本願寺+細川晴国(高国弟)と晴元が争った天文の錯乱というのは複雑な相関関係がありまして
実は三好元長残党は波多野と組んで本願寺・細川晴国陣営に味方していました。
どうやら三好長慶の認識としては父を殺した一向一揆は晴元・木沢に扇動されたもので
本願寺法主は彼らに利用されただけで真の仇敵ではないと認識していたようです。

天文2年に一向宗・法華宗双方に影響力を持つ長慶が仲介した和議が破られたのは
法主の主戦派側近が暴走したもののようですが
再戦当初は本願寺に味方した長慶は木沢の調略に乗り晴元陣営に寝返っています。

三好家の支援を失った本願寺は天文4年に「滅亡」と呼ばれるほどの大敗を喫し
晴国と主戦派を追放することで晴元と和談を結びます。
しかし追放した主戦派と晴国が分派を起こし蜂起してしまいます。
すると長慶は木沢と共に彼らを攻め滅ぼし(法主に代わって分派を粛清し)ています。

長慶と本願寺の関係は複雑怪奇ですが、お互いの利用価値を認め合った法主と長慶は
その後強固な共闘関係となりタッグを組んで勢力を盛り返していきます。