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神様の声が聞こえる人のスレ2

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
1いち
垢版 |
2024/01/20(土) 00:45:02.06ID:bzPOwMqg0
とりあえず立ててみました。
不要なようならスルーで落としてくださーい!
2024/06/02(日) 14:16:25.19ID:a/y/eG570
亡命者は言うまでもなく
交戦している以上降伏者や捕虜は当然発生するだろうから
彼等の証言で「正しい」敵国の情報が伝わっている可能性はあるでしょ
2024/06/02(日) 18:46:43.93ID:jnalMXnDd
どうしても覚えられない場合
自分の声で録音して聞いて
「リズムとして覚える」ことをオススメします
806いち
垢版 |
2024/06/02(日) 19:20:24.15ID:rXMADXAJ0
なるほど!ご助言ありがとうございます!
2024/06/03(月) 00:29:53.18ID:9Mk4oWlW0
正史に従っても、潼関で合流するつもりだったとあるので、
さらに勝算がない事になるんだけど……
2024/06/03(月) 00:30:04.46ID:9Mk4oWlW0
そもそも忠臣=良臣ではないからな

臣下として本当に求められる像は社稷の臣なんだが、
仮に魏延が「劉備個人にのみ忠を尽くす臣」だとするなら、
たとえそれが劉備からみれば忠臣ではあっても、蜀という国家に
とっては害悪にもなりうるわけで
2024/06/03(月) 00:30:22.03ID:9Mk4oWlW0
一般的に魏延といえば=裏切り者、になっていて、
それは違うだろ?と魏延ファンとしては大声で言いたいんです。
で、not裏切り者、に一番近い単語が”忠臣”なだけだと、私は思います。
正直、魏延を語る上で“忠義”が重要な単語とは、私には思えないんです。
劉備も孔明も、そんなものを持ち出す必要が無いほど、魏延を評価し、使ってくれてますから。
2024/06/03(月) 00:30:40.64ID:9Mk4oWlW0
魏延は劉備に対してのみ忠臣、てのを熱心に主張する書き込みがあったけど、
たとえそれを周囲が認めたとして、それがどれほど魏延の名誉回復につながるの?
劉備さえよければ周りに迷惑かけようがどうでもいい魏延、
自分の子供さえよければ周りに迷惑かけようがどうでもいいモンスターペアレントと一緒じゃないか。
2024/06/03(月) 00:31:01.25ID:9Mk4oWlW0
「反逆者」と「モンスターペアレント」では
名誉という点ではかなり違うと思うけどね
(馬鹿という意味ではたいした違いはないが)
812いち
垢版 |
2024/06/10(月) 06:42:40.80ID:2Z+fCppX0
明日御用があって大國魂神社行ってきます。
神様がご祈祷がよろしいとの事なので
ご祈祷でお伺いする予定です。
今回の謁見は私にもかなり関係があるものなので、ちょっとドキドキです
2024/06/10(月) 07:33:45.71ID:P03nFcOz0
最近早朝に日枝神社へ行ってる
街の中にあるせいか通勤前の人や散歩の人が来る
2024/06/10(月) 07:48:46.93ID:9CNps6pJ0
個人的にはそういうの吐き気するけどな、結局それは自己愛だから。
でも日本人はそういうのが好きんなんだよ
「八百屋お七」なんて
恋した相手に会いたいがために放火しようとした
こんな話が美しい悲恋として扱われてるんだからな

劉備を溺愛する「モンスターペアレント」で
劉備以外の他の人間にとっては「反逆者」ってことになってしまうぞ
2024/06/10(月) 07:49:07.81ID:9CNps6pJ0
劉備に対して忠であった、ってのはそもそも演義のエピソードから生まれたイメージだけどな。
2024/06/10(月) 07:50:13.73ID:9CNps6pJ0
陳寿の時点で謀反ではないという考えはあったけどね
2024/06/10(月) 07:50:33.37ID:9CNps6pJ0
今は劉備個人への忠誠心の話をしてるんです
2024/06/10(月) 07:50:51.16ID:9CNps6pJ0
魏延は叛逆の罪で夷三族の刑を受け、蜀漢滅亡まで名誉が回復されることはなかった。
だから陳寿は「あくまで権力争いの末での敗死であり、皇帝・朝廷への叛逆の心があったわけではない(処分は不当に重い)」
と擁護しているのであって、魏延が正しいとか忠誠だとか言っているのではない。
2024/06/10(月) 19:46:35.18ID:nqJknVNdd
天津祝詞のリハーサルをお願いいたします
読めた場所よりも、はるかに読めなかったところが重要です。
2024/06/11(火) 06:51:10.56ID:00UclOU60
ショウエンが楊儀を失脚させて魏延の無念を晴らしたって伝承は有ったよね
2024/06/11(火) 06:51:26.09ID:00UclOU60
陳寿の時点で? あったっけ?
2024/06/11(火) 06:51:42.08ID:00UclOU60
すまん、なんか言葉が抜けてるな。
劉備に対して「だけは」忠であった、だった。

コーエーとかそれ以外の三国志系のファンブックに
襄陽で中から門開けようとしたり、韓玄を斬ったりとか、そこらへんがあるから
劉備にだけ忠義モノ、なんて感じのネタが有ったよなあ、と思い出してた。
2024/06/11(火) 06:51:58.07ID:00UclOU60
魏延の罪を押し付けられて楊儀と諸葛亮はいつも悪者扱い
このふたりに同情するよ
2024/06/11(火) 06:52:37.89ID:00UclOU60
身分の高さとか正当性以前に、嫌われ者の上司には誰もついてこないって事だろ。
そんな魏延をホイホイ出世させた孔明、厄介事は嫌だとへりくだってた周りも責任はあるが、
偉くなればみんなついてくると勘違いし、自重するどころか傲慢に振舞った魏延は、
いい年して大人気ないと思わざるを得ない。しかも戦乱の世で、下が上に取って代わるなんて日常茶飯事なのに。
面識があったかどうかは定かではないが、同じ蜀にいた関羽や張飛の末路をなんとも思わなかったのだろうか。
825いち
垢版 |
2024/06/12(水) 15:08:24.14ID:yRG65Ey60
>>813
日枝神社ですか!
赤坂の日枝神社はとても厳しい神様だから、
相当気合い入れて祈願してこないと
張り倒されそうなくらいの神様だとw
最近行ってないので、張り倒されるの覚悟で参拝いってこようかなあと思います
2024/06/12(水) 15:46:16.18ID:9ROMqtzk0
赤坂日枝神社内神社巫女強姦事件
についてどう思いますか?
2024/06/12(水) 22:39:56.87ID:l19R2Ltv0
史書に無い頭の中で作られたストーリーを当然のように話す魏延オタに何言っても無駄な気がする
まともな魏延ファンにも迷惑だな

