身長6尺5寸(197cm)
体重43貫(161kg)

これが史実の秀頼であるとされる。
当時の記録には、
「世に比類無き御太り」
と記され、宣教師の記録にも残っている。
自由に身動きがままならず、馬にも乗れなかったとされる。
大坂の陣において真田幸村から出馬要請が来てもこれが仇をなし出れなかったらしい。
また、途中まで出るものの、やはり城外に出る寸前で改め引き戻したとの説もある。
大の大酒飲みであったらしい。
また、秀頼は大坂落城の時に自害せず、薩摩まで幸村と落ち延びたという超有名な一説がある。
時の薩摩藩主、島津義弘は逃げてきた秀頼を匿い、長屋を与えたという。
また、義弘は家臣や薩摩の民にも「無礼のないように」とする触れを出していたという。
当時の薩摩には、6尺5寸43貫並みの超大男の目撃情報が相次ぎ、その男は酔っては街に繰り出し民衆に迷惑をかけていたという。
その男の名が「秀頼」であったとされる。