたいのところは次も優秀という事になってしまう
416人間七七四年
垢版 |
2023/11/19(日) 13:16:36.63ID:gJPDx+K6
上杉定勝についてあまりエピソード聞かないね
2023/11/19(日) 17:07:15.36ID:mUhJQR7I
そのあたりになると完全に江戸時代の人だからな
佐竹義隆、伊達忠宗、南部重直とか周りの同年代大名もあまり話を聞かないのと同じで
2023/11/19(日) 21:44:51.35ID:8CPHwy2w
よくわからん二代目定義する奴って総じてアホが多い
2023/11/20(月) 09:16:32.77ID:FxXzBiBz
二代目で言えば北条氏綱、前田利長、黒田長政、毛利勝永あたりは優秀と言って良いと思う
420人間七七四年
垢版 |
2023/11/20(月) 13:28:28.91ID:c8bGosnm
>>419
利長は家康にあっさり屈服した事で、あまり優秀という評価はされてないだろ。
そりゃ無能ではなかったが、父利家や家康には遠く及ばなかった。
2023/11/20(月) 16:01:55.75ID:ZwtQLslw
いや、利家なんて雑魚だよ
槍働きと処刑人くらいの活躍しかしておらず兵の指揮もたいして出来ない
実際は利長が若いうちから兵を率いて活躍していて信長や秀吉も利長を評価している
信長は利長を娘婿にし秀吉は利家よりも利長に多くの領地を与えている
家康に屈伏したのも利長ではなく利家
利家は反徳川の盟主に立てられていたのに、こっそり抜け駆けして家康に前田だけは助けてくれと拝み倒す情けない有り様だった
利長は上手く泳ぎ回って江戸時代における最大の大名として生き延びたのだから政治的手腕もかなりのもの
2023/11/20(月) 20:37:39.72ID:dCYJvg9e
>>415
当方413だが、
都合の良い所で恣意的に切ったわけではない。
伊勢宗瑞、長尾為景、武田信虎、今川氏親、
何れも学術水準で「当該家に於ける戦国大名としての創業者」と位置付けられる当主を一世とした。
伊勢は勿論、長尾も武田も今川も前代迄とは全く異質な権力構造を実現している。
彼等が謂わば「無から有を生じる」機能を果たした大きな存在であることに異論は少なかろう。
2023/12/10(日) 01:41:16.60ID:od9gE0AD
伊東潤の小説読むと景勝の嫌われっぷりがよくわかる
景勝ってそんな凄い功績があるわけでもないのに同時代の人からの評価高いな
2023/12/10(日) 19:45:56.43ID:WEz6OuDv
100万石を超えて五大老に選ばれただけで十分な功績
2023/12/10(日) 19:53:24.84ID:S26tY4UN
>>424
> 100万石を超えて
 