ただ、費イはもっと違うやりようがあっただろとは思う
早急に事を運ばなければならなかったから焦ってたのかもしれんが
2024/06/12(水) 22:40:14.04ID:l19R2Ltv0
あいつらは手始めに、コーエーの歴史ゲーとか無双あたりから入った新参者に
三国時代の名前や字(あざな)は…、一騎討ちは…、青龍偃月刀や蛇矛は…、とか
少なくとも間違いではない、当たり障りのない知識をひけらかしておいて信用させて、
そこから魏延にだけ都合のいい嘘や法螺を吹聴するんだよな。それで新参者は
「あれだけ三国志に詳しい人が言ってるんだから正しいんだろう」と鵜呑みにしちゃう。
幸いにも、俺や家族、友人は被害に遭ってないから詳しいやり口はわからんが、
詐欺やペテンと一緒だな。ネットで少し調べる程度ですぐに化けの皮が剥がれる、
騙したところで何のメリットもない、ちょっと考えればデメリットしかない意味不明な詐欺行為だが。
2024/06/12(水) 22:40:40.63ID:l19R2Ltv0
ここで被害妄想を語られても困る。
愚痴りたいだけならよそでやってくれ。
2024/06/12(水) 22:40:54.89ID:l19R2Ltv0
直從褒中出,循秦嶺而東,當子午而北,不過十日可到長安.
だから、子午谷に入って十日とかからず、という意味なんだろうな。
2024/06/12(水) 22:41:35.77ID:l19R2Ltv0
漢中盆地の端から山脈出口までで200キロだろう。隣に出来ている西漢高速を使えば現代なら100キロで済む。
勿論、道は現在よりはるかに悪かっただろうが。
漢中-長安間って直行できるなら意外なほど近いよ。
2024/06/13(木) 00:32:07.07ID:uIEeziCh0
>>825
日枝神社の大山咋神はとても高い感じで、あれこれお願いするにはしますけど、何か世の中の秩序を支配してるイメージがあって調和してるなら願わずとも自ずと上手くいくような感じします
お不動様も行きますけど人によっては怖いらしいです
確かにガーッと来る気がするけど嫌じゃないし長い付き合いなので慣れてるってとこです
833いち
垢版 |
2024/06/13(木) 06:29:42.39ID:0Xz6/ZEB0
>>826
随分前に起こったあれですか。
当時あまりに酷い事件でげんなりしてしまった記憶があります。
どんな神様でも人の性格や人格の歪みは治しようがないと口を揃えておっしゃられますので、
あの神職さんもその手合いかもですよね。
どんな事件が起ころうとも、
個人的には神職に会いに行ってるわけじゃないので。
ただただ神様が尊い神でいらっしゃるだけで足が向きますからノー問題ですw
834いち
垢版 |
2024/06/13(木) 07:07:33.03ID:0Xz6/ZEB0
>>832
やっぱり人によって感じ方って違いますよね(о´∀`о)
個人的に大山咋神様は、
人の願いを決意に、決意を誓いに昇華させ前へ前へと人を前進させてくれる厳しくも心勇む気高い神様ですね。
それゆえにいい加減な方には厳しいイメージがあります。
大山咋神様は日枝神社より松尾神社でお世話になることが多かったのですが、
自分の成長した姿をたまに見せに行ってほめられた日には自分の進む道は間違いではないと、より勇む参拝になってます。
日枝神社はご無沙汰してましたので、
金曜日にでも、赤坂の日枝神社様で
国家祈願してこようと考えてます。
2024/06/13(木) 07:27:13.65ID:DKwoNy4s0
リンク張ったからここから凸した奴がいる、みたいな事言いたいんだろ。
お前の頭もわりと論理的じゃないぜ。
2024/06/13(木) 07:27:30.59ID:DKwoNy4s0
どうでもいいけどここでリンク張られる前のことだぞ
コメントの日付見てみな
2024/06/13(木) 07:28:17.30ID:DKwoNy4s0
魏延アンチなんてものは存在しない
お前は幻を見ているんだ
2024/06/13(木) 07:28:39.08ID:DKwoNy4s0
自分の気に入らないレスをアンチ認定、信者認定することが
くだらないと思ったから書いただけだ
そしたら次はそのレスが同一人物認定されたわけだ
アンチ認定の次は同一人物認定か
ははは・・・・笑い話だね
2024/06/13(木) 07:29:13.77ID:DKwoNy4s0
慎重、堅実、有能の極北であろう諸葛亮が不運のせいで成果を出せなかった以上
大胆、投機的な魏延に一定の支持が集まるのは仕方ないことだね。
だが魏延が司令官として無能なのか有能なのか、
或いは幸運なのか不運なのかが永遠に分からんし結論など出ない
2024/06/13(木) 08:41:09.61ID:VeV4ZSgS0
まさかこのスレで私の深く崇敬する神様の一柱である大山咋神様の御名前が出るとは思いませんでした
私は京都在住ですので、月に一度は松尾大社に参拝させて頂いておりまして、大山咋神様には非常にお世話になっております
精神的に弱っている時や癒やしを求めている時には特に頼らせて頂いております

日吉大社には一度夢でご招待頂いただけで、実際に日枝神社や日吉大社へ参拝させて頂いたことは無いのですが、松尾大社での大山咋神様は非常におおらかで器の大きい神様だと感じます
また、あまり知られていない?かもしれませんが、魔の存在から土地を守る強力な結界を張ることがお得意であるようです
ご祈祷等で事情をお話して厄災避けや魔除けをお願いすると、家や土地に杭をお建てになられ、それによって結界が張られると同時に「ここは大山咋神の守護する土地である」と魔に対して威嚇?警告?する意味もあると感じます

