もし今川義元が桶狭間を生き延びたら・・・・
織田、斎藤を倒し、浅井を傘下に収め、六角をおっぱらい
天下人となっていたことだろう。 そうだよなー 信長と信玄に挟まれてるって嫌すぎるわ >>6
「歴史にifはない」とかあほなこと言いそう 生き延び方にもよるだろ。
単に信長の奇襲が今川の返り討ちに遭って、
今川完全勝利の形で生き延びたパターンか、
信長の奇襲によって多くの今川重臣は討ち取られて
大損害は食らったが、義元は何とかその場から
逃げ延びる事が出来て駿河に撤退したパターンか。 桶狭間に、駿河隠密頭領の風魔半蔵が助けに来て、名馬【ザンジバル】に載って、戦場を離脱し、ひとまず、安城に退却しました。 この時代一国取るのに20年とかザラにかかるからたいして変わんないんじゃない
織田信秀死後9年も動けず義元死後の反乱ラッシュから今川は長期どこかに遠征できる支配体制に無いのが露呈
島津だって大隅取るのに貴久の代から義久の代になってやっと
信玄も親父の代の1528年から1553年までの20年以上かかって信濃から村上追い出すまではいったが北信制圧はできてない
上野も信玄時代は西半分取って終了。大半を得たのは勝頼時代
大内も戦国1の勢力だったのに安芸石見さえ完全制覇できず尼子とシーソーゲーム。国衆味方につけたり裏切られたりで終了 浅井亮政も何度も六角に居城まで攻められたけど巻き返してる
そんな簡単に勝てるわけがない
まだ武田みたいに徳川と共同で攻めたとかならわかるしかも当主死んでゴタゴタ状態の相手ならな
今川は武田信虎時代にも北条氏綱と共同で何度か甲斐に侵入して放火しまくったけど野戦で大敗し駿河への道が閉ざされ土下座して和睦して追撃しないで帰らせてもらってる
1万の軍勢で死傷者3000だったというから死傷者3割出たペリリュー島の戦いに当てはめれば指揮系統機能してなく士気ドン底で全滅判定だろう
尼子も経久時代から何度も奥深くまで進行されてるけど奪回してる
駿河から尾張は遠すぎるんだよ
水軍使ってる形跡もなく遠州灘超えるのが困難だったんだろうな ちなみに今川は斎藤と仲良くない
対織田共同作戦の話も一切ない
親殺しは戦国でもタブー
唯一親しかった六角にさえ信用するなと言われる始末 >>14
違うだろ
君が会社の上司殺すのと自分ではなく弟にあと継がせようとしたと思い身勝手な理由で親殺すのじゃ毛嫌いされて当然
しかもなんの罪もないお見舞いに来た弟まで殺してる。自分が当主になれるかどうかの身勝手な疑心暗鬼でな
しかも道三は普通に義龍にあと継がせようとしてたのに 義龍は土岐頼芸が実父だと主張してたし土岐旧臣の大半もそう思ってたんでしょ
敵対する信長とかは当然親殺しだとなじるわけだけどさ 頼芸が実父だと言う割には追放されていた頼芸を放置していた義龍 信長も美濃取ったら大義名分で飼ってた帰蝶ポイ捨てだからなw 桶狭間から撤退成功したらむしろ信長は敵中に突出してる状態になるから
さっさと清州に引き上げて終わりだろうな
態勢立て直されたらもう籠城しかないだろうし信長死んでたんじゃね?
義元本隊がボコられても尾張攻略継続する意思が義元にあるならだけど 尾張47万石と東海三国70万石だから簡単には信長も簡単にはやられないだろ。
ただ上杉謙信の関東出兵も始まるから尾張からは暫く手を引く可能性が高い。 北は斎藤義龍がいるし南からは今川が攻めて来るし
尾張の兵力全部を対今川に使えるわけじゃないからなぁ
桶狭間で義元討ち取られなかったら二度と奇襲成功しないだろうし 子供が今日、学校の先生に
今川25000に織田3000で織田が勝ったと説明されたらしい。
訂正すべきか悩むところ
今川そんなに兵隊居ないだろ
最大動員でもそんなに行かない まぁでも武田と北条と同盟組んでるから
守りで残置する兵力必要ないから全力動員すれば15000くらいは余裕だろう 前線の砦や城にも兵力置いてたし斎藤に備えて北部にも兵力置かざるを得ない
清州にいた信長が城の守りも残したうえで
直接掌握しててすぐに動かせる兵力が3000だったってことだろう 石高から見たら25000も3000も怪しい
どっから出た数字なのか
まあ石高そのものも正確な数字じゃないけど 今川の兵力25000は確実に盛られてるが織田の3000は信用できる数字じゃないか?
