確認不足で失礼しました。こちらは未だ出ていないようなので


織田信長公の御長男である三位中将信忠公は、本能寺の変の折、妙覚寺に居られたが、本能寺に軍ありと
聞き給いて、二条の新御殿に御移り遊ばされ、二条にて御生害された。
これについても御遺言にて、『遺骸を敵に渡すな、火中に打ち込み焼き捨てよ!』と仰せ置かれていたため、
御家来中はその死骸を火中に打ち込み、失い申せし故に知れ難くなっていた所を、ここも清玉上人が
早速駆けつけられ、残り居た御家来中に信忠公の死骸を打ち込めた火の場所をとくと聞き糺し、火中に
焼き捨てられた遺骨などを尽く拾い集め、阿弥陀寺へ持ち帰り、信長公御墓に相並べて御墓を築き、
今に至りこれもまた、御命日御水向を相勤め申している。

『信長公阿彌陀寺由緖之記録』