私が崇敬する神仏は魔除けが得意な御方が多いのですが、我が家は主に大山咋神様の結界のお陰様で何度も助けられています
「賀茂の厳神・松尾の猛霊」の名の通りその御力も絶大ですね

ちなみに、大山咋神様のお姿はハッキリと視えます
紅白のお餅と赤い矢を頂いたことがありますが、使い方はわかっていません

いちさんも、京都にお越しの際は是非松尾大社へも足を運んでくださると嬉しいです
長々と失礼しました
2024/06/13(木) 08:54:53.28ID:4DM43L310
>>840
天照大御神様を口汚くののしった文鮮明と、その力を借りることでのし上がってきた安倍晋三や自民党関係者と、縁を持たないほうがいい
https://x.com/9999DEVIL6666/status/1778255220646240347
2024/06/13(木) 09:13:18.76ID:4DM43L310
立正安国論
https://ameblo.jp/nichirendaisyounin-gosyo/entry-10301155342.html?frm=theme
https://pbs.twimg.com/media/GP6WMgcaIAAJ8Er.jpg
教行信証 化巻 105
http://www.yamadera.info/seiten/c/honden6_j.htm
https://pbs.twimg.com/media/F2L-uS6bgAAEKg0.jpg

>>840
ようするに今は、立正安国論でいう「諸天善神が離れてしまっている」状態であり、
教行信証でいう「善竜の力が無くなり、悪竜が力を得ている」状態ということ
なので政治が乱れて、国が沈み続けている

この事実を「無視」すること無く、宗教関係者や団体組織が、政治を立て直さねば、
正しい神様仏様の御力が日本に及ぶ機会はとても少ないと考えられるので、先に政治を正すべき
2024/06/13(木) 11:17:41.26ID:rM4/jE2b0
某自民党政権時代、官邸の要職に就いていたある人物がかつて、官房機密費から拠出される「文化人工作費」
の驚くべき実態を、本サイトの記者に明かしたことがある。

「文化人工作費は官邸(政府)の役に立ちそうな文化人を対象に、広くバラまか
れていました。具体的には、主に政務担当あるいは事務担当の総理秘書官が、文
化人の事務所や自宅などに出向いて、現金で手渡していた。文化人には官邸への
貢献期待度に応じてA、B、Cなどのランクがつけられ、最も高いAランクの文化人
に対しては毎年、盆と暮れに600万円ずつ、年間1200万円の工作費が極秘裡に支
払われていたのです」
2024/06/13(木) 11:19:58.28ID:rM4/jE2b0
官邸機密費による文化人工作費を受け取っていた文化人は、具体的にどこの誰だったのか。

「典型例を挙げれば、著名な政治評論家や政治ジャーナリスト、あるいは民放
キー局の報道系番組などを牛耳る、世論への影響力が大きい司会者といったとこ
ろでしょうか。文化人工作費を初めて受け取った某評論家などは、嬉しさを全開
させて『領収書を書こうか』と言い出しましたが、文化人工作費は機密費から拠
出されていること、したがって証拠を残してはならないことなどを説明して、ク
ギを刺しました」

文化人工作費は国税庁による課税も免除される、完全なヤミ金として処理されてきたとも指摘するのだ。
2024/06/13(木) 12:39:24.05ID:LYCh5n7P0
いやあ、実は日枝神社はあまりにも街の真ん中にあって長い間、関心なかったのです
でも各界の著名人が行くと聞いて自分もと思って行ってみたわけで
そしたらその日の夢で可愛らしい女の子が出てきて「比叡山に行きたい」と言ったのです
遠いなーいつか行くかなあと思い、その女の子はなんとなく猿っぽいし日吉大社のことかなとか考えてみたりです
山奥の神社よりアクセス容易な理由だけで最近通ってる次第です
2024/06/13(木) 22:23:26.27ID:1mdkdgqv0
英雄など現代人のエゴで作り出してかまわないんだよ
軍神魏延!非命の忠臣魏延!ロマンだけが真実だ!!
2024/06/13(木) 22:23:40.99ID:1mdkdgqv0
そうだね
実際それでいいと思うよ
だから魏延は英雄!悲運の忠臣!

でも史実の考察してる時にそんなロマンとか後世の創作とか
持ち出さないでね
ちゃんと区別するべし
2024/06/13(木) 22:23:54.86ID:1mdkdgqv0
子午谷は全長約420kmと言われている
これを十日で越えるのは厳しいものがあるが
子午谷を巨視的に計測すると150km程しかない
この違いは何かと考えると傾斜に秘密がある
傾斜がある分距離が伸びるのだがそれでも数㎞も足せば充分だろう

260~270kmも差があるのは子午谷が道路だからだろう
則ち牛馬や車も通れるように出来ているということ
牛馬や車を通す為には傾斜が緩くなければならない

最近の大きな建造物には大抵車椅子用のスロープが付いている
車椅子やカートがある高さを登るには、歩行者の十倍近い距離が必要
階段だとほんの四、五段なのにスロープだと8~10mくらい行かねばならない

これを山に置き換えると人間なら傾斜を数m登るだけなのに
牛馬や車なら数十mを要するという事になるだろう
逆の方がいいかな
牛馬や車が傾斜を登るのに数十mを要するところを
徒歩ならば数mで行けるという事になるだろう

魏延は荷を人が背負って行くと言った
牛馬や車の為の子午道を使わず、徒歩で進行可能な最短距離を行くはずだ

これで日数の問題は片付くだろう
2024/06/13(木) 22:24:09.29ID:1mdkdgqv0
魏延の長安急襲案

精鋭5千と兵糧を背負った輜重兵5千で褒中へ進み、
秦嶺山脈に沿って東へ行き、子午道に当たって北上し、
十日とかからず長安へ至る。
長安を治める夏侯楙は必ず船に乗って逃げ出す。
諸葛亮は斜谷(褒斜道)から来て長安の東の潼関で魏延と合流する。


