>>457
羽柴など影も形も無い頃、
既に越後国は上杉房定が「国人の独立性否定~大名専制」を半ば実現していた。
故に房定は「史上最初の戦国大名」と位置付けられている。
「豊臣公儀」に移転を強要されるのを俟つまでもなく、
一国の統治システムに関する限り越後国は日本の先頭に立っていた、
の、
だ、が…、

旧体制の国人利害代表たる長尾為景が次代・房能を弑殺して時計の針を大きく戻してしまった。
越後国は房定登場以前の国人割拠システムに還った。
晴景、景虎、景勝、彼等は結局この反動の軛から逃れられぬまま終わった。
長尾家の自業自得と云うべきか、自作自演と云うべきか。
名前を使われた山内上杉家こそいい面の皮だが…。