話題投下
http://blog.sasakitoru.com/200602/article_83.html
>『長命寺結解』の「天文三年十月結解米下用」に、「四郎殿様御在京之時」とある。
>この記事の四郎殿様が、『厳助往年記』同年十月条にある将軍義晴の入洛に供奉した六角四郎と同一人物である。
>これに対して同年の「注進天文三年十二月結解米下用」で「五月十五日御曹司様伊崎へ御参ノ時」とあるように、
>定頼の子息義賢は御曹司様と記され、四郎殿様と書き分けられている。

ここで言う「御曹司」は、「堂上家の部屋住みの子息」という意味で、嫡男である「四郎殿様」の下位者なのに、
「御曹司=嫡男」と勘違いしていることによる誤解ではないかな?
だから「四郎殿様」は義賢で、「御曹司様」は別人でいいのではないかな?