上手く行った可能性は結構ある。
2024/06/13(木) 22:24:25.25ID:1mdkdgqv0
先鋒を1万とする総勢6万の諸葛亮率いる蜀軍が褒斜道へ向けて進軍を開始する。
その報は密偵により長安に届く。長安の雍州軍は褒斜道の出口へ向かい蜀軍の到来を待つ。
先鋒1万を率いる魏延は褒斜道の入り口まで来ると、輜重車を捨てて兵糧を背負い
褒斜道へは入らず、密かに山脈に沿って東へ走る。子午道の途中に行き当たり、
そこから子午道を行く。諸葛亮の本隊5万はそのまま褒斜道を進む。
褒斜道出口の魏軍は数万の蜀軍がやって来るのを見る。

褒斜道出口で魏軍と蜀軍は対峙する。
魏軍は蜀軍の先鋒が消えたことに気付かない。
魏延は子午道をひた走り、長安の南50㎞にある子午道出口から出る。
子午道を出た魏延は行軍中に兵糧を消費して身軽になった輜重兵2千ほどを方々に放って
火を掛けて回らせ、自分は精鋭5千と輜重の3千を率いて一気に長安を目指す。
長安の夏侯楙は南方の空が焼け幾つもの煙が立ち上っているのを見て蜀軍の到来を予感する。
そこへ蜀軍が南に突如現れたという報が飛び込んでくる。
南の方々から煙が上がっている状況なので総合的に判断して相当な大軍である模様。
異変が起きて二日と経っておらず長安は事態を正確に把握することが出来ない。
そこへ8千ほどの蜀軍がすぐそこまでやって来ているとの報が入る。
長安の軍は褒斜道へ向かってもういない。
その魏軍が一体どうなったのか、長安はわからない。
蜀の大軍が長安に迫ったということは、既に敗けたのか、どうなのか、わからない。
知りたくても今すぐ確かめるのは不可能。
はっきりしているのは今こうして蜀の大軍が現れ、すぐそこまで迫っているという事。
そして長安にはそれを防げるだけの兵が残っていないという事。
余程肚が座ってないと逃げるだろう。
こうして長安は陥落する。
2024/06/14(金) 00:46:04.15ID:wmTf65q70
もうすぐ終了です      
https://i.imgur.com/uQ0S2qQ.jpg
2024/06/14(金) 08:57:15.10ID:I1jruebz0
>>851
楽々で良いな
853いち
垢版 |
2024/06/15(土) 18:16:59.22ID:GMtgVrEA0
>>840
貴方様は大山咋神様の崇敬者だったのですね!
凄くよくわかります。
とても素敵な神様ですから。
氷川神社に参拝した時いつもとはいえないですが、
松尾神社にはよく参拝させていただいてます。
私が大山咋神様が厳しい神様と申したのには理由があり、
10数年前初めて日枝神社に参拝した夜、大山咋神様が家にいらして、とても叱られたのです。
その夜ほんとに心から自分が嫌になり
根本から自分を変えようと決意し、
松尾神社で、その決意表明をすべく、松尾神社が敷地内にある大宮氷川神社に出向いたのですよ。
大山咋神様は私が変わるきっかけをくださった厳しくも優しい神様でした。
参拝する度に優しい言葉をかけてくださり、
松尾神社にとても癒されてました。
神様に私は魔よけは控えたほうがいい人だからといわれてるので、
魔よけの祈願はできませんが、なんとも心強い神様です。
854いち
垢版 |
2024/06/15(土) 18:32:45.57ID:GMtgVrEA0
昨日予定通り、赤坂の日枝神社に参拝しにいき、
10数年前のお詫びとお礼の言葉を伝えにいきました。
そして現在進行形で語り尽くせないほどのせ神秘を経験してるが故、
どう生き、どの道を進めばよいか、迷走していることを相談しました。
そしてひとつの道をさずけて頂きました。
「あなたは惟神の道を進みなさい」
と。
惟神の道を進むのは容易なことではないですが、
地道な努力と根気と忍耐力で、1歩1歩前進していこと思っております。
京都に行くことがあったら、松尾大社絶対にいきます。
その日まで惟神の道真っ直ぐ進んでいきますね!
2024/06/16(日) 08:44:07.03ID:86Y0nfQB0
一方、褒斜道出口の魏軍。
120㎞離れている東の空が焼けているのは見えるのか、分からないが、
ずっと平野であるし昔の夜は暗いので見えるかも知れない。
褒斜道出口にいる魏軍の兵士の多くは長安周辺に家がある。家族もいるはずだ。
長安の空が焼けていたら激しく動揺するだろう。
空が焼けているのが見えるとしても見えないとしても
数日の内に長安が落ちた知らせが届く。
諸葛亮軍が魏軍の動揺を突いて攻めかかる。魏軍をあっさり破ることが出来るだろう。
長安が既に落ちていることもあって、これで数万の捕虜・降伏者を得ることが出来る。
騎兵で2つの部隊を作り魏延の後を追わせる。
無論諸葛亮も東へ急ぐ。
漢中に使いを出し、漢中に残っている兵の半分で関山道を進ませ
武都・隴右を平定して行かせる。


長安を落とした魏延は千人で西の城門を守り、軍を4千5百人ずつの二隊に分け
潼関・武関を抑えに向かう。(魏略では潼関しか書かれてないが気にしない)
内地なので敵兵は殆どいない。
潼関・武関を落とした頃、騎兵が追いつき、兵力はそれぞれ7~8千にはなっている。
これで魏軍が押し寄せても、守りに徹すれば本格的な援軍(蜀軍)が来るまでもつだろう。
2024/06/16(日) 08:45:00.18ID:86Y0nfQB0
関に2万も置いて守りに徹すれば敵が6万でも多分落ちない。