信長は美濃攻略戦でも1000人程度で戦っているんだぞ 三千しか出せないのに今川方の城を囲んで今川の大軍を呼び込むとか信長はあほなの? 戦の仕方を知らない人が多すぎ
防衛戦で兵力に劣る守備側が全兵力を出して野戦で正面から戦う訳がない
なんでそんな不利な事をやらなきゃならんのだ 俗に言う信長の親衛隊だろ3000って
もはや裏切者出てもおかしくないような状況だし
信用できる奴らを率いてるからこそ丘の上の今川軍を正面攻撃するなんていう
普通ならありえない戦闘が出来たんだろう >>23
甲陽軍鑑でギリギリまで掻き集めて24000
三河物語でも20000はいたとあるから
そこまでかけ離れた数字でもない
実際、義元死後に反乱が相次いだのは
軍役負担がきつすぎたせいもあるのでは
信長も上洛以降は軍役がキツすぎて松永・荒木が反乱してるけど
尾張・美濃統一までは信頼できる少数精鋭を年中動かして、戦費をやりくりする方針に思える 敗北した将の無能さをきわだたせる為に兵数が盛られるのは古今東西を問わずよくある話し。 兵の数え方が人によって違う訳だが、学者ですらそれを理解せずに書く人が多いからおかしな事になっている
1、騎馬武者だけを数える 2、徒士武者も含めて数える 3、足軽、中間、小者も含めて数える 4、軍属も含めて数える
通常、この4通りの表記がある
そして戦国時代から江戸時代にかけての軍役を見ると万石あたり200~300人で統一されているのでこれは間違いない
つまり今川で言えば出兵した総数(上記4)が2万人を超える事は何の不思議もない事だ 冬の陣、加賀藩400石取り(wiki兵農分離より)
侍衆の若党1~2人、馬引きや槍持ちの下人3~6人、他に労役農民の人夫1~2人
この場合 侍400石取り1+(1~2)+(3~6)+(1~2)=6~11 40万石換算6000~11000
>>29 >>30
実際の兵力は自領の安定度、戦場との距離によって大幅に変わる感じ
朝鮮の役や関ケ原は戦場に近い大名は動員数が多い
島原の乱では佐賀藩 35万7千石で、なんと3万5千人らしい
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12107264977
今川は自領の安定度は相当良く、北条と武田の援軍あり?
上洛目的じゃなく尾張制圧目的だったら相当多いのでは 桶狭間で今川義元が生き延びてたら毛利輝元が偉大な叔父二人と共に
天下をとったかもしれんな。毛利以外に天下を狙えそうな家は無いし。 >>41
毛利は島津に後ろから攻撃されて結局身動が取れなくなりそう 伊達政宗が天下取ったと思うけど
政宗は信長に憧れてたらしく
信長をなぞって行動に移せた面があるから
引っ込み思案な性格のまま佐竹にボコボコにされた可能性もあるな 佐竹が惣無事令を守って積極的に動かなくなっていたから蘆名とか滅ぼせたけど
そうでなかったら政宗も南陸奥のあたりでグダグダやってて一生終わったと思う 本 命:毛利家
対抗馬:武田家
穴 :上杉家
大 穴:本願寺
織田と今川松平連合軍がグダグダやってたら他家が天下統一しそう 三国同盟がずっと維持されてたと仮定したら、北条と上杉の
同盟が無かったワケだから、北条から謙信の養子に入った
上杉景虎も存在してないから謙信死後は景勝が内乱無く
上杉家督を相続する事にもなる。
更に武田では義信の廃嫡が発生せずに信玄死後に義信が
武田当主になる事にもなる。
上杉の行く末は危うかったかも知れない。
武田と北条の仲が悪くなった事が上杉が生き残れる要因にもなったし。 それなら上杉も佐竹里見と険悪にならず北条ピンチのままだな
越中に向いてのが関東に向いて北条ピンチの嵐
北条なんて武田滅亡後に佐竹宇都宮連合程度に振り回されて自由に軍勢動かせなかったヘタレ
武田いたころは勝頼軍に連戦連敗。築城したばっかの北条支城かを完成して速攻で裏切り、上野の北条国衆もこぞって武田に寝返る。
信長にこのままじゃ北条滅びます武田征伐お願いしますと泣きついてたヘタレ
しかも北条って城攻めが超苦手でとうとう下野何度も攻めても落とせず撤退
氏康時代から氏直になっても下野西南にほんのちょこっと勢力圏築いただけで終わる
てか宇都宮のゲームの能力の低さは何なんだ。何度も北条撃退してるのに
上野にも氏邦軍が何度も攻めたが撃退される
そこに上杉、里見が加わったら北条終わるわ 織田と今川が一時的でも講話してる可能性とかはないかな
でグダグダして寿命が来て終わりとか
後になってからの信長の勢力拡大スピードに惑わされてる 桶狭間なかろうが無理だろ
浅井亮政も道三も尼子も元就も北条も本拠地の国内侵入許して居城まで攻め込まれてるけどいずれも相手が攻勢限界迎えて撤退、すぐ取り戻されるの繰り返し
信虎なんか北条、今川に同時進行され国内蹂躙されたけど取り戻してる
今川なんか信秀死後9年も尾張攻めることができず義元死後の反乱ラッシュから駿河以外も不穏で一度大敗でもしようものなら裏切り出まくる ちなみに関ヶ原毛利は120万石で51500動員してる
今川の25000が余裕に見えるな 今川軍25000は盛ってる感がある
号して25000なら実数16000〜21000ぐらいかな?
今川へ寝返った鳴海城と沓掛城を保護するための今川軍の出陣だろうから義元としては本気で戦うつもりがないと思われる
昔の定説では上洛のための出陣とされたが、それまで義元は上洛を考える行動をしていない
むしろ領土を一歩ずつ増やしていくタイプの政策だ
そして大高城の補強に成功し、沓掛城への安定を確認し、あとは鳴海城の救援を果たすのみ、鳴海城を囲む織田の砦を今川の大軍で威圧して敵の退却を待てば目的を達成する
当然25000と大きく盛って号したほうが今川としては良いわけで
織田のほうは3000掻き集めたかな、尾張の他方面への抑えも残さなければならないし
仮に義元が桶狭間で勝っても生涯で駿河、遠江、三河、尾張の四国だけで終わるだろう、もしかしたら伊勢まで取れるかどうか 太原雪斎がいないしブレーンとなる存在がほしいところだよな
尾張で人材登用するしかないな 秀吉は世に出ない可能性大だな
義元が公方になったんだろか?