越後の御百姓さんたちが頑張ったんだな。
いつだって歴史を動かすのは有能(笑)な英雄などではない、民衆だ。
 
426人間七七四年
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2023/12/10(日) 20:18:04.67ID:sdh/379B
もし関ヶ原の戦いで上杉側が勝者ならば越後55万石の回復加増となり、会津、米沢、山形、庄内、佐渡、春日山を合わせた
2023/12/11(月) 08:04:39.66ID:1V/QTuoY
早いうちに秀吉に降伏した順に得をしているからな
秀吉は潰すより取り込んでさっさと国内統一したかったから早く降伏すれば美味しい思いが出来る事を示す必要があった
前田利家、毛利輝元、上杉景勝
みんなボンクラでも優遇して貰えた
2023/12/11(月) 09:34:14.75ID:CJlINNvX
>>424
100万石超えたのって会津に転封されてからじゃね
越後時代でも佐渡の金山や庄内の湊で100万石以上の経済力はあったろうけど
429人間七七四年
垢版 |
2023/12/11(月) 20:18:44.07ID:4l9xZXZk
上杉景勝 伊藤孝雄
430人間七七四年
垢版 |
2023/12/11(月) 21:58:04.44ID:TtbNoTb0
越後にこだわり過ぎて全部失った
2023/12/13(水) 11:17:38.52ID:CzVUjZ1F
>>423
伊東潤は神奈川出身で北条贔屓だから。
作中で北条の武将のことは褒め称えるが上杉の武将は
悪者で小物っぽい書き方をするし
2023/12/13(水) 14:59:01.38ID:JsN67Cld
だいたいの北条贔屓は創価だろ
一般人ならノブヤボから贔屓になった奴も居るけれど
2023/12/13(水) 17:29:33.51ID:hTT/+te5
上杉はパッとした武将もいないからね
捏造能力だけは天下一でしたけど(笑)
2023/12/14(木) 20:43:22.93ID:mKAXiDM2
あれ?
景勝時代だと佐渡よりは鳴海銀山の方が有力なのでは?
435人間七七四年
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2023/12/16(土) 08:23:52.53ID:C4/8KkbP
>>431
先日BS11の「偉人・敗北からの教訓」で「日野富子は取次役が(幕府史僚の)伊勢宗瑞ならよかった」とかいってたね。
2023/12/16(土) 16:54:48.14ID:VGjkjz1Z
謙信最強伝説に騙されて上杉が東国で一番強いみたいな印象があるけど
よく考えると上杉が一番有利な条件だったにも関わらず
年々北条に押されてまくって関東から追い出されしまったし
武田上杉北条という東国の三大大名では上杉が一番格下だよね( ´・ω・`)
437人間七七四年
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2023/12/16(土) 17:19:00.67ID:IVYrbVcz
越後の往来に時間制限あること考えると攻めるにせよ守るにせよ厄介なのは確か
景勝もまぁ…会津でよく頑張った
2023/12/16(土) 17:36:28.84ID:CP1GazwR
>>436
格もナニも無い。
関東戦国と云う構造の一構成要素として上杉(越後府中長尾)がそういう機能を与えられたというだけ。
長尾為景~景虎~顕景の流れ全体を俯瞰すればよく解る。
ゲーム脳で不識庵童貞和尚だけ見ていても何も見えない。
 
2023/12/17(日) 00:20:48.38ID:rGbNRand
>>436
戦闘には強いが戦争には強くなかった
領国的には冬になる前に撤退しないといけないから有利ってほどでもないのでは
2023/12/17(日) 00:54:06.62ID:xmI7YSEU
438だが、構造論は構造論として。

「格」という語に触発されて気になった。
 平姓伊勢氏
 源姓武田氏
 藤姓上杉氏
当時の武家社会に於ける「格」付けとしてはどういう序列だったんだろうか。
 
2023/12/18(月) 10:20:52.95ID:mzZioXNz
>>440
単純に室町幕府内の氏族の家格でいったら
伊勢>上杉>武田
だろう
ただ、小田原北条の伊勢は分家だし
上杉の家格も戦国武将になると曖昧になってきているのでどこも大差はなくなっている
442人間七七四年
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2023/12/19(火) 09:27:44.78ID:j5GnE9yH
伊勢氏(後北条氏)→幕府史僚
武田氏→甲斐国守護
山内上杉氏→武蔵国・上野国守護・関東管領
府中長尾氏→越後国守護代
2023/12/19(火) 09:45:10.15ID:PcdHtKjq
家柄で言えばあの辺りでは宇都宮とかが一番良さそうだが
444人間七七四年
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2023/12/20(水) 23:22:22.76ID:CJJTaDOb
>>436
北条うーじまさ最強説
2024/01/08(月) 18:48:27.22ID:e23yTrF+
景勝って5大老の中で一番知名度低そう
家臣に出番取られてるし
秀家は秀吉の猶子、関ヶ原の力戦、島流しエピソードで少しは一般でも知ってるみたい
446人間七七四年
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2024/05/20(月) 15:03:37.02ID:k72Y85ne
そもそも室町中期で武田といえば若狭武田家だよね
戦国のどさくさで大膳大夫をネコババした
2024/05/20(月) 17:30:08.34ID:ZooUA/AD
>>445
というか一番得をしたよな
上杉って豊臣政権に殆ど貢献していないけど何故か領地も地位も与えられた
2024/05/20(月) 19:40:49.56ID:rw59ZOi/
石高が増えたと言っても港・金山のある越後を失い
飛び地だらけの領土にされるとか罰ゲームに等しいよ
2024/05/20(月) 22:13:35.80ID:ZooUA/AD
金山いうてもあれ開発されたの殆ど豊臣時代でしょ
450!donguri
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2024/05/22(水) 15:18:01.59ID:oNiwLH/i
謙信時代の越後は米どころでは無い湿地帯
領土拡大せず遠距離遠征頻繁にやってもとくに恩賞が貰えない不満での離反は無いので