東西南北四方に城壁をもつ普通の城を二万の兵で守るとする。
それを六万の敵が囲む。城壁一辺あたり 防衛側5千人、攻撃側1万5千人。
関所の城壁は一辺(単純計算上で)。
一辺を2万の兵が守る。この数字は普通の城の8万人に相当する。
攻撃側の数字も一辺に集中するので、普通の城攻めの24万人に相当する。
がしかし6万人が一斉に関所に攻めかかることは出来ないだろうから
戦闘参加可能員数の上限に引っかかり、過剰分は実効戦力外として数字の上では切り捨てられる。
仮に城壁の長さを1㎞とすると、
攻撃側が10mあたり100人で攻めると1万人。
防衛側が1mあたり6人で守ると6千人。
城攻めの比率としては城を落とすのが無理な数字。
実際は潼関・武関の横を川が流れているので
この通りには行かないが、基調とはなる。
2024/06/16(日) 08:45:22.04ID:86Y0nfQB0
洛陽から潼関へ、とは来ず
北から迂回して攻めて来られるとどう防ぐか

三輔と河東郡は黄河で隔てられている。
河幅はかなり広く、渡河するには船が必要。
兵1万が黄河を渡るには、20人乗りの船だと500艘
30人乗りの船だと340艘必要。
黄河上流でそれだけの船を調達するのは難しいのではないか。
それに一万程度では戦にならない。
河岸で待ち受け逐次撃滅すればいい。

潼関・武関に2万ずつで4万
黄河に4万
控えに3万

計11万だが、涼・雍併せれば何とかならない数字ではない。

これは潼関に6万、武関に6万、黄河に7万
魏軍総勢19万が一斉に攻めてきた場合の数字で、
いくら魏でも「急襲」による長安陥落という突然起きた事態に
ここまで大規模に即応できるとは思えない。特に黄河方面。
よって蜀には魏が大規模な攻勢を掛けてくるまでに
涼・雍を懐柔できるだけの時間はあると考える。

長安を取ることは可能。
2024/06/16(日) 08:45:41.28ID:86Y0nfQB0
整理

魏延がフェイント、魏が引っかかる
諸葛亮が褒斜道で陽動して魏の雍州軍団を引き付ける
魏延が子午道を速攻で駆け上がり夏侯楙を威圧して逃亡させ、がら空きの長安を占領
諸葛亮と対峙してる雍州軍団は後背地の失陥に動揺してあっさり崩壊。
漢中から部隊を派遣して隴・涼制圧。
魏延は4~5千づつの2部隊で潼関、武関を押さえる。
諸葛亮の援軍の騎兵と合わせて7~8千で奮戦し、本隊からの更なる援軍を待つ。
北側を迂回されたるケースもあるだろうが、船を調達出来ないだろうし、水際で撃滅する。
潼関、武関に2万ずつ、黄河に4万、予備に3万を配備できる態勢にすればひとまず磐石。
魏は大規模な動員を掛ける前に蜀に関中以西を掌握される。
2024/06/16(日) 08:45:56.67ID:86Y0nfQB0
だが、どのタイミングでも所詮ダメだったかといえば、そうは思わない。

227年 諸葛亮らは軍を率いて漢中に移り、沔陽に屯した。
3月に劉禅が詔を下しているのでその前後と思われる。
沔陽に屯するまでは南鄭に居た。(多分)
魏延の提案は南鄭でなされたことなので、
長安奇襲が提案されたのは227年3月頃のことだと考えられる。
この頃司馬懿はまだ宛には居らず、孟達もまだ生きている。

魏略には「劉備の死後、蜀に人はなく備えをしていなかった」と書かれてあるが
同じ魏略の、長安に行幸した曹叡が第一次北伐終結後に出した布告文に
高定の名が出ており、曹叡が蜀の辺鄙な所の異民族の酋長の名まで知っていたことが
明らかになっている。
諸葛亮が出陣して沔陽に屯していることを魏が知らなかったとは考えられない。
敵国が軍を出し、攻め込まんと駐屯しているのに備えをしないわけはない。
第一次での魏の対応の早さはこれに由ると思われる。
2024/06/16(日) 19:27:14.35ID:UncD7f7M0
>>854
御心の込もったご返信ありがとうございます
私は大山咋神様のみを崇敬している訳でも大山咋神様を中心に崇敬している訳でもありませんし、崇敬する神仏への想いに優劣を付けるのは大変失礼だと頭では理解しているのですが、自分の心に正直に言うと大山咋神様は間違いなく私にとって特に大切な神様の一柱です
大山咋神様が居なければ、私の心の器は今よりもっと小さく脆いものだったでしょう

いちさんは松尾神社へよくお参りされるのですね
大山咋神様に変わるキッカケを頂いたとのこと、非常に有難いですね
神様に照らし導いて頂いた道を、一生懸命に歩まれる姿はとても尊いですね
いちさんに御縁のある御神仏や御眷属様達は時折さり気なく手助けをしてくださりつつも、温かくお見守りくださっていると思います

いちさんは魔除けの祈願をしないほうが良いと言われているのですね
人それぞれ様々な事情があるものですね
心が乱れたり、大変な事もあると思いますが、そんな時こそ、神様に祈り、自分と向き合い、心を落ち着かせる事が大事だということを忘れないようにしたいですね

真の祈りとは神仏と自分自身が一体となる、この上なく神聖で尊い行いであると思います
いちさんや私達、総ての神仏の崇敬者達がそのような祈りの極地に到達できるように、未熟な私ではありますが、心から祈ります

お互いに己の道を一歩一歩着実に誠実に進んでいきましょうね
いちさんが京都に来られた際は、また色々なお話をお聞かせ頂けると嬉しいです

いつもありがとうございます
2024/06/16(日) 21:40:53.74ID:KbCsbYiZ0
第二次での魏の対応はと言えば、諸葛亮が陳倉を囲んで20余日たっても
中央軍はまだ来ていない。
囲んだ場所を長安に移して考えれば、約180㎞洛陽に近づく事になるので
洛陽からの中央軍が長安に到達するのは[20余日+α]-[180kmの行軍日数]日となる。
これが長安陥落から中央軍がやって来るまでの日数となる。
20日という魏延の予想は妥当と言える。
長安-潼関 間が150kmあるので魏延と魏軍が同じ速度で移動したとすると
長安-潼関を4日で移動すると魏延が潼関を落としてから魏軍が来るまで12日。
5日で移動するなら10日。もし3日で移動するなら14日。となる。
荊州方面は武関まで行かなくても途中の丹鳳関でいいかも知れない。
更に孟達を寝返らせれば魏興・荊州を牽制できる。

