>>479
後漢・三国・晋の豪族は後世の士大夫や貴族のベースだから、
言葉に厳密さを求めないのであれば豪族の魯粛は士大夫と言ってもセーフでは?
> 前漢の統治体制が確立すると、地方において強い経済力を持って人民を
> 保護民化していった者たちが、郷挙里選の制度下で子弟を中央官僚として
> 送り出すようになり、支配階級を形成する。
> 彼らは自らを周代の都市国家指導者層に擬えて「士大夫」と呼ぶようになる。
> 後世からは「豪族」と呼ばれる階級である。
> 魏において九品官人法が制定され、魏晋南北朝時代には豪族は漢以来の
> 血統と文化的実績、人民保護者としての名望を背景に、華北に浸透した
> 北方遊牧民の有力族長層と共に、より名門意識を高めて後世「貴族」と
> 呼ばれる階級に変わって行くことになるが、自らは変わらず「士」「士大夫」と称していた。
> 貴族階級は、自分たちの地位を保全するために、貴族階級から外れた者たちを
> 「庶」と呼び、激しく差別して政治の場から排除していた。
劉備が天下統一できなかった最大の原因その5
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2022/11/04(金) 22:28:18.90ID:LxLQ04iL0
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