まだ若かった義重が戦略を理解してなかったから
謙信は怒って関東から手を引くと同時に
義昭第一の重臣の六角義堯からの懇望もあって北陸道を西進してるわけだ。
義重は謙信晩年になって北条の脅威に対峙するはめになり
やっと関宿の重要性を理解し結城や宇都宮を通して越山要請しまくり。
義重は北条と地の利を占めて対陣するのがやっとで、
謙信のように北条方の二十数城を焼き討ちしつつ押し通って氏政に肉迫するような突出力はない。