この通りに進めば、三輔・涼州を策源と出来るし、益州からの輸送も余裕を持って行えるので
兵站の心配は消える。

ただし、これが上手く行きそうなのは沔陽に屯して時間を費やす前まで。

それに諸葛亮の言うようにリスクが高い。
もし子午道出口に敵が居て塞がれていればそれで終わり。
魏延軍一万は食糧不足により全滅しかねない。
それに褒斜道の諸葛亮軍はほぼ無策で出征していることになる。
従って魏延が失敗すれば諸葛亮軍も撤退しなければならない。
撤退時に敵の追撃を受けて大被害を出す危険性もある。
おいそれと秦嶺越えての遠征は出来るもんじゃない。

それに諸葛亮は駐屯地の沔陽で充分な軍事訓練を施して北伐に向かっただろうから
この選択なら史実のような蜀軍の練度の高さは無いことになる。
2024/06/16(日) 21:41:12.03ID:KbCsbYiZ0
諸葛亮が却下した一番の理由はおそらく『正義』ではないかと思う。
蜀は蜀国でもなければ蜀漢国でもなく、“漢”国。
蜀の勢力が帝国となって、初めての魏との戦争。
漢にとって魏は「賊」で、蜀は「正義の国」ということになる。
正当な帝国の正義の軍が、奇襲でいきなり快進撃っていうのは格好悪すぎる。
奇襲というのは弱くて卑怯な者のすることだ。
強い者は堂々と正面から当たる。強い者は強いのだからそれで勝てる。
奇襲で長安取るのと、正攻法で堂々と長安取るの
成功したらどっちの方が格好いいか、
どちらの方が他国の漢臣の評価を得られるか、
後者だろう。もしかしたらその後彼らの支持を得られるかもしれない。

正攻法で勝つ自信が有るなら正攻法で行ったが上策。
2024/06/16(日) 21:41:37.10ID:KbCsbYiZ0
今の軍隊や特殊部隊とかでは、20~30kgの装備を背負って荒地を行軍する
ぐらいの訓練はやってるんだろうけど、当時はどうだったのか。
それぐらい出来て当然だったのか、ほんの一握りの精鋭だったのか。
前者ならば話はわかるが、後者ならば、そんな精鋭を五千だ一万だと
簡単に育てられるものなのか。
あと長安の設備とか人数とか全然書かれてないんだけど、
指揮官はボンクラ、兵士達は軟弱者、城壁はボロボロ、
武器防具は竹槍に普段着のみ、だったりするのか?
2024/06/16(日) 21:41:53.81ID:KbCsbYiZ0
昔の人は現代人と違って乗り物に乗らないから健脚ぶりは相当だろう

江戸時代、町民は普通に一日に10㎞歩いたらしいし
旅人は40~80km歩き
飛脚は160~200km走り
大名行列は32~45km進んだ
マサイの男は狩りの為に日に100km歩くという

こんな健脚が標準の時代の中で体力に優れた精鋭と物を運び慣れた輜重兵だから無理でないでないの
2024/06/16(日) 21:42:16.23ID:KbCsbYiZ0
走る? いつから走る事のになったの?
2024/06/16(日) 22:00:46.34ID:Q7Tq49B50
黒龍神社に行くと生命力に溢れて若返る
2024/06/17(月) 11:37:10.00ID:TbladKCR0
>>851
情報提供ありがとう
 
