先週、二本松城を訪れたところ、本丸に「丹羽和右衛門・安部井又之丞 自陣の碑」というものがあった。
横の立て札を見ると、戊辰戦争での落城に際して自刃した城代と勘定奉行の供養塔だそうだ。

そこには、前者の割腹の様子が「床几に腰を下ろし、膝の上に広げた軍扇に内臓をつかみ置いて、前屈みのまま絶命」
と説明があって、「これ、藩祖(という言い方でいいのかな?)に倣って、ってこと?」と思わずにはいられなかった次第。

いい話なのか悪い話なのか迷ったけど、この他にも壮絶な逸話を聞いた長州人の自分がちょっとバツが悪くなったのでこちらに