戦国時代の兵站について語ろう
目立たないが、戦をする上で極めて重要な兵站
戦国時代の兵站について語りましょう クレフェルトの馬車限界(馬車で補給が可能な最長距離)は200kmとされているが
日本は山が多いからもっと短かっただろう
川中島の戦いは何ヶ月も対陣していたようだけど、
海津城とか近くの城に大量の物資を保管してたのかな 確かに船の輸送は戦国時代では多かっただろうね
日本の国土は山が多くて陸地での輸送は困難だが、
川は多いし海に面している土地が多いから
船での輸送は理にかなっている うーん、書き込みがない
やっぱり兵站なんて皆興味がないのか… >>4
水運の重要性は高かったんだろうな
古河辺りも水運の権利取り合いだったみたいだし 九州征伐は兵站余裕だったけど小田原征伐は難儀したみたいな話も
瀬戸内海と毛利配下の海賊衆の援助と水軍力の力がそれほどでもない駿河海賊衆のちがいかね 日本は狭いから中国みたいな兵たんの概念が殆どなかった
日本の戦争は一種の祭りで
戦争が起きると、戦場に商人や物売り売春婦が集まって
食料や物資が現地調達できた
そもそも食料は大名が準備せずに各自が準備していた。
戦争が長期になる場合、こいう兵糧の携帯が邪魔になるから大名が小荷駄隊を編成していた
太平洋戦争など戦線が伸びきって兵士が餓死しまくったのを見ても
日本人にはこういう兵たん軽視の伝統があったから
軍事の基本は兵たんにある。三国志の魏の名将夏候淵は後方部隊専門で兵たんを担当していた
つまり軍事で一番信頼されている武将が後方支援や兵たんを担当する。 古代中国の話をしてるのアホちゃうか?
あんなんまともな史料さえ残ってない美化された口伝やん 甲斐・信濃を巡る徳川、北条の戦いが徳川の勝ちになったのは、真田安房や依田豊前らのゲリラ戦で補給路を断ったのが大きいですし、 現地調達と言っても内容は戦地に近い隣国の同盟国から商人を呼ぶ、または同盟国から兵糧運ばせる、だからな
敵地の商人は領主からの報復を恐れて協力的じゃない
和睦さえ許されず領主が滅ぶのが明らかで鞍替えするのが得策と敵地商人が確信しない限りはね
だから隣国に同盟国がいないと現地調達は期待できない
謙信の第一回関東征伐が瓦解したのは同盟国の兵糧負担が大きかったから勝手に離脱した
上で言われる天正壬午も戦地まで運ぶルートの国衆が裏切ったから 兵站の話題でよく出されるのは豊臣家の武将だけど、豊臣政権が兵站に長じていたから強くなったとかじゃなくって、豊臣政権の統一事業ほど大々的な軍事活動にならないと兵站の概念が強くならないからでは?とか思う 戦に出る大名に借米(利子を付けて返す米)を買わせて
私腹を肥やすのが豊臣の国家事業みたいなもんだから 月山富田城の戦いはどうですか?
第一次は1年4ヶ月の遠征で大内の敗戦、
第二次は2年4ヶ月の遠征で毛利の勝利でした。
どちらも比較的長い遠征だと思います。 今では木曽川は纏められているが当時の尾張平野は河川だらけで斯波氏の陪臣にも関わらず信長の家系が水路の流通の財で主家を凌駕した
一見地味ではあるが河川舟運こそ織田家発展の源であり秀吉が持つ兵站の概念はこの辺りからきている 鉄道が登場する近代以前は国境近辺に蓄えるか現地調達しかないからなあ。
短期の出陣だったら略奪や押し買いで調達可能だが中長期的な出陣ともなれば
出陣先の惣村の協力を得るために多少高値で買い付けていた。 大友氏が大敗して衰退のきっかけになった
耳川の大敗も兵站が原因だから。 >>21
敵地に拠点を作って蓄えることも出来るよ
人口も少ない時代やしね >>20
大垣城が半ば水城で堀を兼ねた河から海に出れたんだっけ 「実は自衛隊の各駐屯地にある弾薬や燃料の備蓄は1週間分しかなく、もしもどこかの国の侵略軍が日本に上陸してきても1週間しか戦えず、あとは降伏する以外に方法がありません」(軍事ジャーナリスト)
そもそも自衛隊では弾薬や燃料以外に、隊員や食料物資を運ぶ一般的な輸送トラックや、車両や戦車の燃料補給に欠かせない軍用タンクローリーが、他国に比べて圧倒的に少ないといわれている。これは今なお続く“兵站軽視”の証しと言えるだろう。
https://news.livedoor.com/article/detail/16977097/
現代の自衛隊も兵站軽視の伝統を受け継いでいる模様 >>25
日本は四方を海で囲われてるんだから、上陸される前に海で叩くべき
上陸されたらもう諦めろって考えなのかね 予算不足と、一週間あればアメリカの援軍が間に合うからだな。 元々自衛隊は米軍本隊が到着するまでの時間稼ぎが役目だからな 小荷駄奉行ニダ < `∀´>
> 江戸時代の例であるが、前橋藩酒井氏の軍役規定では、小荷駄隊は駄馬573頭(口取り573人)、人夫1,179人であった。
> これで戦闘員(武士・足軽)3,686人と騎馬武者用の乗馬347頭の補給を行うことになっていた。
> 駄馬の積載量は25貫目(94 kg)、人夫の場合は4貫目(15 kg)とされているため、小荷駄隊の輸送力は合計で 71,547 kgとなる。
> 他方、一日の食料は馬が大豆2升、糠2升(合計5.8 kg)、『雑兵物語』によると人間は米6合、塩0.1合、味噌0.2合である(合計約1 kg)。
> 従って、前橋藩が規定通りの兵力で出陣した場合、1日の食料消費量は、馬が合計920頭で5,336 kg、人間が5,438人、5,438 kg、総計10,774 kgとなる。
> 小荷駄隊の輸送力を全部食料に割り当てたとしても、6.6日分の食料しか運べない計算になる。 ジャパンは揚陸艦を持っていないので、本州〜北海道・九州・四国間で戦車や装甲車を
移動させるには民間のフェリーを使うw
陸自ご用達として大活躍した船が、この可愛らしいデザインと名を持つ「ナッチャンWorld」であるww
https://i.imgur.com/2rz5gDz.jpg
ナッチャンWorld大分入港・90式戦車九州上陸-2016 / NATCHAN WORLD
https://www.youtube.com/watch?v=fOdfcwQ8aTY
ナッチャンWorld
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3World
昔の都市計画で水路が重視されたのは、やっぱり物資の輸送のためでしょうか。
大量の軍事物資を安全に運べる瀬戸内海を、自在に航行していた水軍が最強に見えるけど。
実際のところはどうなの? REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 マァァァ━━━(゜Д゜;ノ)ノ━━━ジデェェェ!??