「博多細伝実録」より僧高要の祟り

忠之の短慮についてであるが、天台宗の僧・高要という者が太宰府の近くの寺の別当をしていた。
この出家は破戒僧であり、十六才の寺衆の美婦を小児姓といつわって仕えさせていた。
ついに目付けにばれ、本来ならば遠島を申しつけられるところを、
忠之により、法外不仁であるということで生きながら骨を割られ殺された。
忠之は城より二里半ばかりの崇福寺に、毎月祖父如水の忌日に寺参りをしていたが
暁方に馬で向かったところ、高要法師が忽然として煙の人形のごとく馬の前に現れ白眼をむいた。
忠之が「坊主めが、推参なり」と言うや煙の如く消失した。
高要の死から一年もしないうちに、高要の破戒を見出した目付けはもちろん、その時とらえた場に居合わせた者十三人が一人も残らず死んでしまった。
そこで福岡の大工町に一社が建立されたが、色道の罪で殺されたため、誰ともなく縁切りの願いを叶えてくれる、ということになった。