【匈奴】大月氏【漢】
小月氏の方は、漢民族とかに吸収されちゃったのかな? 何ちゅうか、イランからインドあたりにかけての歴代王朝も、
北方の、中央アジアから来襲する遊牧民の脅威に悩まされていたあたり、
中国と共通しているね。 中国の場合は、モンゴル高原
イランの場合は、アラル海周辺 クシャーナ朝と漢朝はどれぐらい人の往来があったんだろう。 >>24
その遊牧民が征服王朝を立てるも、
その地の文化に同化されてしまうあたりも似ている。 インドに軸足を移す前のクシャン朝の首都を発掘したところ、
クシャン朝人の彫像はほぼコーカソイドの容貌をしていたそうな。
月氏はイラン系の人種であったことは間違いないだろう。
対して、匈奴の人種は良く分からぬ。ま、種々混ざってたと思うけど(見かけはあまりに気にしないのが遊牧騎馬民族)。 中国の近くにいた頃からコーカソイド中心だったんだろうか。 匈奴とか広い範囲で活躍した民族はいろんな種の連合体のような感じじゃないかな タイムマシンで見に行ってみたいな、この時代の諸民族の顔立ちを。 漢って武帝以前は匈奴の属国で以後も姻戚関係にあった混合王朝なんでしょ?
>>27
クシャーナ朝の場合はローマとのつながりの方が大きいだろ
香料を原価の1000倍ぐらいに吹っかけてボロ儲け
ローマの金貨がザックザック
それでもローマ商人は郷里に戻って香料売ればかなりの儲け出した
でなかったらローマ商人がわざわざ危険な航海してインド、果てはベトナム南方オケオまで行かんもなあ 朝鮮に月氏国ていうのがあったような。
あれはなに?
日本には渡来していないのか? 国破れて山河あり城春にして草木ふかし…大月氏もインドで埋もれて民族的痕跡が不明になったが憂えるのは止めよう、大局的に考えれば民族問題に勝利も敗北も無い >>37
馬韓の月支国のことかな。あれは月支じゃなくて「目支」の誤写らしいね。 大月氏はクシャンに乗っ取られて消息不明。
その後のトカラ国になったような気がしないでもない。 侮蔑的な漢字を使っていないし、秦や漢は月氏とつながりがあったのだろう。
クシャナを経た後、昭武九姓の時代になるとカブーダンが漢字表記では曹国となったが
こんなメジャーな中国人の姓を異国につけるのはおかしいしな 面白いスレだ〜
大秦帝国と月氏のつながり ありそう >>4 (げっし)違う大月氏読んは(だいげっじ)で(・_・;
> 月氏(げっし)は紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて北アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。東西交易で
> 栄え、匈奴と対立し、敗れた後は西に逃れて大月氏と呼ばれるようになる。
> 月氏の民族はチベット・モンゴル・トュルク・イランと諸説あり、はっきりしない。自身は記録を残さず、ほとんどが中国の史書に
> よる記録が多い。紀元前3世紀ごろからタリム盆地に拠って東西交易を独占し、一時は匈奴を圧倒するほどの強勢となった。
> しかし匈奴に冒頓単于が立つと紀元前206年・紀元前176年と冒頓による攻撃を受けて、西のイリ地方に逃れる。この時に一
> 部は甘粛・青海に残った。中国の史書では、残ったほうを小月氏、西遷した方を大月氏と呼んでいる。紀元前162年に冒頓の
> 息子老上単于による攻撃を受けて、王が殺された。この王の首を匈奴は持ち帰り、頭蓋骨をくり抜いて、杯にしたと言う。
> 敗れた月氏は更に西のソグディアナに逃れ、この地で大月氏は大夏を征服して大月氏国を立てて、中継貿易で大いに栄え
> た。(この大夏はバクトリアのこととする説とバクトリアを滅ぼしたスキタイ系のトハラ人の国だとする説がある。)
> 紀元前130年ごろに前漢の張騫が対匈奴の同盟を求めに来たが、すでに安住の地を手に入れた大月氏はこれを断った。
> 1世紀初めごろから、トハラ人のクシャーナ侯が強大となり、クシャーナ侯が立てたクシャーナ朝がこの地を代わって支配する
> ようになり、東西交易も支配するようになった。しかし中国はこのクシャーナ朝も大月氏と呼んでいた。
