【闖王】 李自成 【英雄? 逆賊?】
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李自成(1606 - 1645年)は、明朝を滅ぼした農民反乱の指導者。延安府米脂県出身。
清朝は、李自成によって死に追い込まれた明朝の崇禎帝の仇を取るという名目で中国の支配を正当化したため、清代を
通じて李自成は逆賊とされて貶められた。
一方、共産党政権以後は、毛沢東が李自成の反乱を起義軍と見なしたことから、再評価されるようになっている。
果たして李自成は英雄なのか? それとも逆賊なのだろうか? 謝謝 (シエシエ)= ありがとう
李自成 = リジセイ
明 = ミン
我是中國人,對英語很熟練,但是日語基本上不會,中文不懂得全來問我
中國人が僕、英語を上手します、残念ですが日本語を全然入りません。だが、
漢語の達人です
李自成側の立場に立つと
明そのものが異民族王朝の元を北に追いやって出来た王朝だしさ
呉三桂が李自成に降るのを潔しとしないにしても、まさか山海関を開いてまで
異民族に積極的に協力するとは想像の範囲外だったんだろうな
最悪でも後金に亡命とかそのレベルだろうと
満州蒙古を押さえある程度明の遺臣(漢民族知識人)が流入した女真王朝と
中国大陸を支配する順王朝の並立状態は歴史のifとして興味がある
並立すれば軍事的緊張は続くので17〜18世紀のアジア的停滞をむさぼったまま
欧州の産業革命の荒波に翻弄される事もなかっただろうし、女真王朝は満州の
開発しつつアムール川流域で露西亜とぶつかっていたかもしれない ただ、李自成の政権はあまりに基盤が弱いな。
明の残党勢力は残っていただろうし、
並立しての存続は難しい。 李自成自体があっさりと南明政権に帰順して、王に封じられる展開だってあるかもよ。 李定国は忠臣みたいになっているけど、
元をたどれば、張献忠の配下にいた人なんだよね。 逆賊か英雄かは、立場で違うだろ、勝てば官軍、負ければ賊軍 >>68
そのような説が現在のところ有力だったと思う。
李自成の偽名が幾つかあって、岩と音が同じ字があったはず。
李自成の評価に関しては時代によってまちまちかなぁ。 中国・明末期の農民反乱指導者だった李自成(1606−1645)は悲運の皇帝だった。明を滅
ぼし、大順国を築いた皇帝として即位したが、北京城入城からわずか40日で清の軍に敗れ、天下を
明け渡したからだ。興味深いのは、李自成の短命の原因として‘餃子’の話があることだ。
中国では肉を入れずに蒸したモチを饅頭といい、韓国で普通‘マンドゥ’と呼ばれる、細長くて肉
が入ったものは餃子という。餃子の発音は‘交子’(子供を授かる)と同じため、餃子は昔から縁起
の良い食べ物と考えられてきた。交には‘長く続く’‘永遠に’という意味が込められているからだ。
このため歴代の中国皇帝は王朝と社稷が永続することを祈願し、正月の春節にだけ餃子を食べた。
ところが李自成はこの不文律を破り、即位後、毎日のように餃子を食べていたということだ。 このた
め吉兆が落ち、王朝が長く続かなかったという面白い説明だ。
餃子の歴史は長い。 紀元前6世紀ごろの中国春秋時代の遺跡からも、餃子を食べていたことを裏付
けるものが見つかっている。 餃子はもともと中国の北方・華北の料理だ。 点心の一つである蒸し餃
子を食べるのは香港など華南地方。 一方、日本では‘餃子’と書き、‘ギョーザ’と読む。中国山東省の訛りである‘ギャオズ’に由
来するという説と、韓国の‘交子(ギョジャ)’(交子床=長方形の食膳)の音がそのまま入ってき
たという説がある。 それはともかく、日本人の食生活で餃子は絶対的な存在だ。家庭や中国料理店だ
けでなく、居酒屋・ラーメン店・コンビニエンスストアでも欠かせないメニューになっている。日本
式の餃子は蒸した後、下の面だけをよく焼いた、皮の柔らかい焼き餃子だ。
現在、中国製餃子を輸入して食べた日本人1000人余が吐き気や腹痛を訴え、日本全国が大騒ぎ
になっている。一部の餃子からは殺虫剤成分が多量に検出された。 偶然なのか、問題の餃子が製造さ
れたのは餃子が生まれた華北の河北省だ。蒸し餃子を好むこの地方では昔から「焼き餃子はもともと
食べ残った餃子を集めて焼いて食べるもの」といわれてきた。このように餃子の‘格’までこだわる
元祖としては、今回の事件が中国の責任と確認された場合、自尊心が傷つくことになる。もちろん
‘中国国内の製造過程で瑕疵はなかった’というのが公式立場だ。自尊心も、蒸し餃子も、焼き餃子
も何でもよいが、ただ安全でさえあってほしいというのが率直な望みだ。
中央日報<【噴水台】餃子>
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=95723&servcode=100§code=120 >>68
李自成と李岸は元々一人の人間だったんだ
でも李自成が王になるために追い出した善の心が李岸になってしまった >>105-106
中国では、李自成のような自称に近い皇帝は、
皇帝としてはあまり認められていないんじゃないかな。 碧血剣age。
勝てば官軍、負ければ賊軍のちょうど境界線にいるような人物だよな。
良くも悪くもめちゃくちゃ人間くさい感じで好きだ。 闖王を名乗ったり、庶民的な人気は得やすいタイプだな。
それなりに人物としての器はあったんだろう。
上手く士大夫層を味方につければ、王朝創業者にもなれただろう。
まさか呉三桂が山海関を開くとは思ってもみなかったんだろうなー
明そのものが異民族の漢地支配へのレコンキスタ王朝
成立後も北元を追って皇帝捕虜になったりしてるし、その後も持ち直したかと
思えば、朝鮮への10万単位での援軍や女真勃興による対異民族への軍事
負担の増大という点が明そのものの疲弊の一因だし wikipediaの大順帝国がらみの項目を編集しまくってるyonoemonとかいうの、なんかキモい \ /
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<; > もう知らんニダーーー!!