何かしら金銭収入があって惜しみなく配ってた
人口は多かったので米以外の収入が凄かった。特に海上貿易

中国の異民族みたいに征服して領土経営する気さらさら無いので他大名もしてるが上杉はとくに苛烈な略奪しまくって人間狩りまで許されてたので重臣も国衆も兵たちも大満足だった

この2つだな
俺等だって国公認で女拉致して好きにしていいよってなったら国大好きになる
2024/05/22(水) 16:25:38.80ID:LGAjT2bg
ならねえよ
そんなの一部の犯罪者メンタルの奴だけ
日本人は元々お国とか大義に殉じるのが好きだからな
日露戦争ではかなり軍律が厳しくて略奪などほぼ無かったけど
兵士はみんな前を向いて死んでいたというからな
連隊が30人になっても迷わず突撃を敢行していたし
2024/05/22(水) 16:43:22.63ID:q2nnB4sN
佐竹も毎年のように東北と南関東へ遠征を繰り返していたけど
関東の支配体制に従って敵地を占領しても相手が降伏すれば返還していたので領地はほぼ増えていない
そもそも本領が保証されているのは兵役の義務を負うからであって恩賞が貰えるから参陣するのではない
恩賞は特別な手柄を立てた者に与えるものだから大半の家臣は何も貰えないのが普通
453人間七七四年
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2024/05/30(木) 09:27:04.59ID:F1WuD36s
>>436
北条と武田が関係が良好だったのが功を奏した形になった。
454人間七七四年
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2024/05/30(木) 21:34:09.38ID:5ZgxwbEq
>>453
作られたパブリックイメージは語っても詮方無いが、
史実で見れば謙信期の上杉軍からして特別「強い」というわけでもなかった。
生野山の北條は仕方無いとしても、
臼井城の原、更には佐野や成田あたりの國衆にさえ何度も敗退している。

相甲同盟は確かによく機能したが、
それもむしろ彼等の如き強力な國衆に支えられていたと云うのが真実だろう。
上杉の敗因は自家固有の戦争目的のみに没頭して彼等を蔑ろにしたことにある。
455人間七七四年
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2024/05/31(金) 14:09:55.02ID:cW0p5HEF
後北条氏ってなんで人気ないんでしょうか。
2024/05/31(金) 16:25:07.77ID:Si95r5jO
悪政で家臣や領民に恨まれていたからでは
結局のところ有名な家って家臣や領民達が後世まで良い話を語り継いでいったからだし
つまり北条は自分の家の人々に人気がなかったという事
457人間七七四年
垢版 |
2024/06/04(火) 23:20:39.55ID:5wYyIFfM
>>448
国人を強引に土地から引き離し思い通りに再配置できる
自分の派閥を重要な場所に配置出来る等

実際春日山から北越後までの統制は思い通りになりにくいし、在地勢力力持ちすぎてるから一度土地から剥がす良い機会

会津への加増転封はよかったが秀吉が死ぬのが早すぎたわ
2024/06/04(火) 23:42:10.08ID:wkNVnpR9
豊臣時代に集権化が進んだ大名は多いんだよな
459人間七七四年
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2024/06/05(水) 00:42:11.07ID:QSf9TNZJ
>>457
羽柴など影も形も無い頃、
既に越後国は上杉房定が「国人の独立性否定~大名専制」を半ば実現していた。
故に房定は「史上最初の戦国大名」と位置付けられている。
「豊臣公儀」に移転を強要されるのを俟つまでもなく、
一国の統治システムに関する限り越後国は日本の先頭に立っていた、
の、
だ、が…、

旧体制の国人利害代表たる長尾為景が次代・房能を弑殺して時計の針を大きく戻してしまった。
越後国は房定登場以前の国人割拠システムに還った。
晴景、景虎、景勝、彼等は結局この反動の軛から逃れられぬまま終わった。
長尾家の自業自得と云うべきか、自作自演と云うべきか。
名前を使われた山内上杉家こそいい面の皮だが…。
 
460人間七七四年
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2024/06/05(水) 16:05:28.53ID:m7Ao1xhU
それは越後守護の上杉房能と定実も悪いよ。
ト・オモワレル君。w
461人間七七四年
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2024/06/05(水) 16:07:14.46ID:m7Ao1xhU
>>459
それとも
田崎さんがいる大学の方でしょうか。

最近暇なようですね。
2024/06/07(金) 03:29:32.33ID:beNBj67k
>>455
超巨大勢力にさっさと頭を下げれば良かったのに言を左右にして引き延ばした挙句
御家を左右するほど重要でもない土地で揉めて戦端を開き
城に籠ったまま降伏したんじゃそりゃ人気無くなる
せめて最後は華々しく大合戦でもしてれば真田みたいに人気出たんじゃね
2024/06/07(金) 07:15:14.75ID:DBmn+wOp
>>462
まあ、あれでも謙信には圧勝だったからな
464人間七七四年
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2024/06/07(金) 13:32:30.64ID:W2FCYMU8
>>462
籠城戦かつ撃退戦で相手を蹴散らした戦いならば真田昌幸の上田合戦が一番かな。
人数が違うが。
某先生によると1561年の上杉&反北条勢力の包囲戦は東京大空襲のようなものだったとかいってたな。あれは完全に上杉&反北条勢力の自滅に近いものなのにw
.1569年の武田信玄の小田原包囲も信玄のフェイクによる包囲で本気で攻め落とそうとせず撤退していってたからなw
1590年の豊臣秀吉の小田原征伐は北条氏の支城では激戦だったけれど小田原市街地はさほど被害が少なかったと思う。よって、籠城戦と撃退戦を小田原城で明確にやってれば後北条氏も目立ったと思う。
465人間七七四年
垢版 |
2024/06/07(金) 13:34:00.04ID:W2FCYMU8
>>463
で、謙信より強いのに何故人気ないの?
ゲームオタが阿呆だからかw
466人間七七四年
垢版 |
2024/06/07(金) 14:57:02.18ID:43nqa224
戦う相手が関東豪族国衆ばっかりで一般人から見て華がないし返り忠ばかりで状況の把握が困難

山内上杉に扇屋上杉、古河公方・小弓公方と似た名前の家が出てくるし家格で揉めるわでそもそも戦国時代の関東はライト層には敷居高い

おまけに1590年に秀吉に包囲されて屈して天下統一がなったと教科書に記載される情けないラスボス扱い
2024/06/07(金) 16:13:42.92ID:iL9PF/Vd
関東戦国史は複雑怪奇だからな
内容を把握しないと面白さが分からない
実態が見えてくるとこれほど面白いものはないんだけど
戦いの規模も大きいし
2024/06/07(金) 21:29:45.58ID:cetbm/OP
>>467
関東は戦で負けたはずの勢力が生き残り過ぎている
それでまた出て来るもんだからライト層が混乱して投げ出す
室町時代みたいなわかりにくさがあるからな
469人間七七四年
垢版 |
2024/06/07(金) 21:36:10.74ID:+Co/Yfbq
皆さん、スレタイ、読めますかーっ?
470人間七七四年
垢版 |
2024/06/08(土) 02:40:23.40ID:GEaDdDhs
>>467
> 関東戦国史は複雑怪奇
 
ってこともないんだけどな。
むしろ西国戦国史よりも構造が剥き出しで解り易い。
以下の四点を理解できれば割と簡単に読み切れる。
・気候変動と地殻変動
・縮減し続けるパイを奪い合うゼロサムゲーム未満の生存闘争
・邪魔な奴は理屈抜きで即・殺りに行く
・権威幻想から実体暴力への遷移
2024/06/08(土) 13:31:33.71ID:c9mPscXP
>>470
根本的に理解していない
関東の戦いは将軍家と関東公方家の戦いがベースになっている
将軍家と対立する関東公方家を潰すべく関東管領が送り込まれ関東を二分する争いになった事が発端であり戦国末期までこの構造は変わらない
だが関東公方家も関東管領家も分裂してそれぞれの家とそれを擁立する勢力が敵味方に入り乱れる事になったのでより複雑に
更に各陣営が敵対勢力の一門や重臣を味方に引き入れようと主家を飛び越えて役職を与えたりしたので
各大名の家中も将軍派と関東公方派で真っ二つに
そして関東は戦国大名化せずに大名家と言っても配下とは緩い従属でしかない家が多かったので
状況により配下も主従と血族の間で態度を変え極めて曖昧な関係
だから一つの家を攻撃しようとすると多数の敵があらゆる所から出現するというカオスな戦いだった
472人間七七四年
垢版 |
2024/06/08(土) 13:48:17.43ID:lnYOFhqd
>>471
「根本的に理解していない」のは貴方だと思うが。
>>470の第一項と第二項を視野に入れないようでは関東どころか「戦国時代」そのものの見方が軍記史観の域を出ていない。
むしろ貴論に云う諸家の内訌こそ上記両項に規定された事象だったと捉えなければならない。
特に関東では犬懸禅秀ノ乱以来この本質構造が尖鋭的に露呈している。

「歴史」を議論するに就いて、人為を人為だけの閉鎖系として事足れりとする人々が多い。
表面に顕れた具象をその根本要因から切断して論ずることに自足するうちは、如何に詳細に語ろうとも物事の表皮をガリガリ引っ搔いて空回りしているだけだ。
 
473人間七七四年
垢版 |
2024/06/08(土) 13:58:16.91ID:lnYOFhqd
関東にばかり深入りするのもスレチだから触れておくと、
上杉房定が何故戦国大名化への道を走ったか、
長尾為景(に代表される國衆)が何故それを命懸けで覆したか、
晴景以後が何故為景の軛を外せなかったか、
これらを体系的・包括的に理解する為にも>>470の上二項を無視することは出来ない。
2024/06/08(土) 14:32:37.74ID:c9mPscXP
>>472
実際分かってないじゃん
ちゃんと調べてみるといいよ
面白いから
475人間七七四年
垢版 |
2024/06/08(土) 15:14:11.55ID:lnYOFhqd
>>474
繰り返す。
何も解っていないのは貴方だ。

皮相の話はとっくの昔に飽きた。
特に禅秀ノ乱から長享ノ乱までは散々調べたが、
これらの「本質を議論し易い構造を持つ戦争」という好材料を得ながら
貴論のような浅薄な議論モドキに終始することの虚しさを知った。

古河御所も関東管領も、諸家の内訌に於ける御所方も管領方も、
「喰う為の戦争」という本質の表面に施された粉飾に過ぎない。
 
逆に当方から奨めておく。
>>472の後半を再読した上で
「戦国時代」「戦国大名」とは何か、先ずそれを調べてみれば見方はガラリと変わるだろう。
せめて「小氷期」と云う言葉だけでも知ることだ。
2024/06/08(土) 17:49:00.14ID:v5Y1DbGD
完全に病気の奴
2024/06/08(土) 20:26:46.99ID:QmecbCkn
景勝って秀吉による統一がないor遅れていたら関東に出兵していたかな?
478人間七七四年
垢版 |
2024/06/08(土) 21:19:04.97ID:NnWJVYEv
隙あらばif語り
2024/06/08(土) 23:15:42.44ID:HxZelGRc
>>474
荒らしの相手をするなよ
2024/06/09(日) 11:11:10.87ID:6bXnt0S1
>>477
景勝は佐々と新発田に挟撃されて瀕死だったけど秀吉が佐々を討伐してくれて更に支援して貰って何とか新発田を倒して生き延びられたのに
秀吉が来なかったら関東進出どころか滅亡していただろう
2024/06/10(月) 18:46:23.96ID:EJE5a+iZ
景勝が弱かった(戦下手だった)のか、新発田が強かったのか
2024/06/10(月) 20:43:54.96ID:AaWSiQ1n
両方では
483人間七七四年
垢版 |
2024/06/10(月) 20:54:09.07ID:oUlbvYLv
>>481
長期的に見るとそれが越後国の通常モード。
先代の童貞和尚の時期だって特に長尾が強かったわけでもない。
ギリギリの危うい所で何とか遣り繰りしていた。
2024/06/10(月) 21:34:57.84ID:8krPUXiL
上杉謙信、確かに戦国最強の武将として名高いよね。でも、実際のところはどうだったんだろう?確かに、上杉軍は初期の頃は圧倒的な強さを誇ってた。特に、武田信玄との川中島の戦いでは、互角の戦いを繰り広げたことは有名だよね。でも、その後は徐々に北条氏康に押され、領土を減らしていくことになるんだ。

上杉謙信が亡くなった後も、上杉軍は家督争いや外敵の侵攻などで苦境に立たされ、最終的には豊臣秀吉に臣従することになる。一方、北条氏康は、最後まで独立を維持し、小田原城で秀吉軍と激突するんだ。

つまり、戦国時代の東国において、上杉家は決して最強とは言えなかったんだ。むしろ、北条氏康の方が、軍事力、政治力、経済力において優れていたと言えるだろう。
2024/06/10(月) 21:52:33.82ID:8krPUXiL
会津征伐の引き金となった神指城は、12万もの人夫を動員した大規模な工事だった。しかし、発掘調査によって、堀や石垣は後回しにされていたことが判明した。さらに、景勝が家臣に「国境の城や砦の整備を急げ」と命じていた文書も残っている。

これらのことから、神指城は幕府の目を欺くためのブラフであり、そこで集められた人材や物資は、国内の軍事施設強化に回されていた可能性が高い。景勝の行動は、姑息と捉えるか、策士と評価するかは人それぞれだろう。
486人間七七四年
垢版 |
2024/06/10(月) 22:36:57.03ID:DjLtWa85
>>484
景勝スレで謙信に深入りすると𠮟られそうだが、私見では「危機察知能力の優れた武将」。

戦場でも不利な戦闘は巧みに避けて勝てる相手を捜して討つ。
負けいくさでも潰滅に至る前に敗走を選ぶ。
実は生野山と臼井以外にも佐野・成田あたりに何度も敗退しているのだが軍崩壊だけは免れている。

戦争に至る政治過程でも自国・自家にとって危険な、或いは利の薄い行動は、たとえ同盟国の懇願でも容易に取らない。
それ故に佐竹らの信頼を失って全面敗北して行くわけだが、それでも越後国の為政者として最低限の利益だけは確保した。
 
パブリックイメージとは逆に、武将と云うよりは非常に怜悧で強かな政治家として評価したい。
2024/06/10(月) 22:42:53.20ID:ONKzCQG9
北條くんに構うなよ
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