無学の私の浅薄な理解ですが、もともとヨガというのは古代インドにあった。アーリア人を
主体とするバラモン教が形骸化権力化するなか、改革派が現れそのうちの一人がブッダだった。
そのころは当然仏像なんてなかった。「座禅?」していたブッダは結局 大衆を救わなあかん
などと言って山を下りてくる。宗教の内容としては ガンジーも信仰していたというジャイナ教のほうが上という
感じもする。仏教教団も一時はすたれ、挽回のためヒンズー教などを多く取り入れた。
また後世 インドで密教なども起こる。中国では禅も起こる。「只管打坐」と言っているのに
チャンと読んだわけではないが、道元などは 輪廻転生や地獄も否定しない。道元は現代フランス哲学
を超えていたとされるが、確かにそれふうの記述もあるがそれほど紙数は多くはない。禅問答の道元流解釈という
記述も多い。道元の思想(思想と呼んでいいかどうかはわからない)は道元の発案ではなくて、きほんてきには当時の
中国の禅宗 とくに台所係りのお坊さんに負う。一遍もあちこちの神社仏閣を参詣している。
自然体で結構だけど、突き詰めると矛盾しない?などと思ったりする。熊野権現の出現も
大きいし。象に乗った菩薩などほとんどヒンズー教ではないかと思うのであります。