868いち
垢版 |
2024/06/17(月) 17:49:59.73ID:Wxh7GlHw0
>>860
こちらこそいつもありがとうございます。
真なる祈りが神と人をひとつにし、身と魂を命にする。
私もこの間大國魂神社にご祈祷に行った時、
いばらのさき様にいわれました。
僕と私は2人でひとつの人間だよと。
前にも少し話しましたが、
私にとっていばらのさき様は特別な神様なので、このお言葉は、大変心温まり嬉しゅうございました。
神の幸魂と一体になる、とても恐れ多いことですが、
それゆえ、より心正しく、愛と誠を心に宿した人間であるよう心掛けないといけないのも確かです。
神と共に生きるのは神さながらに生きる道、
神の背中から、神の生き方と誠を学び、
一つの道筋を見出し、自分探しの道のりの中で、己を生かす自分だけの誠を見つける旅。
気が遠くなるほどの時間と努力と忍耐の連続でしょうね。
その人生の旅路の中で、唯一無二を見つけ出した時、
須佐之男様にもちょっぴりくらいは認めてもらえるでしょうかw
1人前になるまで須佐之男様にはお会いできません。
沢山の神様の背中を追い学ぶ道のりの始まりです。
私は私の貴方は貴方の信じる道をいきましょう。
これからもどうぞよろしくお願い致します(о´∀`о)
869いち
垢版 |
2024/06/17(月) 18:34:12.86ID:Wxh7GlHw0
>>866
確かにそんな感じですよね。
お恥ずかしながら黒龍神社を知らなかったので、サイトを覗いたのですが、
なんとも神秘的なお力溢れるお社でした。
なかなか行ける距離では無いので、
行くのは難しそうですが、
大いなるご神徳の尊さとお陰の気持ちは忘れないでいたいです。
2024/06/18(火) 04:10:58.94ID:ZcTQpf2N0
天津祝詞は暗記できましたか?
2024/06/18(火) 07:51:02.26ID:uhzRwbx20
魏延スレにしては珍しく立派な議論してたらしいけど、放置されて5ヶ月以上経ってるのか。
その間に、魏延オタクは性懲りもなく論拠のない魏延マンセー、孔明や楊儀への誹謗中傷を繰り返してるようだが。
やっぱり魏延オタクにはまともに議論をする知性はないようだな。もっともここでの議論が立派っていうより、
魏延オタクの妄言があまりに低レベルで、それと比較して立派に見えるってだけなのかもしれないけど。
魏延ファンにもまともなのはいるのはわかったけど、それでもほとんどはキチガイだし、腐乱死体が一万円札握ってても
取りに行きたくないって感じだよな。極々少数のまともな魏延ファンもそうだが、キチガイ共にマンセーされ続け、
結果印象が悪くなってる魏延本人も何か気の毒になってくるよ。
2024/06/18(火) 07:51:19.94ID:uhzRwbx20
魏延では・・・無理だよ
2024/06/18(火) 07:51:37.94ID:uhzRwbx20
戦略的にはそのとおりだな。
成功するとすれば劉備本人か,せいぜい諸葛亮までだろう。
(魏延に一武将以上の立場を求めることが間違いだ。)
2024/06/18(火) 07:51:56.49ID:uhzRwbx20
魏延の様な実力があれば
ああいう人生もありだわ。
所詮うちらは雑兵レベル。
2024/06/18(火) 07:52:09.89ID:uhzRwbx20
魏延のような人生って言われてもねえ。
手柄を立てて出世したはいいが、偉いくせにトラブル起こしてそれを他人に尻拭いさせ、
ろくな大義名分も下準備もなく反乱起こして、誰にも相手にされず兵士にも
「魏延様は間違ってる」と逃げられ、関わりのないはずの三族まで死に追いやる。
自分を褒めてくれるのは、約1800年後の魏延の都合のいいようにしか考えられない馬鹿ばかり。
とてもじゃないが、ありとは思えないねw
876いち
垢版 |
2024/06/18(火) 09:46:09.18ID:8ubDuKN30
>>870
それがまだですw
まだなんとも情けない祝詞なのは
言うまでもないですww
2024/06/18(火) 10:52:19.72ID:ZcTQpf2N0
もう時間がない、
「高天原」
「つくしのひむか」
「もろもろのまがごと」
「天津神、国津神」
「あめのふちごま」
これを順番として覚えて、
歌として覚えて欲しい
878いち
垢版 |
2024/06/18(火) 12:22:40.87ID:8ubDuKN30
>>877
どなたか存じ上げませんが、ありがとうございます。
天津祝詞を奏られるのは
伊邪那岐様に罪穢れがない清らかな者で
なければいけない故、
もうしばらくおまちください
2024/06/18(火) 18:40:11.52ID:ZcTQpf2N0
「あまのふちごま」という単語でした
リズムで覚えてるとそういった勘違いが出るので気をつけてください
2024/06/18(火) 19:16:19.11ID:uhzRwbx20
孔明と魏延は対立していない、というか誰も魏延を支持してないから対立ですらないと言うか…。
魏延が孔明を臆病者呼ばわりしたところも、魏延の小物っぽさが滲み出てるしなw
魏延の末路も書かれたような自業自得の域を出ないし、相変わらず孔明がどうのと、
魏延の無能を棚に上げて責任転嫁する下品な理屈はいつまで経っても変わらないなw
2024/06/18(火) 19:16:34.82ID:uhzRwbx20
雑談板に立つ三国志スレって正史ガー演義ガーとうるさい奴が必ず湧くのに魏延絡みだと有能描写は正史準拠、イジメられ描写は演義準拠で話が進むから笑える
2024/06/18(火) 19:16:46.70ID:uhzRwbx20
有能描写も演義準拠に話してると思う
正史だと功績の記述が少なくわりと地味だけど演義は大活躍してるし
あと魏延オタは忠臣忠臣うるさいけど忠臣描写も演義にしかない(劉備を救ってその後諸葛亮に理不尽に殺されそうになり劉備に止められる、など)

他の武将文官に対しては正史ー正史ーってうるさいのに魏延だけ何故か演義準拠で話して
悲劇の名将だのなんだのと持ち上げてる
2024/06/18(火) 19:17:08.01ID:uhzRwbx20
ネットの魏延絡みはネット層特有の自己投影的な変な空気を感じる(これは劉禅絡みにも言える)
劉備の漢中太守抜擢とそれに対する抱負一つで魏延は劉備に対しては忠義という物語が出来るんだからすげーわ
俺はあのエピソードにこの二人の強い結びつきみたいな心情的な浪花節はあんまり感じなかったけどね
2024/06/18(火) 19:17:23.74ID:uhzRwbx20
正史とか演義とか以前に、魏延に都合のいいこと基準だろw このスレ建てられて7年近く経つけど、
擁護というかマンセーの理屈が妄想やダブスタや責任転嫁ばっかりで、何にも進歩がなくて草生える。
ネットである程度の知識が簡単に手に入る現代で、こんなんじゃ1000年経っても魏延の評価なんて上がらない。
2024/06/18(火) 19:23:16.77ID:ZcTQpf2N0
「あめのふちこま」、高天原にいるという馬だそうです
2024/06/18(火) 19:28:54.20ID:qFYnYNCQ0
常世長鳴鳥
https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B8%E4%B8%96%E9%95%B7%E9%B3%B4%E9%B3%A5-1378645
鳥啼歌
https://www.worldfolksong.com/songbook/japan/torinaku.html

鳥啼歌を平仮名に変換
とりなくこゑす ゆめさませ みよあけわたる ひんがしを そらいろはえて おきつへに ほふねむれゐぬ もやのうち

鳥啼歌を357に区切って逆読み
ちうの やもぬゐれ むねふほにへつ きおて えはろいら そをしがんひる たわけ あよみせま さめゆすゑこく なりと

後半に倒語が隠れている
そをしがんひる たわけ あよみせま さめゆすゑこく なりと

そを此岸ひる たわけ あよ見せま 覚めゆ末国 なりと
2024/06/18(火) 19:30:00.75ID:ZcTQpf2N0
修正します
「高天原」
「つくしのひむか」
「もろもろのまがごと」
「天津神、国津神」
「あまのふちこま」
この順番で覚えて欲しい
2024/06/18(火) 19:30:05.15ID:qFYnYNCQ0
日本書紀 巻第三 橿原即位
http://kodainippon.com/2019/07/27/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E8%A8%B3%E3%80%8C%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B7%BB%EF%BC%9A%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%8D%E7%A5%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC/#toc8
https://pbs.twimg.com/media/GJOppOTbsAAG-GB.jpg
2024/06/18(火) 19:40:12.04ID:qFYnYNCQ0
日月神示
https://hifumi.tomosu.link/all.html#13

夜明けの巻第十二巻第十三帖に記されている、鳥啼歌の替え歌
「鳥鳴く声す 夢さませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ靄(もや)の裡(うち)。」

