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漢中侵攻作戦の司令官は法正で作戦本部長が黄権
黄権は護軍に任じられ曹操方の太守を撃破
益州には夏侯淵、チョウコウが駐屯していたが守備の状況が甘いことを察知した法正が2年後に討伐軍の軍監として出兵
旗下の黄忠が夏侯淵を張飛がチョウコウを破る

この間劉備は一度荊州に戻り呉への対策を取っていたが黄権が漢中には曹操が必ず親征してくる
漢中を失えば益州もそのまま奪われてしまうから「ご主君は漢中方面に戻って!」と進言し正にその通り曹操がやってきている
劉備は蜀の軍勢を引き連れて漢中方面に来たので漢中に出てきた曹操を破ることができ益州も固めることができた

大局を読んで決戦の場所と時期を正しく見積もり国家の大事に適切な優先順位を付け君主にこれを直言
また劉備の入蜀の際には劉備が劉璋を助けるためでなく自分が張魯に変わって蜀を乗っ取る算段であったことも見抜き主君劉璋へ「劉備を蜀に入れてはなりません」と君主の意に反してでも職務に忠実であった点も劉備は高く評価していたと思われる。

劉備が漢中王になった際に黄権が光録勲(今でいう内閣国務大臣ポスト)に任じられている
黄権は元々平の一官吏でここまで出世した
そんな人は劉備政権でも関羽張飛諸葛亮以外他にいない