> 中国への仏教の伝来についての説に紀元前2年に大月氏国王の使者伊存(いそん)が『浮屠教』と言う経典を伝えたと言うも
> のがあり、これが諸説の中でもっとも早いものとなっている。 やはり中国人は日本人とは違うね
脚が長くて背も高い昔コーカソイドに塗れた事はあるわ
色も白くて
関西は中国人だらけなので後ろ姿でも日本人と比較してよく分かる 匈奴は、本人。匈奴は華夏人であって、樞。匈奴はギャド。つまり、ガド族。
これをフン人と言ってしまう人がいるのだが、フン人は、百済人。
燕、鮮卑が白狄。このフン人が、朝鮮トルコ人。東湖の一種で戦犯。
大月氏は日人の一種で、ダン族。ダビデの系統のヨーロッパ人。
漢は、ダン族と出自が似てるが、コーカサス要素が強い華北のアオルシ。アラン人。アラン人は、日人。 アラン人は、漢人である前に、晋人。仏教徒であり和人。
烏桓 (JAGAN、UGAN)が日本らしさと勘違いされやすいのだが、
野蛮(YABAN)の類で、匈奴に日本人の何たるかが全てある。
apaがapar、avarであるからである。apaとはopiumであり、鴉片がJAPANであり、日本国旗の象徴である。
鴉片の華が、匈である。 五胡十六国スレから誘導されてきた者ですが
張騫って大月氏の王に謁見する時どうやって意思疎通したの?何語話したの?通訳何人通したの?
よろしくお願いします。 >>20
>>54
漢字の強度討伐で敵に会うことさえできないって記録もあるからね
ある意味時期によっては中華全土よりも領域広いからそれで人口が男十分の一 >>56
漢文での筆談だろうね
匈奴にも漢人はいるし、そうでなくても両方が話せる奴が通訳 三国志演技でも目上の人(劉備)に自分の妻を料理として差し出すって美談があったな
晩年の奸臣ぶりがなけりゃ儒家の教えの体現者としてももてはやされていただろうに、まあ料理の神様にはなっているが
あくまで明代に成立した作品での描写だから、そのまま鵜呑みにするのは危険だ。武具や服飾の描写は明代そのままの作品だし。
漢代では食人はタブーだった(王忠のエピソード)が、明代では人肉はありふれた食材だった。こうした影響は、水滸伝などの明代に成立した作品全般に見られる。 三国志演技でも目上の人(劉備)に自分の妻を料理として差し出すって美談があったな
晩年の奸臣ぶりがなけりゃ儒家の教えの体現者としてももてはやされていただろうに、まあ料理の神様にはなっているが
あくまで明代に成立した作品での描写だから、そのまま鵜呑みにするのは危険だ。武具や服飾の描写は明代そのままの作品だし。
漢代では食人はタブーだった(王忠のエピソード)が、明代では人肉はありふれた食材だった。こうした影響は、水滸伝などの明代に成立した作品全般に見られる。 >>10
>6000年前には
紀元前600年だろうな 生き残った県の経済状態も酷く、市で黄金1斤(1万銭)で豆5升としか代えられなかった。
現代風に訳すなら、180万円出して、豆を750g強しか買えないということ。
王莽政権末期で、太平時の約36倍に跳ね上がってた物価が 単純計算で今やその1000倍。
通常取引される1斛(15kg)分を買うのに、約3700万円。
当時の1人に必要な穀物量は1ヶ月3斛(1億1100万円)。もう市は崩壊してるに等しい。 民衆から略奪してる兵士でさえ飢餓に苦しみ、生野菜をそのまま食べ。
ほとんどの城が誰もいない空きだらけ、白骨は野をおおい、
生き残った人々も身分の上下関係なく互いに丸して食べあうのが横行し『人、相食む』と、
後漢書は当時の情景を物語っている。 自分への愛情度が数字で見える世界はどうなるのか?可視化の危険性 匈奴は、本人。匈奴は真正権利者であって、匈奴はギャロップ。つまり、キュイ族。
これを表見代理人と言ってしまう人、フン人は、無権代理人。
燕、鮮卑が行為者。このフン人の相手方が、朝鮮トルコ人。東湖の一種で戦犯。
大月氏は転得者の一種で、ダン族。権限愉悦の系統のヨーロッパ人。
漢は、ダン族と出自が似てるが、コーカサス要素が強い華北のアオルシ。アラン人。アラン人は、日人。