日月神示の鳥啼歌を逆読みして三五七で区切った文章
ちうの やもふかき ゐねふちにへつ きおて れはろいら そをしかむひる たわけ あよみせま さめゆすゑこく なりと
2024/06/18(火) 19:45:53.37ID:qFYnYNCQ0
>>885
1903年に発表された「鳥啼歌」と、日月神示に記されている「鳥啼歌」には、わずかに変化があります。
そしてその「倒語(逆読み)」では、日月神示の鳥啼歌には「ふち」という言葉が浮かび上がることになっている
調べてみてください
2024/06/18(火) 20:00:26.08ID:qFYnYNCQ0
>>887
一応、私の個人的なことを書き込んでおきますが、私は個人的に神道について調べており、
日本書紀の記述通りに「倒語や暗号を公開することで」現代日本を覆っている様々な災いを払うため、自発的に取り組んでいるだけの者です。

今回の私の書き込みが、あなたにとって混乱を生むようなことがあるならば、それは本意ではありません
どうか出過ぎた書き込みをお許しください
2024/06/18(火) 20:12:09.88ID:qHjqsdn90
>>866
本当に凄いですね
偶然なのか?急に黒龍神社の名が出てきて驚きました
私の信仰の中心となる神様が高龗神様です
黒龍神社へは参拝した事がありませんが、いつか参拝させて頂きたいなとは思っています
最近、知人との会話でも黒龍神社の名が出てきたり、気になっていたところです
893いち
垢版 |
2024/06/18(火) 20:40:18.06ID:8ubDuKN30
皆さん色々レスありがとうございます。
実はこれから仕事があるため
すぐには返信できないのです。
帰宅するまでしばしおまちくださいね!
2024/06/18(火) 21:58:09.33ID:uhzRwbx20
魏延てそんなに嫌われるイメージあるかな?
オレも横山三国志と吉川三国志ぐらいしか読んでないけど、最後の最後で仲間割れしたぐらいで
別に蜀を乗っ取って劉禅から帝位を奪うつもりでもなかったろうし、要は楊儀と派閥争いに不運に
も敗れてしまったぐらいの感じかな。
蜀(劉備勢力)を裏切った武将は他にもいるけど、魏延はその中では一番蜀のために活躍したシーン
も多く描かれてるし、それまでのプラスの貯金で最後のマイナス差し引いても、まだ充分プラスのイメージがあるな。
むしろ楊儀のほうが陰険な小物っぽいイメージがある。
2024/06/18(火) 21:58:21.10ID:uhzRwbx20
嫌われてないけど「○○のせいで汚名をかぶり嫌われた悲劇の名将」
ということにしておいたほうが○○を叩くのに都合がいいからそうしてるだけ
魏延オタが暴れて諸葛亮をはじめいろんなもの叩きまくったせいで反感買ってそのせいで嫌う奴もいるっちゃいるが

横山と吉川は演義準拠の話なので魏延は正史に比べると良く描かれてるから
悪い印象持たないのは普通だと思う
正史は反乱のところはそのままで、諸葛亮のイジメも無くむしろ優遇され魏延が劉エンと問題を起した時も諸葛亮にかばわれ、
活躍も諸葛亮の下で動いていた時しか記述が無い。演義の魏延が王双を討ったという記述も無い。
ただ、劉備や諸葛亮からの評価はとても高いので、将として有能であることは間違いないと思う。
2024/06/18(火) 21:58:39.55ID:uhzRwbx20
そうかなあ?劉備が総大将で孔明がいない益州攻めでも命令違反して、黄忠やホウ統に
「魏延は命令違反したから処刑したほうがいい」と言われてるし、北伐で陳式とグルになって
孔明を馬鹿にしながら命令違反したら、魏軍にフルボッコされて陳式と責任のなすり付けあいしたり、
孔明死後反乱起こして橋を焼く嫌がらせをしても姜維に看破されたら「魏に降っちゃおうか」とヘタレるし、
とても良く描かれてるとは思えないな。まあ孔明の魏延に対する扱いも問題はあるけど
せいぜいどっちもどっちで、悲劇だの忠臣だのといった歯の浮くような言葉で飾られる男じゃないよなw
2024/06/18(火) 21:59:24.87ID:uhzRwbx20
魏延は孔明が生きてるときは、不満をいいつつも、ちゃんと職務を遂行してた。
魏延はなんだかんだいって、自分より偉い人のいうことはきくタイプだと思う。
孔明死後は、偉い人がいなくなったから、ギクシャクしてしまった。
まあ、蜀の国力、人材不足が原因だね。
2024/06/18(火) 21:59:37.74ID:uhzRwbx20
少なくとも劉備が最前線である漢中を任せた時点で,
劉備が信頼していたことを疑う理由はないだろう。

そして諸葛亮にとっても,その魏延に漢中を任せたまま南征を行ったのだから,
それなりに信用していたと言って良い。

両者が対立するようになったのは,あくまでも北伐開始以後の話。
2024/06/18(火) 22:07:09.60ID:zh6aUuHX0
ひふみ祝詞全部覚えてます
2024/06/18(火) 22:18:15.15ID:zh6aUuHX0
黒龍神社の参拝後には自然の木々や草花、山や空の雲全てが生命に溢れて見える
木々が語りかけてくる
そして帰り路に過ぎてゆく街々の家々に人々の生活と人生があり、それをなんとも言えない思いで見つめる
体の疲れが消えて躍動し、「青春」という文字が参拝のたびに脳裏に浮かぶ
2024/06/18(火) 22:20:38.16ID:zh6aUuHX0
龍神が掴む玉が自分の魂かのように光って見える
2024/06/19(水) 21:33:15.54ID:7tJQmkFD0
両者が対立していたというのはあなたの脳内だけの話なのではないでしょうか
2024/06/19(水) 21:33:31.03ID:7tJQmkFD0
魏延と諸葛亮は,少なくとも北伐の方針で対立しています。
もっとも,魏延は文句を言うだけで,諸葛亮の決定には逆らいませんでした。

これが諸葛亮の死後に魏延が孤立し敗死するほどの対立だったかまではわかりませんが。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。