( つ
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>この時代の盗賊には何か独特の暗さある。
捕まれば陵遅三千刀は疑いないところだからかな >>118
いや捕まれば、とかでは無く盗賊たち自身にさ。
何か心の闇的な。 宮崎市定先生は、李自成が北京から逃走する時に
明の紫禁城に放火したことで完全に馬脚を現わしたと言ってるね。
民を思う君主なら、宮殿に放火したら
敵が再建のために民を駆り出すことをわかっていなければならない、と。 明清時代は面白い
司馬とか日本の作家でも結構書いてる奴いるよな明清時代 李自成はとても大物とは言えないが
たとえ朱元璋でも山海関抜きで当時の清を相手にするのは_ やっぱり李自成と朱元璋の違いは知識人の差が大きいだろうな。
同じ盗賊上がりでも朱元璋は有能な知識人を抱えてたし特に南京のような大都市を占領した時は
劉基・宋濂といった大学者を味方に付けたからな。
ところで明末の盗賊は水滸伝や三国志などの登場人物から取ったあだ名を名乗るのが多かったんだよな
高島俊男の中国の大盗賊読んで李自成に興味持ったんだけど、
あんまり日本語の資料なくて難渋してる。
李自成について良い資料あったら教えてもらえまいか。 李自成は結局三日天下だったせいで小物っていう印象あるけど、
正直、ほかの盗賊あがりの高祖太祖と比べて、さまで能力人格に遜色が
あったとは思えんなぁ。幕下に加わる知識人の有無も含めて時の運じゃない?
正史で劉邦・朱元璋が美化されて、かつ李自成が貶められてる分を差っ引けば
たぶん、同等レベルの指導者だったと思うんだよね。
時代的に、儒教が浸透してたせいで秦末・元末に比べて明朝の官僚(知識人)が
反乱に参加するのをためらったってのが大きかったんではないか あくまでも結果論だけど華南を押さえず先に華北を制した事が裏目になっちゃった感じ
まあ呉三桂が関を開くとは予想出来ないよなー >>135
だよねー。呉三桂にしたら、自分が山海関でがんばってるおかげで
李自成が天下取れたようなもんなわけだし、感情的に爆発しちゃったんだろね
ただ、当時の中国大陸は南北の経済格差がひどかったから、華南の人士が
反乱になびかなかったのは仕方ないかなとも思う。李自成の勢力って基本的には
食い詰めた貧民層を母体にしてたわけだし、裕福な南部は「農民反乱ナニソレ」って
認識だったんではなかろうか。
明朝倒して正式に帝位に就く前に華南に侵攻しても、現地の反発が強いと判断したん
だと思う。 李自成は流賊であったのも失敗の原因だろうな。
毛沢東は歴史に学んで劉邦など成功した盗賊のやり方を踏襲して
まずは強固な根拠地の建設を重要視した。 清は李自成に勝利し、明の仇討をしたというが、
その後、明再興を目指す南明を滅ぼしてるよな。
これは矛盾してね? {ヽミ∧
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tニゝ 毛沢東による李自成評価も反面教師としての側面が強いよね(・∀・)
だけど、私はそんな李自成が好きなんだよなぁ。
ちょいと抜けているor甘い人、運がなかった人に惹かれるから。 訂正
○ 詰めが甘い
× 甘い
だが、都に攻め上ったことは間違いではないと思うよ。
根拠地を強固にしてからと言う意見もわかるが、
ライバルたる張献忠と清がある中で、
あの機会を逃したら次はなかったかもしれない。 酒見賢一「後宮小説」に幻影達(イリューダ)という登場人物が出てくるけど
あれのモデルって李自成じゃないの?
ちなみにこの小説、平成二年三月にはアニメ化されてる
ヒロインの銀河役は佐野量子さんだ 満洲・遼東に清、華北に順、華中・華南に明が19世紀まで並立していたら
面白かったかも
国土面積も人口もほどほどの方が問題が少ないように思う
清末ほど悲惨な事態にはならなかったかもしれない その場合は列強がそれぞれのバックについて殺し合いさせるだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています